投稿者「uterium」のアーカイブ

『げんしけん 二代目の十二 21』著:木尾士目

大学オタクサークルを扱った有名作品の続編、完結です。

初代の2000年代前半に比べると、女性のオタクや腐女子の文化が随分世の中に広まってきまして、その流れを受けてか本作も男性のオタクから女性のオタクに主役が入れ替わり、最終的に初代から登場していた斑目くんに彼女ができるかどうかという話をやっておりました。ということで本巻でその決着がつくのですが、それとは別に初代のキャラクターが結構登場しまして、初代のようなワチャワチャを楽しそうにやっております。そんな同窓会のような感じがとても良いです。まぁぶっちゃけ、社会人になって昔からのオタク友達と会うときの感じがとても良く出ています。

ということで、二代目になって登場人物がガサッと入れ替わったので、読まなくなった諸氏もイルカもしれませんが、最終刊は懐かしい雰囲気がありますのでぜひリターンしてもらえればと思います。

個人的な話なんですが、大学生の時にちょうど『げんしけん』が始まりまして、さらにアフタヌーンを読み始め、家のブロードバンドが入ってインターネットも本格的にやりだし、コミケに行ったり、エロゲーを初めて買いに行ったり、僕は笹原くんと一緒にオタクになりました。失ったこともあるんでしょうが、楽しいことも多いのでまぁ後悔はありません。

 

Panasonic ORC-08

コンセプト

「道楽」

鉄フレーム、前後別グレードのブレーキ、チューブラーホイール/タイヤ、カッコいいと思う部品の使用(クランク、リアディレイラー、シートポスト、前後ホイール)と、構想3年の自転車道楽を詰め込んだつもり。色々手を加えてみたいところ.

自分の中でロードバイク、というものの基準を作ろうと組んでみた自転車。これを基準に、軽い、剛性感がある、コントロールしやすい、ブレーキが効きやすい、など自分なりの自転車に対する相場観を身につけたいところ。

各部品を更新しました。ますます何がやりたいのか分からない部品構成になりました。420→400mmにハンドル幅を変更した結果、ちょっと窮屈な感じはしますが、ハンドル周りの剛性感は高くなりました。

パーツ構成

カーボンの部品をほとんど使っていない。サイコンをマウントしているエクステンションバーにちょっとカーボンパイプが使われているくらい。完全に一昔前のロードバイクである。別にアナクロ趣味ではないが、カッコいいと思う部品を集めたらこうなった。

フレーム:Panasonic ORC-08 (ORC0xシリーズ 2015年モデル) サイズ:500mm(前三角:タンゲプレステージ、後三角:カイセイ022 らしい)
フォーク:Panasonic クロモリフォーク(スレッド)
ヘッドパーツ:Shimano Dura Ace HP-7410
STI(右):Shimano 105 ST-5500 → Shimano Tiagra ST-4501
ブレーキレバー(左):Shimano 105 ST-5500 → Shimano Alfine BR-S705L
シフトレバー(前):Shimano 105 ST-5500 → Shimano SL-7700
前ブレーキ:Shimano Dura Ace BR-9000
後ブレーキ:Shimano Ultegra BR-6800
サイコン:GIANT Continuum Sync
ハンドル:dixna J-fit 420mm → dixna J-fit 400mm
ステム: Nitto UI-2 100mm
シートポスト: Shimano Ultegra SP-6600
サドル: Fizik Arione K:ium
クランク:Shimano Ultegra FC-6600
チェーンリング:Ultegra 6600 52-39
ペダル:Shimano PD-A530
FD:Shimano FD-7800
RD:Shimano RD-7800 SS
スプロケット:CS-6500 12-25
フロントホイール:手組中古品(Dura Ace HB-7400 32H +星#15-16スポーク + ARAYA Prostaff 400)
フロントタイヤ:Vittoria Corsa CX2 21mm
リアホイール:手組銀輪二号(Campagnolo Record 32H + DS星#14 NDS星#14-15 + Ambrosio Montreal Silver)
リアタイヤ:Vittoria Rally 21mm

質量:約9.8kg

走った感じ(いわゆるインプレ)

  • とにかく気持ちよく走る。1時間くらい走って体が温まってくると、平地だとどこまででも走って行けそうな気がしてくる。実際のところはちゃんと疲れてくるんだけど。
  • 本格的な坂は上ったことがないので分からないが、重さ的にはあんまりRA5と変わらないはず。他人と競い合っているわけではないのと、無駄なウエイトは体重に含まれていると思っているので,自転車の質量は余り気にしていない。
  • RA5に比べると多少もさっとした感じは受ける。アルミバイクがガスガス加速する感じなのに対して、こいつはギュンギュン加速するという感じか。実測した加速時間でどれくらい変わるかは比較してみないとなんとも。ハンガーはしっかりしていて僕程度の踏み込みでは全然たわまない。
  • ハンドル幅を20mm広げたのと、チューブラータイヤの粘りなのかダンシングがしやすい。
  • ペダリングに対する許容範囲が広い。ダンシングでガンガン踏んでも、シッティングでくるくる回しても、「ああ、いいよいいよ」と受け止めてくれる感じ。この感覚は新鮮だった。アルミバイクだと、リズムが合わないと自転車全体が跳ねるような感じがしたが、そういうのがない。
  • ブレーキングの際に、リムとブレーキシューの相性なのか特にフォーク周りがビビる。操舵系が1インチスレッドの為なのか、ホイールのスポークが細いのでホイールの剛性が足りないのか。ここはちょっと不満なところ。
  • バイク全体の重心が高い。スローピング→ほぼホリゾンタルに乗り換えたためか?

これからどうしたい?

  • ダンシングの際とブレーキングの際にフロントの剛性にやや不安だなぁと思うことがあるので,強いて言うならフォーク&ステムをスレッドにしたい.まぁ1インチなので,現代の自転車のようなフロントの剛性感は望むべくもないのだろうが。
  • ハンドルの幅は400mmに戻した方がいいか思案中。
  • STIレバーのブラケットカバーがそろそろダメになるので、今後ドライブトレインをどうするか考え中。9段で行きたいのだが。(一応予備部品が1組だけある。)

『高慢と偏見』著:ジェイン・オースティン 訳:富田彬

ジェインオースティンの恋愛小説。田舎町でジェントリー階級のベネット家の5人姉妹、ビングリー氏、ダーシー氏らの結婚を軸とした人間模様を描く作品。主人公はベネット姉妹の次女エリザベス(リジー)。

色々な訳者が日本語に訳している作品だが、私が読んだのは岩波文庫版。最初は取っつきにくかったが、2分冊の上巻を半分くらい読んだところで慣れてきた。この訳は代名詞がとてもわかりにくくて、誰がしゃべっているのか全然分からなかった。光文社の古典新訳が割と良いと聞くのでそちらがオススメかも(立ち読みもしていないので何ともいえないが)。

作中で「性格研究」と表現される人間の性格、心理描写、人間観察の描写が巧みで、確かに名作と言われるだけのことはあるように思う。当時女性には独立生計の道がなかったので、ある意味現代の日本以上に男性の財力が重視され、まぁ生々しいったらありゃしない。主人公のリジー、姉のジェーン(ベネット家の長女)、主人公の友人などなど、作中の女性の十人十色な結婚の様子は見物だった。著主人公のジェーンとその相手の人間関係は個人的には割と理想的な印象を受けるのだが、この辺200年前のイギリスと感覚が一致するのは人類社会に普遍的なものなのか、あるいはこの作品から影響を受けた様々な作品から僕の結婚観や恋愛観が形作られているのか。

ちなみに、作中の様子をイメージするのに役立ったのは森薫先生の『エマ』だった。もし本作に挑戦される方がいれば、是非読まれることをオススメしたい。

「高慢と偏見」とはおおよそ恋愛小説っぽくはないタイトルだが、何が高慢で、何が偏見なのかは読んでのお楽しみということで。読めばちゃんと分かります。

 

『マージナル・オペレーション改 01』著:芝村裕吏 挿画:しずまよしのり

自分以外にあまりこのシリーズについて語っている人を見たことがないのですが、4本の外伝を挟んで新シリーズ始動です。相変わらずミャンマーの山奥でイチャイチャやいのやいのやっているところに、アラタのご先祖様が作ったシベリア共和国……ではなく中国に請われてジブリールと共に一路北朝鮮を目指すことになります(後書きにしかでてこなかった「アラタの失踪」というやつだそう)。

はるカナの登場人物と同名の人たちが出てくるわけですが、『空白の一年』で語られたシベリア国との因縁がどのように語られるんでしょうね?「やがて去る子どもたちの国」は未だ道半ばなわけですが、シベリア国の建国時代のようにはきっと行かないはずで、どういう風に話が落ちるのか割と楽しみです。しかし、主人公とはいえ秋田の新田家はすごい家系ですよね。

とはいえお話は始まったばかり。今後作品世界の情勢がかなり明らかになりそうな感じですが、シベリア共和国が現代ではどうなっているのか、非常に興味があるところです。

『黒剣のクロニカ 01』著:芝村裕吏 挿画:しずまよしのり

マジオペの外伝と、はるカナが終了して、マジオペの続編とともに始まった新シリーズ。古代の地中海世界(ローマとかギリシャとか)っぽい世界でのファンタジー。アトランティス大陸と、そこにあった高度な文明が海中に没した後の架空の多島海世界が舞台のようで、多数の小さな?島にある都市国家が覇を争う時代に、ある都市国家「コフ」で奴隷の母と、権力者「黒剣(くろがね)家」の父との間に生まれた少年「フラン」の物語。ヒロインは隣の都市国家「ヤニア」の貴族の娘、人馬の「リルケ」と人間の「オルドネー」、あと多数?そんなフランがヒロインたちと出会い、奴隷の子として蔑まれる身から身を立てて、多島海世界に覇を唱える年代記(クロニカ:クロニクル?)なんでしょう。

古代のギリシャとかローマとかをベースにした衣服とか裸体に関する考え方(布が貴重なので運動や戦争は裸で行う)から主人公やヒロインがポンポン脱ぐんですが、その割に恥ずかしがるというのが新機軸が個人的には新鮮でした。全体的に地中海岸のヌーディストビーチ(実際にあるのか知りませんが)のような、開放感を感じるお話。古代地中海世界の理解という意味ではちょっと前に読んだ『奴隷のしつけ方』は割と助けになっているのかななどと思ったりします。

著者の芝村さん曰く「少年」の話だそうですが、かつて少年だった自分からすると、なんとなくフランの物言いには思い当たる節を感じなくもありません。女性が主人公を見てどういう風に思うのかはちょっと興味あります。

キャラクターデザインのしずまよしのりさん曰く、リルケは二重臓器にならないように馬体の方はスリムとのこと。腸とかはほとんど入っていなくて、ほとんど足の延長みたいな感じなんでしょうか?ちなみに性器は四足動物と同じ感じについてるらしいですが、トイレどうしてるんでしょうね(『セントールの悩み』を読んで以来,その辺にうるさい)。古代の地中海世界っぽく性には奔放ですが、性的嗜好に人馬を含むのはかなり特殊な性癖とされているらしいです。ただまぁ、有蹄動物のスリムな足にエロスを感じるのは手塚治虫大先生を考えると特殊ではありますが、不思議ではないような気もします。ちなみにリルケが人馬な理由は、読んでのお楽しみということで。

 

 

『みんなの道徳解体新書』著:パオロ・マッツァリーノ

私は暴食もしませんし、人の恋人を奪ったりするようなことはせず、時には残業するくらい勤勉に働いていますし、自分は自分、人は人と嫉妬することも少なく、周りの人はすべて師匠と仰ぎ、怒りに声を荒げることもめったになく、あれもこれも欲しいと思っていたりしない、というキリスト教的な意味ではきわめて道徳的な人間だと思いますが、生来の天邪鬼でして、学校道徳は大嫌いです。「正しいこと」を他人に押しつけられるのが、そのうえ「なぜ」に一向に答えないところが本当に嫌いで嫌いで仕方がないのです。そんな私ではありますが、祖父は戦前も教員をやっており、道徳の前身である「修身」を高く評価している人でした。

ともあれ、本書はそんなあなたにぴったりの一冊。学校道徳の副読本を読みあさり、おもしろエピソードを抽出したり、学校道徳のうさんくささ、ロクでもなさをこれでもかと茶化し、批判する。いつものパオロ・マッツァリーノ節です。昔読んだ『反社会学講座』には感動しました。それ以来のファンであります。

道徳を義務教育に差し込もうとするお年寄りの言い分は、「最近の若い者は倫理観が欠如しているので、義務教育でしっかり教え込まなければ!」といったようなものですが、それにしても戦前に修身教育を受けていた人たちの犯罪率が特別低かったわけでもなく、戦後犯罪は一貫して減り続けているという。事実とやろうとしていることにどうも一貫性がないんですよね。効果がないものに子どもの有限な時間を使うなら、他のことやった方がいいのでは?といったようなことを著者は言うわけですが、私もそう思います。

私のような天邪鬼さんというよりは、道徳は必要と社会正義に燃える保守的に意識高い系の皆様にぜひ一度読んで、ご自身のバカの壁を崩していただきたい一冊です。(こんなこと言われて読む人は多分いませんね。)

 
 

Artemide Tolomeo lettura

昔、この記事を読んでからずっと使ってみたいと思っていた家具を買ってみました。天井の照明位置の関係で手元が暗かったというのもありますが。まぁ、ヤフオクなんですけど。ということで、「読書」という名前がついたほどほどの大きさのフロアランプ、artemide社のtolomeo letturaです。下の写真のように机の脇に置いてデスクランプとして使っています。

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部屋を暗くしてつけるとこんな感じ。特に昼間、天井の電気をつけなくても手元が十分明るくて快適です。

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デザインがよく、軽い力で欲しい位置にぴたりと止まります。アルマイトのアップル製品との相性も良い。ただ、足回りが弱そうで、土台と柱を結ぶ軸の部分で明らかにポッキリいきそう。ロングセラー品だし、交換部品は手に入るかなぁ?あと、動かした後結構長時間揺れが残るので、やや不安な感じにはなります(土台はしっかりしているので、不安定ではない。)このtolomeoという製品、多分机の上に置くデスクランプがベストな大きさなんだろうなと思います。

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ちなみに電球の口金はE17という普通のE26より一回り小さいタイプ。パナソニックのこのLED電球を使っています(色は昼白色)。梨地加工したアルミのセードで光を柔らかくするデザインみたいなので、一方向放射のタイプより全方向放射のタイプが良さそうです。あとセードの上のところに穴が空いていますのでそこから漏れる光を楽しむためにも全方向タイプが良いでしょうね。今は新しいLED標準付属のモデルもあるみたいなんですが、個人的には従来品にLED電球を入れればいいかなぁと思います。ただし、自己責任で。

たかがデスクライトに数万円払った訳ですが、満足感の高い一品です。

 

『非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か』 著:杉田俊介

山本五十六の「男の修行」という言葉が残っているそうです。

苦しいこともあるだろう。

云い度いこともあるだろう。

不満なこともあるだろう。

腹の立つこともあるだろう。

泣き度いこともあるだろう。

これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である

というもの。「じつとこらえて」というのが実のところあんまり良くなくて、挫折した男性が人生そのものを持ち崩しやすかったり(STAP細胞ねつ造事件で小保方氏の上長だった先生も自ら命を絶たれました)、中高年の独身男性の自殺者数が有意に高かったり、非正規雇用の男性の有配偶者率が低かったりといった、現代の日本社会における優遇や男性ジェンダーにもたれがちな「強い」イメージと裏腹の、男性の弱さを示す現象の原因だったりします。本書は、まさにその男性の弱さについて語った本です。本書では「自分の弱さを認められない弱さ」とされています。ねじくれていますね。割と同じ事を繰り返して言っていたり、冗長なところがありますが、各男性が自分の弱さを認めることと同時に、男の弱さを日本社会の中で語ることの難しさを表してもいるのでしょう。著者の個人的な思いがあふれているのかもしれませんが。

個人的に特に印象深かったのは補論1の「非モテの品格」で、以下のような一節が綴られています。

たとえ誰からも愛されなくても、前を向いて生きていく。(中略)悩んで、苦しんでいい。涙を流せずに泣いてもいい。だけど、それをこじらせすぎちゃいけない。他人をねたんでいいけど、恨むところまではいかない、そんな曖昧な場所にどうか踏みとどまってほしい。ぐらぐらと躓き続け、ふらふらと迷って葛藤する道を選んで、せっかちな暴力に身を委ねたりしないでほしい。
小さな自負と誇りを積み重ねながら、自分が歩んできた道に対する自己尊重を一歩ずつ身につけながら、海辺で拾った小さな貝殻やガラス片のように溜めこみながら、悲しみの中でそれでも前を向いて生きていく。

黙って耐えるのでもなく、茶化すのでもなく、周りに当たり散らすのでもなく、自分を男性として承認してくれる存在がいなくても、自分の男性性と、男の「弱さ」を認めて生きていく。この章はいわば、21世紀日本版の「男の修行」だと感じました。(どっちかというと「非モテ男の修行」かもしれませんが。)

こんな本を読むのは、男性として順風満帆に人生を謳歌して「いない」人でしょうが、人生一寸先は闇、いつ自分の男性性を揺るがすライフイベントが起こるか分かりませんから、順風満帆な男性諸氏も予防接種として読んでみたらいいのではないでしょうか?すぐにピンとくるかどうかは別として、自分の生き方を見直す上で、役立つときが来るかもしれません。女性も、身の回りの困った男性、取るに足らないような男性も、実はこんな「弱さ」を抱えているのかもしれないと気づくかもしれません。もちろん、あなたにその男性を救ってあげる義理なんてこれっぽっちもないんですが。

ちなみに昔読んだ男性の生き方についての本はこんな感じです。いずれも良書でした(このブログに書く場合面白かった本しか書きませんが)。

すべてはモテるためである 著:二村ヒトシ

平成オトコ塾 悩める男子のための全6章 著:澁谷知美
  

鉄血のオルフェンズについて雑感

戦闘機械のような、文盲の少年兵を主人公として(戦闘機械というだけなら、ガンダムWのヒイロ・ユイがいたが)「生きるために戦う」子どもたちを描きはじめたガンダム、鉄血のオルフェンズ。武器を取らなければ、早く大人にならなければ自分たちの居場所すらない子どもたちの物語。かつて長井監督がメガホンを取っていた『とらドラ!』と似たようなテーマを扱っている作品なんだなぁと見ながら思った作品(登場人物は皆、大人と子どもの間で、早く大人になりたいともがいている作品だった。)で、2期が本当に楽しみでしょうがなかった。そして2016年10月から始まったのが2期である。2話にしてすでに期待を超えてきた感がある。ということで、個人的な思いを書いてみたい。

 2期のテーマ? 鉄華団の外

鉄華団の強い絆、一定の生存権、居場所の獲得というテーマは1期で描ききったと考えているのか、2期では鉄華団の外を積極的に描くようになっているように見える。2期の導入の言葉(アトラ役の金元寿子さんが読んでいたやつ)からも明確に示されているように思う。そして、いわば暴走族のような結束で山を乗り越え、結果的に強い絆を構築した鉄華団の内側と外側の軋轢が、2期では良く描かれているように思える。ある意味で、鉄華団のドラマは一段落した、ということなのだろう。これを示すような描写は1〜2話を見るだけでも、多数見られる。

  • 例えば鉄華団地球支部と火星支部の軋轢。
  • 鉄華団の鉄火場を超えた初期メンバーと、新参メンバーの考え方の違い。
  • 新参メンバーの中心キャラクターと思われるハッシュと、三日月の軋轢

たったの2話でこれだけである。視聴者の代表というか、鉄華団の外の視点の代表は1期ではメリビットさんだったわけだが、彼女は2話までだと普通の事務のお姉さんに徹しているように見える。2期では彼女の件以上に鉄華団内側の不和が大きくなったりするのではないだろうか?組織が大きくなったり、色々な人が出入りするようになると、組織運営って急に難しくなるものなので、内輪もめで誰か死にはしないかとヒヤヒヤする……。なにせ割と容赦なく人が死ぬ作品だし……。

 主人公の三日月を取り巻く物語

主人公の三日月は孤独である。三日月は1期の終わりで、もはやモビルスーツの部品として、戦闘機械としてしか生きられないだろうアインに近づくことでアインに勝利した。その代償として三日月は、阿頼耶識を通じてしか、自分の体を十分に動かすことができなくなってしまった*1。2期で、彼の職業人としての居場所は、もはやバルバトスのコックピットと、鉄華団の戦いの最前線にしかない。それはすなわち、三日月は物語が進むほど、勝てば勝つほど、ハッシュが慕っていた「三日月になれなかった」少年、かつてのCGSに「産廃」と呼ばれ、自死を選んでしまったビルスに近づいていることを示しているように見える。なぜなら鉄華団はサクラ農場に代表されるような「まともな商売」だけでやっていけるところを目指しているから。(三日月の将来の夢は農場主なので、右手と右目が不自由なくらいではなんとかなりそうな気もするが)。

アトラによると彼からは血みたいな臭いがするそうだ。私は、三日月は何となく鋼でできた「剣」なのではないかと思う。ビルスは剣になろうとしてなれなかった、そして彼には自らを納める鞘がなかった。しかし彼にはアトラがいる、クーデリアがいる、そしてオルガだって、きっと彼を見捨てはしないように見える。三日月は、着々と殺人機械に近づきつつも、彼を人間として愛する人がいる。一期の終わりで文字の勉強を続けるつもりだったり、彼自身にも人間であろうとする意思があるように見える。三日月はどこに行くのか、物語の行き先に目が離せない。

注釈

*1 阿頼耶識と呼ばれる神経接続型のマンマシンインターフェースに強く接続した結果、右手の感覚と右目の視力を、阿頼耶識に接続している時以外失った。

 

梅酒2016 浸け上がり

今年の梅酒の新酒が浸け上がりました。

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今年は結果的に色々浸け比べることになったんですが、結構色が違い、味や香りも違います。

左から
1年もの、大分県産南高梅、奈良県産青梅、青梅+緑茶、和歌山産南高梅

です。少しずつ色が違います。

まだまだ味がキツいんですが、ソーダで割ると美味しい。甘みが足りないかとジンジャーエールや砂糖入りのソーダで割ってみましたが、くどい。何年か寝かせると味がまろやかになるという話なので、しばらくはソーダ割りで楽しみたいと思います。

梅酒の色もあり、気分はウイスキー醸造家です。梅酒は作るの簡単ですし、皆様もぜひやってみてはいかがでしょうか?