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『虜人日記』著:小松真一

1944年からアルコール生産のためにマレーシアに赴いた著者が戦地で綴った日記で、後退する戦線の後ろで空襲におびえながら各地のアルコール工場を巡って仕事をする話、いよいよ現地の日本軍が戦争の能力を喪失し、ジャングルの中に逃げ込んで半死半生で1945年8月14日の敗戦を迎えるまでの話。戦後米軍の捕虜となり、捕虜収容所の中で生活する中で見た人間模様、の3つから構成されている。復員の際に戦友の骨壺に入れて持ち帰られたそうで、著者が亡くなるまで銀行の貸金庫に保管され、ご遺族が社会的意義を感じて活字化、出版されたという経緯を持つそうである。

全体的に読みやすく、特に334ページに記載されている「日本の敗因」が非常に的確。何せ当時の実感で、第二次世界大戦の太平洋戦線で実際に負けた人が色々と考えたことなわけである。限りなく現場に近い体験から人間としての極限状態(なにせ人肉食が行われるくらい人倫が崩壊していた)においても失われなかった明晰な知性で見いだした敗因なわけで、これ以上に的確な物を探すのは難しいだろう。

極めて残念なことは、平均的な日本人や日本人の作る組織に、本書に示されているような弱点が脈々と生き続けているということだろう。日本人のエートス(最近覚えた言葉)と言ってしまえば簡単でしかし悲しいが、まずは自分と自分の所属する組織から、少しでも弱点を克服できるように頑張っていくことくらいしかできないだろう。一生勉強である。


『昭和史 1926>>1945』著:半藤一利

個人的に歴史、特に日本の近代史、戦前史を勉強し始めたのはここ5年くらいのものだが、最初に読んでおけば良かったと思った。本書は戦前生まれの歴史の語り部的な著者が、長年の文献研究と当事者への聞き取りの結果を総合して、15回の講義としたものの口述筆記である。年代としては1926年から1945年。いわゆる戦前というやつである。

陸軍や海軍それぞれを単独に悪玉にするわけでもなく、とはいえ国民の傲慢や熱狂、メディアの扇動も取り扱い、誰かを悪者にして一面的に捉えるだけでは見えてこない「なぜあんなアホな戦争を始めたのか?」そのうえで「なんであんなアホの積み増しをやってメタクソになるまでやったのか?」を解き明かそうとしている。

とにかく昭和の元年から昭和20年の太平洋戦争終結までを一気通貫に取り扱っているので、個別の戦史や、たとえば2・26事件のような大イベントについて掘り下げる前に読んでおくべきだったと思った。ただ、近代史はとにかく登場人物が多く、エピソードもかなり具体的に残っているので、最初に興味を持ったトピックや人物を中心にひっかかるフックをいくつか作っておいて、本書でそれらの間をつなげる、みたいな読み方は結果的に良かったのかもしれない。

恐らく2019年現在は歴史の変わり目で、ついに東アジアにもきな臭い臭いが漂い始めている訳だが、そんな中で日本が国としての舵取りを間違えないように、主権者として歴史の勉強はしておかないといけないだろう。そして、本書はその勉強のどこかで読んで損のない一冊だと思った。

『昭和16年夏の敗戦』著:猪瀬直樹

太平洋戦争開戦間近の昭和16年7月、「総力戦研究会」という当時の若手エリート達が集められた場で、太平洋戦争の多角的なシミュレーションが行われた。その結果は「日本必敗」、さらにその過程も実際の敗戦の過程にほぼ一致した。後に首相となる東條英機も聴講していたと言われるシミュレーションの結果は、なぜ実際の政治判断に活かされなかったのか? 

というようなことを書いた一冊。総力戦研究会のシミュレーションは当時の大日本帝国が置かれていた国際状況に沿った情勢の設定が教官側から行われ、学生達はそれぞれの専門性に概ね沿った形で「大臣」を分担する「疑似内閣」を構成する形で情勢設定に対する国としての対処を考える、というものだったようである。読んでみると意外と総力戦研究会一色という感じでもなく、実際の開戦経緯の解説や、「独裁者」のイメージとはかけ離れた、天皇の忠臣としての東條英機の人物描写等が多く含まれる。

完全に歴史の後知恵だが、日中・太平洋戦争を現在から見ると「なんで勝てる見込みのない戦争をやったんや、当時の日本人は阿呆やったんか?」と思えてしまうわけだが、優秀な若い奴を集めてしがらみなく検討させれば、不都合だが合理的な判断は下せたのである。問題はその先、現実には合理的な判断は採用されず、トップの思い込みと部門間の力学、そして空気が物事を決めていき、結論に都合のいい皮算用がねつ造されさえする。で、勝てない戦争に負ける。

日露戦争の成功体験に目を曇らせて判断を誤り、日中・太平洋戦争の敗戦に至る道筋を、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」からバブル崩壊を経て30年以上にわたる平成の凋落に重ねてみる向きはあるが、自分にもどうしてもそう見えてしまう。結局日本の課題は、不都合だが合理的な根拠や事実を真摯に受け止めて、組織の力学を飛び越え、我田引水したがる利害関係者を黙らせ、(時には痛みを伴い、効果が出るまでに長い時間がかかる)本質的な対策を行えるか、そういうことができる組織を作れるか、ということにあるのだろうなぁ。歴史上2回目の失敗を繰り返そうとしているというのには、日本社会や日本文化が抱える本質的な瑕疵の存在があるような気がするのが非常に辛い(自分も恐らくその一端を担っているのであろうことも。)

戦争に関する本を沢山読んで研究しているわけではないが、そもそも当時の人たちが日中・太平洋戦争をどのように考えていたのか?については
加藤陽子「それでも日本人は戦争を選んだ」
当時の大本営の資源計画がいかに杜撰であったか、シーレーンの崩壊が実際にはどのように推移したかについては
大井篤「海上護衛戦」
が役に立った。本書を読んでみようという人の参考になると嬉しい。

  

『日本軍と日本兵 米軍報告書は語る』著:一ノ瀬俊也

日本陸軍というと、人を人と思わぬ自殺攻撃一辺倒という印象があったが、それが半分あたりで半分外れということが分かる本。日本側の資料は今の公文書と同じくろくに残っていないので、アメリカの資料(Intelligence Bulletin)を元に書かれている。

さて、日本陸軍の歩兵部隊が機材に勝る米軍に対して取った戦術がどうだったのかというと、第一に思い浮かぶイメージというと三八式歩兵銃に銃剣つけて、大声上げて無謀な自殺突撃を行う、というのがあるが、本書によるとさにあらず、白兵戦は忌避していたようで、機関銃を使ってみたり、待ち伏せ作戦をしてみたり、狙撃兵を有効に使ったり、戦場によっては組織的な撤退をやってみたりと色々試みてはいたようだ。硫黄島作戦の持久作戦は栗林中将の個人的な創意工夫かと思いきや、その前の東南アジアでの戦いから色々試みられていたというのは目から鱗。やはり物事を過度に単純化して捕らえてはいけないか。とはいえ、対戦車兵器の開発は不足していたし、肉弾戦術は常用していたし、まぁ結局のところ負けるべくして負ける戦に相当悪い負け方をしたというのは大筋としては変わらないようである。また、1944年から45年頃になって陸軍が良く戦いすぎたが故に、「戦争を早期に終わらせてアメリカ兵の犠牲を減らす」という原爆投下の大義名分を与えてしまったのは皮肉に思える(これもそれだけの理由ではなかっただろうが。)

戦傷者へのひどい扱いと対照的な死者への丁重な弔い、日本人の性質を利用した捕虜からの情報収集等、「全然ダメじゃねぇか!」と国際的にも有名で、ともすれば現代の我々にも見られるような、気が滅入るような日本人のアレな所もバッチリである。

というわけで、巷間いわれる日本陸軍のイメージをいくらか覆してくれる一冊ですので、私のように余り詳しくない人は読んでみるといいのではないだろうか?

『戦争は女の顔をしていない』著:スヴェトラーナ・アレクシェービチ 訳: 三浦 みどり

第二次世界大戦の独ソ戦に従軍したソ連軍女性兵士達の体験談を集成したもの。戦時性暴力、飢餓、人肉食、赤子殺し、本書は悲惨な体験のデパートで、子どもの頃に聞いた戦争体験や、日本だと8月15日前後に増える第二次世界大戦を回顧する番組で、戦争体験者が語る体験に非常に近い。洋の東西を問わず、第二次世界大戦は本当に壮絶で悲惨な戦争だったのだろうということがよく分かる。そして恐らく、今も地球のどこかで起きている紛争や武力衝突と呼ばれるものも、同様にひどいものなのだろう。

共産主義、社会主義国の息苦しさ、上流階級のテクノクラートではなく、特に地べたで生きている大多数の人たちの息苦しさ、みたいなものは、理解できるような理解できないような。それも自由主義の国から見た身勝手な視点なのかもしれないが。

一人の回想録だが、傷痍軍人の手記という意味では「アメリカン・スナイパー」と対比したくなる。あの本はマッチョなアメリカ人男性、しかもSEALS隊員という極めつけのマッチョ男性の視点から書かれているものなので、なんとなく勇ましい書き方がされている。それに対して本書の筆致は、まさに若い頃の悲惨な体験を引きずりながらなんとかかんとか生きてきたおばあさんが、時には涙を目に浮かべながら、語ったのだろうなというのが分かるような気がする(過剰なイマジネーションかもしれないが)。