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『転生! 太宰治 転生して、すみません』 著: 佐藤 友哉 挿画:篠月 しのぶ

玉川上水に入水して心中したはずの太宰治が2017年に転生した、というところから始まるコメディ?失礼な言い方をするなら「帰ってきたヒトラー」も似たような作品ですかね。あっちは社会風刺の効いたコメディですが、こっちはあくまで小説家ですので、純粋にエンターテインメントって感じです。後書きまでそれっぽいので、この本全体が転生した太宰治によるもの、ということなんでしょうか。

佐藤友哉先生というと、私の場合「物語シリーズ」で有名な西尾維新氏が出てきたあたりの若い頃の作品をチラッと目にしたことがあるくらいだったと記憶しています。文芸誌ファウストで

惜しむらくは太宰治は教科書に載っていた「走れメロス」くらいしか読んだことがなかったということです。読後に青空文庫でいくつか出だしだけかじってみると、確かに本書のような文体で句点の使い方が印象的。なんとなくヌルヌルした感じの言葉遣いです。そんな状態で読んでも普通に面白かったんですが、下知識があればもっと面白いんでしょうか?下敷きになっている諸作品や、そこから滲み出る往時の太宰の性格や生き方をあれこれ想像するのは、後世の人間の特権ですね。

扱われる事象も現代的ですし、太宰治の作品と生涯に興味を持つきっかけとして良い作品の1つなのではないでしょうか?

『日の名残り』著:カズオ・イシグロ、訳:土屋政雄

ノーベル賞受賞作である。昨年からノーベル文学賞受賞作家の本は読んでみることにした。さて、本作は七つの海を支配した大英帝国の落日を、イギリスっぽいものの代表格「執事」であるスティーブンスの旅と、追憶の過程を通じて懐かしむという作品のようである。

日のなごりというタイトル、大英帝国の落日というテーマ、老いてくたびれたスティーブンス……といった作中の要素、表現が、1つのモチーフで統一されている感じが非常に良くできているなぁと感じられる。不器用に「品格=公的な場で衣服を脱ぎ捨てないこと」という執事=古いイギリスの在り方を徹底したが故に生じた、沢山の後悔と悲しみをぐっと胸に秘めていて、ある種それを開放することになる旅の終わりのスティーブンスは実に胸に迫る。さんざ自分が何をどう考えてきたのかを言葉にしてきた中で、あの描写は実にズルい。

ヒロインは結婚しており、スティーブンスも会話の中では「ミセス・ベン」なのだが、地の文(スティーブンスの心中)では変わらず一緒に居たときの「ミス・ケントン」であり、何十年ぶりに会った彼女の容姿の描写も非常に好意的に内心で語られている。そんな回りくどい思慕の描写が実にエモい。

ちなみに、スティーブンスのイメージは、作中の時代は半世紀ほど前のことだが完全に森薫先生の『エマ』に出てくるスティーブンスで、森先生には感謝しかない。おかげさまで本書をとても楽しむことができた。

 

 

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『沈黙』著:遠藤周作

比較的宗教に寛容だといわれ、イスラエルや中東で繰り広げられている宗教を巡る争いや暴力に無縁と思われがちな日本ですが、かつては苛烈な宗教弾圧を行っていました。歴史の教科書では「隠れキリシタン」とか「踏み絵」とか呼ばれるトピックで取り扱われる江戸幕府のキリスト教弾圧です。本作はこれに題材を取った作品で、日本のキリスト教文学の白眉だそうです。最近外国の監督が映画にしていました。

テーマは「神の沈黙」、ストーリーは一本筋で、主人公である宣教師が、江戸時代の長崎で拷問に耐えかねて棄教するまでが描かれます。貧困、不潔、飢え、悪臭、痛み、梅雨の不快な湿度といった情景の描写が巧みで、とかく主人公が置かれる過酷な環境がこれでもかと描かれます。私はキリスト教徒ではないので、彼らの神に対する考え方は断片的にしか分かりませんが、信仰、良心と現実の厳しさの間で揺れ動く主人公の心情が身に迫りました。対して弾圧を行う日本人の役人達は血も涙もない人間として描かれ、命の価値が現代とは違うとはいえ、よくもまぁ他人に対してここまで冷酷になれるものだと思わされます。いやはや、すごい作品です。

もう一人の重要な登場人物はキチジローという日本人です。彼はキリスト教徒ではあるのですが、暴力に即座に屈して踏み絵をしてしまうような「弱い人間」です。そんな彼も、おそらくはキリスト教に対して追い風が吹いていた時代ならば敬虔な信者として生涯を送れたであろうに、向かい風が吹く作中の時代には酒に逃げるわ主人公を売るわで、一言で言うなれば「人間のクズ」。キリストの教えとそれを奉じる主人公は彼をも許しうるのか、というのも作品の柱です。

本作はキリスト教をテーマにしていますが、置かれた状況と本人の選択(それすら少しの手違いで違った物になっていたかもしれない)の結果そうなってしまった「醜く、貧しく、卑屈で、怠惰で……etcおおよそ付き合いたいとは思わないような人々」にいかに手をさしのべるのか、というのは僕らにも突きつけられる問題だよなぁと思います(自分がそちら側に回るかもしれないということを含めて。)

キリスト教に限らず人間社会の普遍のテーマを、巧みな文章と説得力のあるストーリーで編み上げた名作、現代にこそ読まれるべき一冊でしょう。

 

『高慢と偏見』著:ジェイン・オースティン 訳:富田彬

ジェインオースティンの恋愛小説。田舎町でジェントリー階級のベネット家の5人姉妹、ビングリー氏、ダーシー氏らの結婚を軸とした人間模様を描く作品。主人公はベネット姉妹の次女エリザベス(リジー)。

色々な訳者が日本語に訳している作品だが、私が読んだのは岩波文庫版。最初は取っつきにくかったが、2分冊の上巻を半分くらい読んだところで慣れてきた。この訳は代名詞がとてもわかりにくくて、誰がしゃべっているのか全然分からなかった。光文社の古典新訳が割と良いと聞くのでそちらがオススメかも(立ち読みもしていないので何ともいえないが)。

作中で「性格研究」と表現される人間の性格、心理描写、人間観察の描写が巧みで、確かに名作と言われるだけのことはあるように思う。当時女性には独立生計の道がなかったので、ある意味現代の日本以上に男性の財力が重視され、まぁ生々しいったらありゃしない。主人公のリジー、姉のジェーン(ベネット家の長女)、主人公の友人などなど、作中の女性の十人十色な結婚の様子は見物だった。著主人公のジェーンとその相手の人間関係は個人的には割と理想的な印象を受けるのだが、この辺200年前のイギリスと感覚が一致するのは人類社会に普遍的なものなのか、あるいはこの作品から影響を受けた様々な作品から僕の結婚観や恋愛観が形作られているのか。

ちなみに、作中の様子をイメージするのに役立ったのは森薫先生の『エマ』だった。もし本作に挑戦される方がいれば、是非読まれることをオススメしたい。

「高慢と偏見」とはおおよそ恋愛小説っぽくはないタイトルだが、何が高慢で、何が偏見なのかは読んでのお楽しみということで。読めばちゃんと分かります。

 

『冴えない彼女の育てかた Girls Side2』著:丸戸史明 挿画:深崎暮人

何度か感想を書いているシリーズの最新作。実質的に、最近感想を書いた9巻の続き、実質的な10巻です。

Girls Sideと銘が打ってあるように、主人公対ヒロインの話ではなく、主人公がほぼ蚊帳の外でヒロイン同士のやりとりが描かれるストーリーです。まぁ話の軸は”メインヒロイン”加藤恵と、サークルを抜けてしまった原画担当、澤村・スペンサー・英梨々の仲直りです。とはいえ何人もいるヒロインたちがそれぞれ創作へのモチベーションを得る、あるいは再認識する話でもあって、英梨々が書いた「傑作(作中で発売されるゲームのキービジュアル)」が与えたインパクトをヒロインが消化する話なんだなぁと。主人公に関しては、最初からウザいと言われるくらいのぶれない軸がありますからね。

最近、生きるうえでモチベーション、というかそんな高尚なものではなく「〜したい」っていう気持ちって大切だなぁと思うので、本巻はとりわけ面白く読みました。やっぱり自分の醜さやいやらしさみたいなものにも向き合ってそこから引っ張ってこないと、「〜したい」っていう強い気持ちを得ることはできないのだなぁと思いますね。自分が何をしたいのかって分かってないと、物事をやるやらないが決められないんですよね。ホント、実に面白かった。

小説である以上は言葉で語らないとダメなわけですが、ヒロインが言いよどんでいるセリフの裏に、色々考えているんだろうなぁという人格の厚みをふと感じた りする。それが著者の言うところの「面倒くさい」ということなのかもしれませんが、現実の人間も大体そんなもんだよなぁと思ったりする。言葉にしてくれませんからねぇ、ええ。何度か書いてますが、その辺が本作の魅力ですね。

アニメ2期楽しみにしています、ブヒブヒ。

 

『秘密の花園』著:フランシス・ホジソン・バーネット、訳:土屋京子

どちらかというと児童文学に入るような気がしますが、新潮文庫の新訳で読みました。

あらすじ
インド生まれの主人公の少女メアリは、コレラで両親を亡くし、その後イギリスのヨークシャーに住むおじさんのお屋敷に引き取られる。そのおじさんは奥さんを亡くして以来一年の大半を海外で過ごしており、奥さんが大切にしていた庭園「秘密の花園」を閉ざしてしまう。なりゆきで秘密の花園の話を聞いたメアリは花園探しを始め、その花園にはやがて屋敷のメイドの弟で、動物と話ができるディコン、おじさんの息子でネグレクトに近い虐待を受けていたコリンが集い、秘密の花園やヨークシャーの自然とのふれあいの中で屋敷に変化が訪れる。

ライトノベルをよく読むせいか、例えば『僕は友達が少ない』のような、文化部の部室にいろいろ事情を抱えた子どもたちが集まって、そこで癒やされたり、勇気をもらったりして成長していく話のように読めました。要するに部室=秘密の花園というわけです。そういう癒やし合うコミュニティのようなものって、実は人一倍そのコミュニティの維持のために陰に日向に頑張っているキャラクターがいたりするよねというのも、本作でいうところのディコンに相当する役回りで一緒だよなぁなどと思ったり。

訳の自然の描写が美しく、ちょっと晩冬から初春にかけてヨークシャーに行ってみたくなる一作。

『ほうかごのロケッティア – School escape velocity』

個人的には超科学部モノとでも呼べるジャンルがあると思っており、例えば女子高生が自律制御型戦闘機を修復して飛ばしてしまう『ピクシー・ワークス』のように、学生が、現実にはあり得ないような高度な機械などを作ったり修理したりしてしまう作品である。ライトノベル界のロボコンとでもいえばいいだろうか?本作もそれに繋がる一作である。

副題がSchool Escape Velocityとあるように、ガガガ文庫お得意のスクールカーストもの、中学校や高校の教室の閉塞感をぶっ飛ばす象徴が、ロケットなのである。いじめや少女売春(いわゆる援助交際ね)などで学校にいられなくなったすねに傷持つ学生たちが集まる南の島(明らかに種子島モチーフ)の私立高校で、過去に同年代のアイドル歌手「クドリャフカ」を再起不能に追い込んでしまった主人公「褐葉貴人」は、理事長の娘、「翠」の手足となって、進学クラスの人間関係のフィクサーをやっている。そこに貴人の過去を知るというか、クドリャフカの中の人である「久遠かぐや」が彼のクラスに転入してき、彼女の携帯電話に宿った超次元生命体を宇宙に送り届けるためにロケットを作れと命じる。話は無駄にセクシーな図書室司書(なぜ彼女が物語に絡むのかはぜひ読んで)や、島にあるもう一つの工業高校のロケット部、町工場の爺さんも巻き込んで動き出す。。というもの。

モノを作っている描写がよくできていて、著者はエンジニアの経験があるのだろうかという感じ。実際のところロケットみたいな複雑なモノを作ろうと思ったら計算ができるだけでも、プログラムが作れるだけでもダメで、実は全体を俯瞰的に見渡して、スケジュール組んで、マネジメントをする役が必要なんだけど、その辺の役割分担の描写が結構某プロジェクトXっぽい。そんなものづくりに夢中になる主人公たちを引き立たせるための、教室の閉塞感描写もなかなかのもの(実際のところあっけなく瓦解するんだけど)。途中で主人公たちは「やっちまう」わけですが、そこから再起する様も見ていて楽しい。

高校生が持つには大それた小物が出てくるのもフェチには楽しい。本作ならベスパ。『ピクシー・ワークス』とつい比較してしまうが、『ピ……』だとIWCのMark XVIスピットファイアとAKIRAの金田のバイク風の単車だろうか。

マージナル・オペレーションシリーズや艦これで大変有名になったしずまよしのり氏の最初期の挿画仕事であり、表紙の爽快感はなかなかのものである。氏のファンも是非。紙の書籍を新品を手に入れるのは難しいが、電子書籍なら今でも割と容易に手に入るので是非。

 

 

小説『ガンダムUC』著:福井晴敏

人々はそれを穀物ではなく
いつもただ存在の可能性だけで養っていた。

ようやく読み終わった福井晴敏作のガンダム小説全10巻.

主役メカはユニコーンガンダムなんて呼ばれるわけですが、ガンダム世界の暦である宇宙世紀Universal CenturyとUniCornのダブルミーニングにふさわしく、宇宙世紀ガンダムの約100年にわたる作中の歴史を総括するような作品。OVAですでに結末を知ってはいたのですが、小説で読んでみるとキャラクターの感情などがわかりやすい。読んでみると、アニメが尺の都合で色々とカットされつつ、それでも主要な流れを壊さないように非常に繊細にその作業が行われていることがよく分かります。原作もさることながら、アニメを製作したスタッフも本当に良い仕事をされたのだなと、あれだけヒットした理由が分かる気がします。

全編を通して主人公のバナージやヒロインのオードリーが様々な人とふれあいながら、最後に決意と行動を起こし、周囲の人を動かす、それに至るプロセスが丁寧に描かれるのが本作の特徴ですが、小説であるが故にその辺の描写も濃厚。特に、2人が決定的な影響を受けたであろう、砂漠でのジンネマンとバナージのやりとり、ダイナーの主人とオードリーのやりとり、個人的には本作屈指の名シーンだと思いますが、も大変すばらしい。これだけでも大満足です。

本作はガンダムの世界を借りてはいるけれど、結局技術が進んで人間が住んでいる領域が広がっているだけで、そこには貧困だったり差別だったり、大切なものを奪い去る暴力だったり、現実と大して変わりはない理不尽が相変わらず存在し続けています。現実の射影のような理不尽と不幸が描かれる作中に、物語らしく希望の光が指す本作それ自体が、やっぱり決して理不尽や不幸がなくならないこの世に想像力だけで養われている、ユニコーンそのもののような気がするのです。

上にも書いた私が一番好きなシーンが入ってるのはOVAの4巻。第1巻のモビルスーツ戦も大変素晴らしかったですが。

『潮騒』 著:三島由紀夫

非常に有名な三島由紀夫大先生の青春小説。伊勢湾に浮かぶ島、歌島を舞台に、漁師の青年新治と出戻ってきた美しい少女初江が恋をする。様々な障害が二人の恋路を妨げるが、なんだかんだいって結ばれる…。

プロットだけ見ると何というかよくある話のような、というか物語に描かれる恋愛というのは概ねそんな感じのような気がします。とはいえ、非常に優雅な?文体というか、自然や、特に初江の美しさを語る文章には読み継がれるだけのものを感じますし、新鮮な素材を上手く調理した和食のような味わいです。小説というのは、中に描かれた世界に没入し、現実から離れた作品世界を楽しむものであると同時に、表現や文体の妙を楽しむものでもあるのだなぁと思わされます。こういった文章自体を楽しむやり方は、現代の小説(とはいえいわゆる「オタク向け」のエンタテインメント作品に偏っていますが)ではあまりできないなと思いますね。どういう理由なのか?

作品の美しさ、面白さとは微妙に感じる点が1つ。少なくとも新治は18歳、初江の年齢はよく分かりませんが、お互いに裸で抱き合う場面はあってもつきあいはプラトニックだし、いかにも昭和的な純潔信仰というかなんというか、これも三島先生の美意識なんでしょうか?PTAの皆さんが泣いて喜びそうな作品世界で涙が出てきます、非常にもったいないですが、素直に好きと言えない気分です。作品の完成度の高さ、美しさもさることながら、教科書に採用される理由はこの辺にもあるのでしょうか?最後に三島先生すごいなぁと思った点が一つだけ、体つきを見ただけで、処女っぽいってのが分かるんだそうです、文豪ってすごい。

『永遠の0』 著:百田尚樹

一応名前と幾ばくかの評判を耳にしたことのある本ではあったが、読んだことはなかった一作。読んでみたら見事にはまってしまった。何せ、読んだその夜に夢に見たくらいに。

主人公とその姉は、歴戦の海軍航空兵で最後特攻隊で命を落とした実の祖父(祖母の最初の夫)宮部久蔵のルーツを辿るべく、ゆかりのある人々に連絡を取り、祖父の戦歴の聞き取りを始める。優秀なパイロットでありながら非常に命を惜しみ、時には臆病者とさえ言われた祖父久蔵の本当の姿はどうだったのか、長い道のりを経て2人はついに真相に至る…。正直最後は全く予想の外でした。なんというか、内容に熱中しすぎて伏線を考えるのを忘れるくらいでした。

主人公のあり方は僕を含めた現代の若者の一般的な姿であり、もう一人の主人公である久蔵も当時の人でありながら現代人に感情移入しやすい人物造形で、ページを繰る手が止まりませんでした。彼に感情移入して戦争を戦ってきたような気分になっていたがゆえに、物語終盤の久蔵の焦燥と絶望が、本当に心に沁みました。現実に多数の戦友や教え子の死を看取り、自分の死を目の前にしてどう考えてどう思うかなんて現代人の想像の外なのでしょうけど…。

日中戦争から、真珠湾、ミッドウェー、ガダルカナルに沖縄特攻まで、本作の中で語られる主人公の祖父久蔵の戦歴は、まさに太平洋戦争の戦史そのものです。戦争の流れ、日本がいかにアメリカと戦い,いかに無様に負けたかが手に取るように分かります。参考文献が巻末についている(その1つであり、中で隊長の美濃部少佐が言及されている芙蓉部隊の戦記『彗星夜襲隊』のレビューはこちら。オススメです。)ので、本作を端緒にそれらを読めば、義務教育では教えられない太平洋戦争の全貌もつかめるようになるかなと思います。面白いフィクションを読んでは、その題材について掘り下げるという人生を送ってきましたが、私の目からすると太平洋戦争に関して、本書はその役割を担い手たるに十分だと思います。平和を志向するならばなおのこと、戦争についてよく知らねばならんと思うのです。世の中きな臭くなってきていますし、自分自身や友達、子々孫々を戦争に巻き込まず、二度と国土を戦火で焼かず、諸外国の皆さんにご迷惑をかけないために、一度きちんと学ばなければならんのだろうなぁと思います。

特攻を命じた海軍上層部、そもそも人命軽視の作戦計画、兵器の設計(零戦の場合、高馬力エンジンを作れなかったときにどうにか勝てる飛行機を作ろうとした技術者の苦心の成果ともいえるのかもしれませんが)が、本作では徹底的に批判されているのですが、その様には、いわゆるブラック企業の経営者が、特に下っ端で働く兵卒相当の人間のことを人と思わず、代わりはいくらでもいるとそれこそ死ぬまでこき使う様子がダブります。そのために緩やかに負けに向かっている様子は、どうも日本人という民族の精神性は、先の大戦から余り変わっていないのではないかと思ってしまいます。嫌ですね。

本作はフィクションではありますが、今を生きる日本人すべてにとって、自分の祖父母、あるいはもっと先祖に当たる人たちは確実に太平洋戦争を経験しているということはノンフィクションです。一人一人に宮部久蔵に相当する人がいて、いわば「永遠のゼロ」があるのです。それぞれが戦争の極限状態の中で何かを見て、思って考え、そして手のひらを返した戦後の日本を生きて、自分へと血をつないできたのです。私自身既に鬼籍に入っている祖父(戦死はせずありがたいことに無事に復員できたのですが)がどこでどんな軍歴をたどったのか、調べてみたくなりました(今でも厚生労働省にしかるべき手続きを取って請求すれば、軍歴を知ることができるようです)。作中でも主人公が言及していますが、ここ何年かが太平洋戦争について体験者の肉声を聞くことのできる最後のタイミングなのではないかと思います。従ってこんな作品が現代に書かれ、広く読まれているのは、大変意義深いことだなぁと、勝手に思うのです。