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『神々の山嶺 1〜5』 原作:夢枕獏 画:谷口ジロー

エベレストに初めて登頂したジョージ・マロリー卿が残したカメラと、そこに残されているはずの初登頂の証拠のネガフィルムをめぐって繰り広げられる濃厚な人間ドラマ。そこに、深町と羽生という山に魅せられた二人の男の人生が絡み合う。

原作を夢枕獏、作画を谷口ジローで分担しており、人物から登山器具、果ては国内海外の山の風景まで、全五巻に渡って濃厚なストーリーと緻密な作画が物語を彩る。個人的には今回初めて読んだが昔から有名な作品で、インターネット上で数々のコラージュが作られているが、それを抜きにして正統派の登山マンガとして面白い作品だった。

登山をテーマにしたマンガをいくつか読んだことがあるが、大体同様の展開になるというか、やはりとにかく己の身体一つで頂を目指す登山に魅せられた人というのは孤独になり、それが故に己と向き合い、周囲から孤立し……時々山に殉ずる……という展開になりがちな気がする。とはいえ、どれを読んでも割と面白くなってしまうのは登山が人類普遍のロマンだからだろうか?しかしさすがは『孤独のグルメ』の谷口ジロー、山の上のテントの中で食べているビスケットやインスタントスープが実に美味そうなのだ。

『神々の山嶺』 第5巻 P.25より引用

『湾岸MIDNIGHT C1ランナー』著:楠みちはる

この長距離巡航のコツのエピソードを読みたくて買ったシリーズ。

楠みちはる『湾岸MIDNIGHT C1ランナー』6巻 75ページより引用

楠みちはる『湾岸MIDNIGHT C1ランナー』6巻 79ページより引用

前作にも出てきた自動車チューナーの一つであるRGOのステッカーを付けたRGO非公認のRX-7が最近首都高に出没するらしい……というところから始まる名作、湾岸MIDNIGHTの続編。前作に登場した人物や車に加えて、例の野良RX-7のドライバーであるノブは、インターネット、スマホ時代の自動車・自動車チューニング雑誌のあり方を模索する会社GTカーズの経営に巻き込まれながら、周囲の大人達に教えられたり、大人達に刺激を与えたり……という人間模様が描かれる。

首都高でレースをするのは変わらず湾岸ミッドナイトなんだが、本作はちょっと違う味付けで、上の世代の大人たちが、これから世の中に出ていく下の世代に何をしてあげられるかを考えているシーンが多かった。時代設定がバブルの時代から動かなかったように見えた無印と違って今作はハッキリと2010年前後が舞台なので、チューニングカーというものがはっきり昔の代物になってしまっているがゆえに、次の世代に何を残すのかみたいなトーンになったのかなと思った。

主人公のノブも、自分より少し下の世代の等身大の若者って感じで親しみが持てた。前作の主人公のアキオは、だんだん悟りを開いた仏法僧というか、首都高の付喪神みたいになっていったので……。で、最後の最後に少しだけ悪魔のZが出てくるのだが、本当に首都高に取り憑いていて、ミッドナイトブルーのS30Zの形をした妖怪みたいな扱いになってて少しクスッときた。このシーンはノブが首都高を走るドライバーとして、悪魔のZに見える資格を得たという解釈をするべきなのだと思うが。

本作のタイトルの首都高のC1(都心環状線一号)だが、実際走ってみると直線がほとんどなく、クネクネ上下左右に曲がるのでワインディングロードのようで結構楽しい(速度によっては怖く感じる。)ドライビングプレジャーがある道であるのは確かなのだが、ここで300km/hでレースをされると迷惑極まりないな、と思う。そういう意味で湾岸ミッドナイトはあくまでフィクションであり、フィクションであるがゆえに面白いのである。

ちなみに首都高に乗るときは箱崎インターで降りることが多いのだが、必ず道を間違えて一つ先の木場で降りることになってしまう。木場は木場で昔の生活圏なので懐かしさがあるといえばあるのだが。

 

『アベンジャーズ/エンドゲーム』 監督:アンソニー・ルッソ、ジョー・ルッソ

2018年くらいからたまたま海外出張の際の機内映画で見て、「面白いやんけ」となって見始めたMCU(Marvel Cinematic Universe)作品。先日公開が始まった『アベンジャーズ エンドゲーム』を以て大きな一区切りを迎えました。本作につながる過去の作品を見ていると「ニヤリ」とする描写をそこここに組み込みつつも物語を二転三転させ、納得の大団円に持っていくという奇跡の3時間。日本映画の当たり年、2016年のヒット作に負けず劣らずの一作でした。2時間級の長編映画を20本以上見ないと本当の面白さは分からないというなかなかスパルタな映画ですが、見ると見ないとでは大違いだと思うので、可能な限り関連作を見てから臨むべし。

5月6日を以て公式にネタバレ解禁とはなっていますが、以降でネタバレしていますので、閲覧にはご注意を。

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『1518!(7)』著:相田裕

故障で野球の夢を諦めざるを得なくなった男子高校生が、高校の生徒会のハチャメチャな活動を通じてセカンドキャリアを見つけていく物語。まだまだ読みたかったのですが、残念ながら完結です。

学校というと、「いじめ」と呼ばれる暴力や教員の過酷な労働環境等、現実には必ずしも楽園ではないのだけれど、色々なキラキラが詰まった場所であることもまた事実。本作は本当に丁寧に、学校と、そこで頑張る高校生活のポジティブな面を描いてきた作品でした。相田先生は本作が商業連載2本目なんですが、1作目の『Gunslinger girl』と同じく「取材に基づいて緻密に設定された舞台の上で」「残酷な運命に挫折して傷ついた人たちが立ち直っていく過程を丁寧に描く」という部分が共通していて、それが作品世界への没入感と登場人物への共感につながるのかなと思ったりしました。次回作はどんな作品になるのでしょうか?楽しみです。

「普通の」学生生活を描いた作品として、とてもよくできている作品です。登場人物同士が関わり合いの中で人間的に成長していく様子が丁寧に描かれていて、心が洗われるようです。個人的に大変オススメな作品です。

過去の感想はこちら

『シャーリー・ホームズと緋色の憂鬱』著:高殿円 挿画:雪広うたこ

シャーロック・ホームズには二次創作にあたる「パスティーシュ」という物が多数作られており(様々な作品に様々な二次創作物が連なる現代の日本においては珍しくもないわけだが)、それに連なる一作。「シャーリー」というタイトルから分かるようにホームズもワトソン(ジョン・ワトソン→ジョー・ワトソン)もレストレード警部(グロリア・レストレード)もモリアーティ教授(ジェームズ・モリアーティ→ヴァージニア・モリアーティ)もみんな女性化しており、舞台は現代、主役二人を中心に設定も大胆なアレンジが為されている。

「大胆な」アレンジと書いたが、その設定が不要で不快かと言われると全くそのようなことはなく、これぐらいブリブリの設定は大好きである。ホームズとワトソン、二人とも大変魅力的な人物で、関係性は今風に言うならば「尊い」というやつ。いわゆるところの「百合」好きなら読んで損はないだろう。個人的に惜しむらくは、ロンドンの地名や地理に疎かったところ。実在の都市な訳だから旅行ガイドブックか、グーグルマップでも見ながら読めば良かったかもしれない。実際に行っていればより一層楽しめただろう。

書き下ろしではなく、雑誌に連載された小説の集成で続き物の第一巻という感じで、色々思わせぶりな断章が含まれており、是非とも続きが読みたい(このまま続刊が出ないと個人的には生殺しである)。

『Landreaall(32)』著:おがきちか

年に2回の新刊が出ました。今回はアトルニアの職業の話と、次の大きなクエストが始まる話。

前半はアトルニアの職業の話、「何十年かに一度の王様の戴冠式で王冠を運ぶ職業を代々受け継いでいる祖父と子どもの話」と、「暴れん坊将軍DXが、中間搾取が酷い派遣業者に手入れをする話」の2部構成です。良いファンタジーやSFって、現実の風刺画になったりしますが、今回はなんかそんな感じでした。王冠を運ぶ仕事は、「そんなものが仕事になるのか?」と現代の感覚では思いますし、後者のエピソードで出てくる仕事は現代でもありそうな話で……。「誰にでもできる仕事」って足下を見られがちですが、それができるなら「ちゃんと暮らしていける」べきだよなぁと思います。現代も結構怪しいですね……。

後半は王城の地下のダンジョン攻略でトラブルが発生します。エピソードの始まりで事態は混乱を極めて終わりますが、はてさてどうなっているのでしょうか?エピソードの緊迫感とは別で「騎士と姫君という関係性の否定」をあれほどロマンティックにやってのけたDXとディアの仲が、大仕事をやっている現場に差し入れするくらいにアットホームなのはちょっとほっこりしますね。

次は半年後です。

他の巻の感想はこちら

  

『違国日記』著:ヤマシタトモコ

交通事故で急死した姉の子ども田汲朝(たくみあさ)を引き取る少女小説作家の女性高代槙生(こうだいまきお)が主人公のお話。

槙生は不器用だけど非常に優しい人柄で、言葉を使って他人、特に年若い少女達に物事を伝える仕事をしているだけあって、繊細な感性で物事を捉え、考え抜いた自分の信念に従っている感じが大変好ましい。朝を引き取るときも、

と言い放ちます。こういう考え方は槙生とお姉さんとの関係性から来るものでもあるわけですが、決して良い関係とは言えなかった姉の子どもである朝に対して、こうして誠実に限界を提示しつつも気の毒な目に遭った未成年者への優しさを見せられるのは大変好ましく思えました(親が親なら……と考えてもおかしくないと思うんですよね。)。

この他元恋人の男性や、学生時代からの友人なんかも出てくるんですが、その人達も、その人達との関係性も、お互いに理解と思い遣りがあってとても素敵です。

なんとなく冷たくて綺麗な川の底みたいな感じで実に読んでいて心地良い作品です。現在2巻まで出ていますが、続きが楽しみです。

 

『万引き家族』 監督:是枝裕和

東京都北部の古い家に暮らす5人の老若男女、一見家族に見えるが、その実全く血のつながりはない。この家族の生計は「祖母」初枝の年金、「父」治の建設現場での日雇い労働、「母」信代のクリーニング屋でのパート労働、そして万引きで成立している。ある冬の日「父」治は「息子」祥太との万引きの帰り、虐待されベランダに追いやられていた「娘」ゆりを拾う。当初は信代と共に親元に返そうとするが、ゆりの生家から漏れ聞こえる夫婦の口論とゆりの体の傷から虐待されている事を知り、結局手元に置いてしまう。そこから1人メンバーを加えて6人の「万引き家族」の暮らしが始まるが、重ねた罪と過ぎていく時間は、家族がそのままあり続けることを許さなかった。

そもそも「万引き」は犯罪であり、許されるものではない。治は祥太に詭弁を弄するが、この世に存在する商品は誰かの手になり、正当な対価を払って店頭にある以上、万引きは経済の営みを乱す窃盗である。そして虐待されているとはいえ、ゆりを家に置くこともまた犯罪である(親権者の保護を受けられない未成年にはしかるべき福祉が提供されている、少なくとも建前上は提供しようとしているし、現場では一人でも多く救おうと努力されているはずである)。祥太を学校に通わせていないことから、「親」として社会的に果たすことを求められる義務を果たしていない。治も信代も、ある事情で失業した後、働けるようになっても再就職先を探したりしておらず(日雇いの仕事では労災が降りなかったり、簡単に解雇されたりと世知辛いが)、年金の不正受給、車上荒らしと犯罪を犯すことに躊躇もなく、言うなれば「ダメ人間」である。フィクションの登場キャラクターとしてならともかく、家族、友人、近隣住民に彼らのような人々を受け入れたいと思う人は多くはないだろう。そして恐らく、現実に本作のような事件が起きたとき、我々が彼らのような事件関係者に抱く印象は、本作の後半に登場する「一般の人々」のそれであろうと思われる。しかし、本作で視聴者はこれでもかと彼らの家族のだんらんを見せられるため事件の「裏側」を知っており、それゆえに現実とは異なり彼らへの印象が「揺らぐ」。きっと監督は言いたいのだろう「想像しろ」と。目の前にいる「困った人」も何か事情を抱えた「困っている人」かもしれないと。狭い自分の了見だけで、安っぽく、薄っぺらい正義感を賢しらに振り回すなと。

ぜひ、俳優のセリフを良く聞き、演技の一挙手一投足、演出の妙をよく見て欲しい。本作はそれらのすべてで、視聴者に問いかけてくる「彼らは家族か?」と。私※は見た上で断言する「彼らは確かに家族である。」と。

2018年劇場公開

※アニメや漫画、ゲームには、結構古くから非定常型の家族(『リリカルなのは』には血縁のない家族が沢山出てくるし、『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』の鉄華団、『マージナル・オペレーション』のやがて去る子どもたちの国等々)が登場するため、私の解釈にはバイアスがかかっているかもしれないが。

『Landreaall (31)』著:おがきちか

本ブログで定期的に追いかけているファンタジー漫画。

前巻でアブセント・プリンセス編が完全におしまいで、この巻から本格的に次のエピソードに移行という感じみたい。DXが風花山脈からウルファネアにたどり着くまで、ディアの過去、そしてルーディとライナスの商売の話に+αという感じ。ずっとアトルニア王国やアカデミーのことをやっていましたが、これからは少し、1〜3巻のような竜がらみのエピソードが出てきたりするんでしょうか?巻としてはお話の種まきをしている状況で、ここでちりばめられた伏線が後々回収されるのでしょう。

特装版の特典冊子は『六甲の冒険』。DXたちがいるLandreaall世界の此岸ではなく、彼岸のような世界のお話です。いずれこの辺の事情も本編で語られるのでしょうか?

これまでの巻の感想はこちら

『日の名残り』著:カズオ・イシグロ、訳:土屋政雄

ノーベル賞受賞作である。昨年からノーベル文学賞受賞作家の本は読んでみることにした。さて、本作は七つの海を支配した大英帝国の落日を、イギリスっぽいものの代表格「執事」であるスティーブンスの旅と、追憶の過程を通じて懐かしむという作品のようである。

日のなごりというタイトル、大英帝国の落日というテーマ、老いてくたびれたスティーブンス……といった作中の要素、表現が、1つのモチーフで統一されている感じが非常に良くできているなぁと感じられる。不器用に「品格=公的な場で衣服を脱ぎ捨てないこと」という執事=古いイギリスの在り方を徹底したが故に生じた、沢山の後悔と悲しみをぐっと胸に秘めていて、ある種それを開放することになる旅の終わりのスティーブンスは実に胸に迫る。さんざ自分が何をどう考えてきたのかを言葉にしてきた中で、あの描写は実にズルい。

ヒロインは結婚しており、スティーブンスも会話の中では「ミセス・ベン」なのだが、地の文(スティーブンスの心中)では変わらず一緒に居たときの「ミス・ケントン」であり、何十年ぶりに会った彼女の容姿の描写も非常に好意的に内心で語られている。そんな回りくどい思慕の描写が実にエモい。

ちなみに、スティーブンスのイメージは、作中の時代は半世紀ほど前のことだが完全に森薫先生の『エマ』に出てくるスティーブンスで、森先生には感謝しかない。おかげさまで本書をとても楽しむことができた。

 

 

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