本の感想」カテゴリーアーカイブ

『剣と魔法の税金対策 全6巻』著:SOW イラスト:三弥カズトモ

なんとなく日本の税制のに似た仕組みで諸々が運営されている世界で、魔族の魔王と人間の勇者、そして主人公の「ゼイリシ」クゥが手を携え、次々と巻き起こる税金にまつわるトラブルに立ち向かう話。全六巻なので場所も取らず、お財布にも優しい。

おそらく橙乃ままれの「まおゆう」あたりを始祖とする、「勇者による魔王討伐のその後」に「ラスボスを倒しても解決しない、本当の世界の問題に立ち向かう」作品の1つで、物語自体読んでいて非常に面白かった。個人的すごくハマるジャンルの作品なので……。

本シリーズはファンタジー作品として面白いだけでなく、世界設定や物語のネタ元になっている日本の税制についての下調べがしっかり(少なくとも自分が理解している範囲では)していてちょっと頭がよくなった気になり、何ならそこから掘り下げることで税に対するリテラシーが向上して現実の生活にも役立つ良書である。本書を読んでいると、給与明細を見て毎回ため息をつく税金(実際のところ高いのは所得税でも住民税でもなく、厚生年金なら会社負担分含めて記載分の2倍払っている社会保険料なのだが)も、まぁ捨てたものではないのだなと思えてくること請け合いである。あるいは、本書の中でチクチク指摘されている日本の「失政」に対して、ムカッ腹が立つ人もいるかもしれない。ちょっとしたボタンの掛け違いで、ここまでひどいことにはなっていなかったんじゃないかと……。

剣と魔法の税金対策

『神々の山嶺 1〜5』 原作:夢枕獏 画:谷口ジロー

エベレストに初めて登頂したジョージ・マロリー卿が残したカメラと、そこに残されているはずの初登頂の証拠のネガフィルムをめぐって繰り広げられる濃厚な人間ドラマ。そこに、深町と羽生という山に魅せられた二人の男の人生が絡み合う。

原作を夢枕獏、作画を谷口ジローで分担しており、人物から登山器具、果ては国内海外の山の風景まで、全五巻に渡って濃厚なストーリーと緻密な作画が物語を彩る。個人的には今回初めて読んだが昔から有名な作品で、インターネット上で数々のコラージュが作られているが、それを抜きにして正統派の登山マンガとして面白い作品だった。

登山をテーマにしたマンガをいくつか読んだことがあるが、大体同様の展開になるというか、やはりとにかく己の身体一つで頂を目指す登山に魅せられた人というのは孤独になり、それが故に己と向き合い、周囲から孤立し……時々山に殉ずる……という展開になりがちな気がする。とはいえ、どれを読んでも割と面白くなってしまうのは登山が人類普遍のロマンだからだろうか?しかしさすがは『孤独のグルメ』の谷口ジロー、山の上のテントの中で食べているビスケットやインスタントスープが実に美味そうなのだ。

『神々の山嶺』 第5巻 P.25より引用

『湾岸MIDNIGHT C1ランナー』著:楠みちはる

この長距離巡航のコツのエピソードを読みたくて買ったシリーズ。

楠みちはる『湾岸MIDNIGHT C1ランナー』6巻 75ページより引用

楠みちはる『湾岸MIDNIGHT C1ランナー』6巻 79ページより引用

前作にも出てきた自動車チューナーの一つであるRGOのステッカーを付けたRGO非公認のRX-7が最近首都高に出没するらしい……というところから始まる名作、湾岸MIDNIGHTの続編。前作に登場した人物や車に加えて、例の野良RX-7のドライバーであるノブは、インターネット、スマホ時代の自動車・自動車チューニング雑誌のあり方を模索する会社GTカーズの経営に巻き込まれながら、周囲の大人達に教えられたり、大人達に刺激を与えたり……という人間模様が描かれる。

首都高でレースをするのは変わらず湾岸ミッドナイトなんだが、本作はちょっと違う味付けで、上の世代の大人たちが、これから世の中に出ていく下の世代に何をしてあげられるかを考えているシーンが多かった。時代設定がバブルの時代から動かなかったように見えた無印と違って今作はハッキリと2010年前後が舞台なので、チューニングカーというものがはっきり昔の代物になってしまっているがゆえに、次の世代に何を残すのかみたいなトーンになったのかなと思った。

主人公のノブも、自分より少し下の世代の等身大の若者って感じで親しみが持てた。前作の主人公のアキオは、だんだん悟りを開いた仏法僧というか、首都高の付喪神みたいになっていったので……。で、最後の最後に少しだけ悪魔のZが出てくるのだが、本当に首都高に取り憑いていて、ミッドナイトブルーのS30Zの形をした妖怪みたいな扱いになってて少しクスッときた。このシーンはノブが首都高を走るドライバーとして、悪魔のZに見える資格を得たという解釈をするべきなのだと思うが。

本作のタイトルの首都高のC1(都心環状線一号)だが、実際走ってみると直線がほとんどなく、クネクネ上下左右に曲がるのでワインディングロードのようで結構楽しい(速度によっては怖く感じる。)ドライビングプレジャーがある道であるのは確かなのだが、ここで300km/hでレースをされると迷惑極まりないな、と思う。そういう意味で湾岸ミッドナイトはあくまでフィクションであり、フィクションであるがゆえに面白いのである。

ちなみに首都高に乗るときは箱崎インターで降りることが多いのだが、必ず道を間違えて一つ先の木場で降りることになってしまう。木場は木場で昔の生活圏なので懐かしさがあるといえばあるのだが。

 

『老人喰い ーー高齢者を狙う詐欺の正体』 著:鈴木大介

「オレオレ詐欺」という言葉が広く知れ渡ってから何年経ったか記憶にないが、それは一向になくなる気配を見せず、一日に何百、何千万円、年間に何百億円ものお金が動く高齢者を狙った詐欺、その実態や原因に迫ったルポルタージュ。著者の鈴木大介氏は、貧困家庭などに生まれ育ち、表の社会に受容されないが故に反社会勢力などに取り込まれていく少年達を主に取材するジャーナリストである。

本書によれば、高齢者詐欺というものは通常のビジネスと同様かそれ以上に高度にシステム化、分業化されているということである。高齢者の名簿を作り、その名簿に様々な付加情報を加えていく名簿屋、連絡用の携帯電話番号(盗品)や転売された銀行口座など必要なリソースを供給する業者、被害者と接してお金を回収する出し子や受け子と呼ばれる人を手配する人、等々、高齢者詐欺というのは一種の分業制ビジネス化しているのだ。本書の中では物語形式で描かれているが、特にそれぞれの案件でリーダー役をやる人に関しては、適正がある者を選抜し、育成する高度なシステムが確立していて、そこで選抜される人物というのは、機会にさえ恵まれていれば優秀なビジネスマンだったり、あるいはベンチャー企業の社長になって何人もの社員を養うことさえできたのではないかという胆力や知力、向上心の持ち主であるということである。

ではなぜそんな優秀な人物が、犯罪に手を染めるのか?端的に言ってしまえば社会の閉塞感と、世代間格差である。大学の学歴を要求する職業や会社は多い割に、大学の学費は値上がりしていて大学に通えない、通えても奨学金という名の莫大な借金を抱えざるをえず、そうまでして入った会社でまともに働いても、社会保険料や健康保険、住民税などでごっそり持って行かれる。自分たちがなかなか明るい展望の見えない人生を送る一方で町中に眼をやると、立派な家に住み、自分たちが納めた年金で悠々と暮らしているように見える高齢者が視界に入る。社会保障制度、教育制度等々それぞれは社会的に正しいとされているシステムだが、それによって自分たちは人生の希望を奪われている、ならば非合法な手段であれ、自分たちから希望を奪った連中から「取り戻す」のだ……。

そこそこの待遇で働いていて守るものがそれなりにある人であっても、2020年代の現役世代に、毎月の給与明細を見て支給額と手取額の落差に肩を落としてことがない人はいないだろう。被害者は気の毒だし、自分や自分の身内が被害にあえば憤り、犯人に厳罰を求めるだろうことは確実であるが、彼らが自己を正当化する理屈は一応通っているように自分には思える。

最近、犯罪の「責任」と「原因」ということについてよく考える。犯罪を犯した人間に一義的にその責任があることは確かなのだが、その犯罪を犯すに至った原因は、その人にだけ帰されるものでは必ずしもないのではないかということである。犯罪者の責任をいくら追及しても、原因をなんとかしない限り同種の犯罪はなくならない。まして高齢者詐欺のようにシステム化されたものについては、そこに新しい若者が惹きつけられる社会状況が存在する限り、絶対になくならないだろうと思う。

この記事を執筆した時点で、日本各地で起きている一連の強盗傷害事件があるが、マスコミの報道を見る限り、恐らく本書に書かれていることと同様のシステムが存在しているのではないかということが想像される。おそらく、この手の事件は増えこそすれ、なくならないのではないだろうか?

『限界ニュータウン 荒廃する超郊外の分譲地』 著:吉川祐介

千葉県の北東部の、公共交通機関のネットワークから遠く離れた地域には、1970年代頃から開発された分譲地がたくさんあるという。その多くには分譲された区画数を大きく下回る住宅が建っていて大半は更地や原野になっているそうだ。

空き家問題や限界集落など、人口が絶賛減少中&都市圏への極端な人口集中が進む日本には不動産に絡む様々な問題が存在する。本書はその中でも都市圏の超郊外に存在するある種の「分譲地」が抱える問題を取り上げたものである。本書ではタイトルにある限界ニュータウンとか、限界分譲地とかいった単語で呼ばれるこの「分譲地」がどういった経緯で生み出され、どういった現状にあり、どのような問題を抱えているのかを丁寧な実地調査と精緻な分析に基づいて紹介し、一定の解決策を見いだす良書である。詳しくは本書に譲るが、土地の値段が急上昇していた時代に原野商法と似て非なる経緯で生まれ、バブル崩壊後の地価の急落で不良債権化して流動性が低下し、今に至るというもののようである。まさに昭和平成の負の遺産という感じ。

著者はYouTubeやブログもやっており、僕がこの著者の書く文章や語り口が好きなのは、根っこの部分では当時の土地バブルに踊らされた人々のことを馬鹿にしていないことである。前時代的で、現在からすると奇妙に見える社会的な事象や遺物には、その時代なりの合理性や経緯というものが存在するはずで、著者の書く文章やYouTubeでの語り口は、それに対する想像力が感じられるのだ。是非この本やYouTubeが当たって、奥さんとお二人の生活が少し華やかなものになると良いなぁと思っている(実際当たって複数回重版しているようだが、YouTubeの方が儲かるらしい。文筆業は結構厳しい)。

本書を読んで思ったのだが、資産や不動産、会社などの法人をキチンと精算する人というのはそれだけで立派である。

『エネルギーをめぐる旅 文明の歴史と私たちの未来』著:古舘恒介

本書は「人類史における人類の営み」を、エネルギーという刀で切ることで鮮やかな断面見せてくれる一冊。読み通すには科学や工学の基礎的な知識はいるが、それがある人にとっては断片的な知識が有機的に結びついて、過去から現在、未来に至る大きな流れが見えると思う。個人的には『銃・病原菌・鉄』や『繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史』並にビッグピクチャー(「世界」に対する本質的で全体的な理解・視点)を描こうとしている本に感じられた。

まず第一部で著者は人間が火を手に入れたことに始まり、産業革命を経て現代のように人体が消費するエネルギーの何倍ものエネルギーを生きるのに使う状況に至るまでの過程を、5つのエネルギー革命として整理する。正直人間が火を手に入れたことが、単なる明かりや暖房の手段ではなく人間が人間であることにこれほど強く結びついていた(人間はエネルギーをバカ食いする脳を比較的小さな消化器官で支えている、つまり人間は火を使って加熱調理された消化に良い食べ物を食べなければ生きていけないということ)という著者の考察はこれまでに持っていなかった視点で大変面白かった。

続いて第二部は科学史を含めた科学的な視点から、エネルギーとはどんなものであるかを整理する。鍵を握るのは熱力学の第二法則、そして散逸構造である。ここを理解できれば、2021年現在注目度が高まっており、ともすればポジショントークの応酬になりがちな「どれが良いエネルギーか」問題を落ち着いてみることができるようになるだろう。

第三部はエネルギーにまつわる人間の心理やエネルギーと人間社会といったものの関係を考察する。ここでは一定の経済成長がないと上手く回らない人間社会と、エネルギー問題の間の難しい関係が整理される。

最後の第四部は、第一部から第三部までの過去と現在に関する考察を元に、人間が今直面している気候変動問題や持続可能性問題に対して、何ができるのかを考えている。エネルギー問題のような社会や文明全体に関する本は、問題を指摘して原因を究明するパートに対して問題解決の方向性を示すパートがチープなことが多いが、本書は筆者の哲学から工学に至る見識の広さからか悲観的すぎず、さりとて楽観的すぎず個人的には納得感が高かった。この辺の悲観と楽観のバランスと人類史を俯瞰する感じは、真面目な教養書である本書とはまったくジャンルが違うが、ゲームの『Fate Grand Order』と同様の印象を受けた。

気候変動問題とか、今はやりのSDGsとかに興味がある人は、入門書で多少知恵が付いたら本書を読めば、(いくつかのゴールについて)表層的なイメージや商業的なプロモーションの裏にある問題の本質が見える(端的に言えば解決がいかに困難であるかということに気づく)と思う。あと、「ハーバー・ボッシュ法(空気中の窒素と水素から肥料の原料になるアンモニアを作り出す方法)がいかに革命的なものだったか」といったような話題が大好きな人は確実に楽しめるだろう。個人的にはもっと広く読まれるべき本だと思うので、是非とも皆様にオススメしたい。

  


『湾岸MIDNIGHT (1)~(42)』 著:楠みちはる

インターネット、特にTwitterを見ていると、『らーめん西遊記』と並んでページの抜粋が時々流れてくる本作。妙に含蓄のある台詞を登場人物が言っているようなので、やはり原典に当たらねばなるまいとシリーズ42巻を一気買いすることとなった。

テーマは「チューニングカー」と呼ばれる改造車を使い、東京の首都高速道路を使って夜な夜な繰り広げられる公道レース(当然非合法、いうなれば主人公たちは暴走族の一種といってもよい)である。主人公は日産の初代フェアレディZを元にしたミッドナイトブルーの改造車、通称「悪魔のZ」を操り、ポルシェ911「ブラックバード」やスカイラインGT-R、RX-7といったスポーツカーたちと、時速80~100キロは出しているトラックや一般車の間を縫って、時速300キロのスラロームを繰り広げる。モノローグモリモリのレースそれ自体もそうだが、それぞれの車両の持ち主の人生模様と、自動車のチューニングに携わる人たちの交わりも本作の魅力である。

悪魔のZと戦う自動車とドライバーが1組作品にログインしてきて、悪魔のZと戦ってログアウトする、というのを数巻かけてやるのが定番で、その裏で通奏低音のようにブラックバードとの濃厚なつばぜり合い&塩の送り合いが繰り広げられる。その様はまるで複数ヒロインのエピソードが並行世界のように繰り広げられるギャルゲーアニメ『アマガミSS』のようである。うん、よく考えたらコレ、アマガミSSなんだ(作品的には『湾岸〜』が古い)。

ちなみに、個人的に好きな名台詞は、32巻のコレである。

『湾岸ミッドナイト 32巻』68〜69ページより引用

「安くて」「人気」で「数が出ている」というのは趣味の世界においてはしばしば馬鹿にされがちな要素であるが、失敗も含めて試行錯誤がしやすく、ノウハウが蓄積、共有されやすいものの中からは最終的によいものが出てくる。高い山は裾野が広いのである。

本作のテーマは自動車だが、趣味や仕事、なんでもいいが自分だけの何か、他人には理解されないようなこだわりを持っている人には本作の名台詞がしみるのではないだろうか(本記事の筆者には実に染みた。)

『虜人日記』著:小松真一

1944年からアルコール生産のためにマレーシアに赴いた著者が戦地で綴った日記で、後退する戦線の後ろで空襲におびえながら各地のアルコール工場を巡って仕事をする話、いよいよ現地の日本軍が戦争の能力を喪失し、ジャングルの中に逃げ込んで半死半生で1945年8月14日の敗戦を迎えるまでの話。戦後米軍の捕虜となり、捕虜収容所の中で生活する中で見た人間模様、の3つから構成されている。復員の際に戦友の骨壺に入れて持ち帰られたそうで、著者が亡くなるまで銀行の貸金庫に保管され、ご遺族が社会的意義を感じて活字化、出版されたという経緯を持つそうである。

全体的に読みやすく、特に334ページに記載されている「日本の敗因」が非常に的確。何せ当時の実感で、第二次世界大戦の太平洋戦線で実際に負けた人が色々と考えたことなわけである。限りなく現場に近い体験から人間としての極限状態(なにせ人肉食が行われるくらい人倫が崩壊していた)においても失われなかった明晰な知性で見いだした敗因なわけで、これ以上に的確な物を探すのは難しいだろう。

極めて残念なことは、平均的な日本人や日本人の作る組織に、本書に示されているような弱点が脈々と生き続けているということだろう。日本人のエートス(最近覚えた言葉)と言ってしまえば簡単でしかし悲しいが、まずは自分と自分の所属する組織から、少しでも弱点を克服できるように頑張っていくことくらいしかできないだろう。一生勉強である。


『人間使い捨て国家』著:明石順平

労働基準法を無視して長時間働かせたり、払うべき給料を払わなかったりする所謂「ブラック企業」に対する裁判を多数担当している弁護士が、日本国の労働関係の法制度の問題点を指摘、批判している本。経団連や竹中平蔵氏を筆頭とする人材派遣業界と政界の癒着に日本の劣悪な労働環境の原因を見いだし、その改善のためのポイントや労働者個人個人に出来る対策を取り上げている。

「人間使い捨て」という剣呑なタイトルだが、本書では企業の邪悪さだけでなく、国家ぐるみで人間を使い潰すような法制度になっているということが指摘されている。最近フランチャイズオーナーと本社の間のトラブルがニュースにもなり始めているコンビニフランチャイズ、年俸制、固定残業代、高度プロフェッショナル制度、外国人技能実習生等々、そもそも日本の労働関係法制の中に、「ブラック企業」を跳梁跋扈させるような抜け穴(使用者側に労働時間の記録義務がなかったり、労働基準法違反の罰則が他の刑事罰に比べても甘かったり、そもそも労働基準監督官が諸外国に比べて少なかったり等々)が設定されている、というのが著者の指摘である。確かに、著作権法違反より過労死させた使用者の罰則が軽いというのはどうにもおかしい。

2019年に日本は移民解禁をしたわけだが、そもそも待遇が悪すぎて外国人から選ばれない国になっていたり、(21世紀の国力や経済を左右する重要なセクターである)IT系だと優秀な人たちから外資に引き抜かれていっていたり、「人間使い捨て」ではいよいよ上手くいかなくなる兆候が見え始めており、国にも経営者にも、労働者にむち打つ以外の別の冴えたやり方を考え出してもらいたいもんである。

この国で労働者として働くなら、とにかく一読しておいて損はない一冊である。5年後10年後にはこの本に書かれている問題点が1つでも良いので改善されていることを願ってやまない。

『歴史とはなにか』著:岡田英弘

どうやら異端らしい歴史家の一冊。人類史に「歴史」と呼ばれるものは2種類しか存在したことがなく、地中海世界の歴史と中国の歴史ということだそうである。地中海世界の歴史はヘロドトスのそれであって、一定のエリア(昔はヨーロッパ)における国家の興亡を書いたもので、現在我々が学校で教えられる歴史はこっちの書き方である。中国の歴史は、司馬遷が書き始めた皇帝の「正統」の概念を表すものであって、フォーマットが強固に決まっていてどの王朝の歴史も同じような書き方になるせいで本当のところがどうだったのかは判別が難しいらしい。両者が出会ったのはモンゴル帝国の時代で、その時初めて「世界史」というものが誕生したということのようだ。

日本の歴史は日本書紀に始まるもので、古事記は「偽書(成立年代が偽られている)」というのが著者の説。日本書紀は天武天皇が、中国の王朝に対して日本の王朝が「正統」であることを示すために書かせたもので、万世一系といわれる日本の天皇家を中心とする歴史はこの時代に始まった(神武天皇とかどうとかは歴史というより神話上の存在)ということのようだ。

いわゆる歴史認識の問題を論じていたり、現代と古代の境界を国民国家の成立に置いて中世という区分は適当ではないと書いていたり、学校で教えられたこととは違うことがあれこれ書かれており、それも筋が通っている物だから面白い。国民国家という仕組みに限界が来ていると本書には書かれているが、その後国連やEU、NATOといった超国家的な組織の方にこそガタが来ている感じで、この本を書いた当時の著者が今の世界情勢を見たときにどのようなことを考えるのか、見て見たかったような気がする。