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『戦争調査会 幻の政府文書を読み解く』著:井上寿一

なんだか最近第二次世界大戦の本ばかり読んでいる。なんとなく世の中にきな臭いものを感じるのかなんなのか。本書はタイトルの通り、「戦争調査会」という終戦直後に日本政府関係者自身によって日中・太平洋戦争の開戦と敗戦理由を調査した委員会の調査報告書について解説を加えるという体裁の本である。

「一億総懺悔」という言葉の元に思考停止するのではなく、当時の日本人の手で、可能な限り客観的に負けた戦争を多面的に分析しようとしていたのだというのは、教科書レベルの近代史知識しかなかった自分にとっては新鮮だった。GHQによって戦争調査会のプロジェクトは未完のままに終わってしまったという史実は実に残念である。

結局なんであんな勝ち目のない戦争を始めたのか、どうして良いところで辞められなかったのかということに、「これだ」という単独でスッキリした理由なんてないのだろう、という「おわりに」に述べられていることが、本書の一番の収穫であったように思う。というわけなので、これからも折に触れて色々な本を読んで勉強したいものである。

『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』 著: 吉田 裕

現場にいた兵隊の視点から様々な資料を引用しつつ、戦場にいた旧帝国陸海軍の兵士達がどのような扱いを受けていたのか(主にどのように死んでいったのか?)を記した本である。筆者のライフワークの集大成という感じだろうか?一兵卒の体験談としては『海軍めしたき物語』シリーズや、水木しげる先生の『総員玉砕せよ』等があるが、これは戦後生まれの著者が収集資料に基づいて客観的かつ網羅的に解説する本である。恐らく歴史学者である著者の主著を見れば色々細かいことが書いてあるのだろうが、これは広く浅く全体感を示す感じ。

本書の前半では特に軍人、民間人を合わせて280万人(全体の90%)近く亡くなったといわれる1944年以降の「絶望的抗戦期」を取り上げてその時期に日本軍の兵士が置かれていた状況を書いている。インパール作戦やガダルカナル島の戦いの悲惨さは良く聞くが、中国戦線に関しても、南方との人員、物資のやり取りについてもひどいものだったようである。正直言って本書を読む限り、帝国陸海軍は国を守る、国民を守る組織としてはあまりにお粗末という感じである。戦時医療体制、特に歯科医療体制のお粗末さ故に前線の兵士に虫歯が多かったといったことや、動けない傷病兵や行軍からの落伍者を「処置」していったこと、戦場ストレスによる拒食症(いわゆる戦争栄養失調症)、自殺率の高さ、と戦場は平時とは全く異なるとはいえ、はっきり言って帝国陸海軍の兵士(我々の祖父たちの世代)の置かれていた状況は酸鼻を極める。

後半では、どうして自軍の兵士にそんな酷い仕打ちをするに至ったのかという旧日本軍の体質を解説している。そもそもの戦争指導体制から内部統制、工業力といった様々な視点から書いている。

私の祖父も戦争末期に中国戦線で戦っていたそうだが、良く五体満足で帰ってきたものだなぁと思う。子どもの頃に見た優しい笑顔を思い出すが、その目は一体どんな地獄を見てきたのだろうか?もっと話を聞いておけば良かったと、切に思う。

『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』著:鴻上尚史

2013年にゲーム「艦これ」を始めて、軍艦や軍用航空機の名前を覚え、区別ができるようになりました。第二次世界大戦についての知識が深まるにつれて喉に引っかかる小骨が、「特攻」や「玉砕命令」でした。本書はそれについて現代人の視点から書いている本で、2015年に亡くなった不死身の特攻兵、佐々木友治さんへのインタビューを含む一冊です。『「空気」と「世間」』、『孤独と不安のレッスン』等の著作もある劇作家の方で、私は個人主義、自由主義の立場から日本社会の悪いところ、息苦しさや閉塞感になんとか抵抗しようと考えている人だと理解しています。奇跡的なタイミングで佐々木さんに会うことができたという下りを語る部分は大変叙情的で演劇の台本のようです。

我が国の陸海軍が行った世界にまれに見る自殺攻撃「特別攻撃」については、それを拒否して工夫に工夫を重ねて戦果を挙げた「芙蓉部隊」について書かれた『彗星夜襲隊』を読んだりはしましたが、本丸については、現代の価値観で断じて良いものなのかどうなのか等色々と個人的に抵抗感があり踏み込んで勉強できずにいました。特攻で死んでいった人たちを英雄視する一方で、特攻を命じた人たちの無能や愚かさ、サイコパシーを批判する声もあり、とはいえ一般には前者が前面に出され、「戦争は二度とやってはいけません」的な学校道徳的な合い言葉で思考停止させられているような感があり、実際のところはどうなのか?というのを知りたい一方で、触れがたく感じていたのです。というわけで本書です。

#はじめに

読む限り、現代風の個人主義、自由主義者でも、現代風の「命を大事に」という思想を当時の佐々木さんが持っていたわけではありませんでした。それにもかかわらず、佐々木さんが上官の命令を拒否しながら「不死身の特攻兵」たり得たのはなぜだったのか?は本書を読んでいただきたいのですが、自分としては以下の項目が重なったからなのかなと思います。

– 佐々木さんがお父さんから教わった命に対する考え方
– 「航空兵」としての実力、できるだけ沢山戦果を挙げるということに対する真摯さ
– 「空」という自由になれる時空間
– 理不尽に屈せず自分の権限の範囲内で協力してくれる上官や同僚

#「王様の首は革命と共に落ちるためにある」

本書の中では、特攻作戦に参加した現場の隊員達と、それを命じた指揮官は分けて考えなくてはならないだろうと主張されています。過剰に美化された特攻隊員のすがすがしい姿、といったものがよく前面に出されますが、実際のところはそうではなく、最後の最後まで死を受け入れるために激しく葛藤する、あるいは、死を命じる上官の理不尽さや有効性や合理性の乏しい作戦に命を捧げなければならない無念さをどうにかこうにか飲み込んで飛び立ったのだ、ということが書かれています。他方、特攻を命じた富永恭次といった指揮官や戦争指導部に対しては、戦後自らの汚名をごまかすために隠蔽工作を行ったことも含めて責任を追及し、原因を分析し、繰り返されないために考えねばならないと書いています。

特攻が途中から「志願」という名の強制に近いものになっていったくだり、上司は確かに明確に指示を出してはおらず、部下が自主的にやったように見せかけつつ、事実上指示を出している、というあたりは、現代日本の組織が起こす不祥事などでも散見される事例ですね。70年たっても、あれほどボロクソに負けまくっても結局のところは変わっていないのだなぁと。権限と責任そしてそれなりの待遇というものは三位一体のものであり、往々にして皆権限と待遇だけを得て、できるだけ責任を取りたがらないものなんでしょうが、やはり決定権を持っていた人に対する責任追及というものは何事につけきっちりやらねばならんのだなと思うのでした。そして、自分が決定権を持つことになったときには、つくづく「ダサい大人」になりたくないなぁと思うのでした。

#さいごに

『「空気」と「世間」』が山本七平の『「空気」の研究』と阿部謹也の『世間とは何か』を元にしているのに対して、本書は高木俊郎の『陸軍特別攻撃隊』が元になった本なのでしょう。絶版なのが実に惜しい。本書を読んで是非とも読んでみたくなりました。

個人主義や自由主義が全面的にいいのか?弊害はないのか?という話はあるんですが、集団の中でマイノリティとして抑圧されたり、居心地が悪い思いをしている人間にはやっぱり重要な思想のはずなんですよね。特に、集団が個人の自由や命を押しつぶそうとするあれこれが、現在でも散見される日本社会においては特に……。

 

『戦争は女の顔をしていない』著:スヴェトラーナ・アレクシェービチ 訳: 三浦 みどり

第二次世界大戦の独ソ戦に従軍したソ連軍女性兵士達の体験談を集成したもの。戦時性暴力、飢餓、人肉食、赤子殺し、本書は悲惨な体験のデパートで、子どもの頃に聞いた戦争体験や、日本だと8月15日前後に増える第二次世界大戦を回顧する番組で、戦争体験者が語る体験に非常に近い。洋の東西を問わず、第二次世界大戦は本当に壮絶で悲惨な戦争だったのだろうということがよく分かる。そして恐らく、今も地球のどこかで起きている紛争や武力衝突と呼ばれるものも、同様にひどいものなのだろう。

共産主義、社会主義国の息苦しさ、上流階級のテクノクラートではなく、特に地べたで生きている大多数の人たちの息苦しさ、みたいなものは、理解できるような理解できないような。それも自由主義の国から見た身勝手な視点なのかもしれないが。

一人の回想録だが、傷痍軍人の手記という意味では「アメリカン・スナイパー」と対比したくなる。あの本はマッチョなアメリカ人男性、しかもSEALS隊員という極めつけのマッチョ男性の視点から書かれているものなので、なんとなく勇ましい書き方がされている。それに対して本書の筆致は、まさに若い頃の悲惨な体験を引きずりながらなんとかかんとか生きてきたおばあさんが、時には涙を目に浮かべながら、語ったのだろうなというのが分かるような気がする(過剰なイマジネーションかもしれないが)。

『マージナル・オペレーション改 02』著:芝村裕吏、挿画:しずまよしのり

一時期ニートをやっていて、食うに困って民間軍事会社(PMC)に入って中東で指揮官の適性に目覚め、そこで出会った少年兵初期メンバーとして傭兵稼業を始めた主人公新田良太の話。舞台は中国。語学の勉強に士官学校で軍事用ドローンの勉強。勉強だけではしょうがない。覚えたことは使わなくては意味がない。

同一世界の前日譚『遙か凍土のカナン』から登場しているコサックのパウロー(同名の人物だが、作中で100年近く時間が経っているはずなので、なんかファンタジーなギミックがないと子孫?ということになるはず)が意味不明。というか、シベリア共和国がいったいどんな意図で主人公を取り扱っているのかが全般的にサッパリ分からない。この辺が今後明らかになるのかもよく分かりません。それを言うとそもそもジニ、ジブリールも同名のキャラクターが登場しているので、どういうこと?って感じですが。やっぱり本当は怖いガンパレード・マーチ的な裏設定があるのでしょうか?

しかし、主人公どこでそんなこと勉強したの?というような立ち回り。基本的な立ち回りはPMC辺りで勉強したのと、読者の見えないところで色々と修羅場をくぐっているのでしょうが……。

マージナル・オペレーションシリーズの感想

遙か凍土のカナンの感想

『マージナル・オペレーション改 01』著:芝村裕吏 挿画:しずまよしのり

自分以外にあまりこのシリーズについて語っている人を見たことがないのですが、4本の外伝を挟んで新シリーズ始動です。相変わらずミャンマーの山奥でイチャイチャやいのやいのやっているところに、アラタのご先祖様が作ったシベリア共和国……ではなく中国に請われてジブリールと共に一路北朝鮮を目指すことになります(後書きにしかでてこなかった「アラタの失踪」というやつだそう)。

はるカナの登場人物と同名の人たちが出てくるわけですが、『空白の一年』で語られたシベリア国との因縁がどのように語られるんでしょうね?「やがて去る子どもたちの国」は未だ道半ばなわけですが、シベリア国の建国時代のようにはきっと行かないはずで、どういう風に話が落ちるのか割と楽しみです。しかし、主人公とはいえ秋田の新田家はすごい家系ですよね。

とはいえお話は始まったばかり。今後作品世界の情勢がかなり明らかになりそうな感じですが、シベリア共和国が現代ではどうなっているのか、非常に興味があるところです。

『補給戦―何が勝敗を決定するのか』 著:マーチン・ファン・クレフェルト、訳:佐藤 佐三郎

軍隊に対する補給あるいは兵站(へいたん)という視点から、近代以降の戦争を詳細に考察した書籍。ある筋では話題になった一作だそう。

取り扱う戦争は18世紀のヨーロッパでの戦争から、ナポレオンの戦争を経て第一次、第二次世界大戦までの陸戦。馬車で陸上輸送を行っていた時代から鉄道を経て自動車時代へ進んでいきます。「鉄道時代になって輸送力が向上したことにより戦争が変わった」みたいなことがざっくり言われたりしますが、現実を見てみると、実はそんなに物事ががらっと変わるわけではない、ということがよく分かりました。新しい技術が問題をすべて解決しているわけではなく、旧時代の技術(鉄道時代なら馬車、自動車時代なら鉄道など)を使ってなんとかやりくりしていたりすることが多かったりするのだなぁと。最後に紹介されるノルマンディー上陸作戦までは、とにかく兵站に苦労をしたんだという話が続くわけですが、最後に紹介されるノルマンディー上陸作戦は対照的に兵站に相当な気を配って実行されたものです。とはいえ歴史を見てみると連合国が楽勝したというわけでもないようで、兵站をきっちり整えれば戦争には必ず勝てる、というものでもないのだと結論づけられます。最初の期待からすると、割と「なんと身もふたもない……」というような印象。とはいえ、大変興味深い本でした。例えば、「18世紀頃の戦争というのは他国の資源で自国の軍隊を食わせるためのものだった」という考え方には「なるほどなぁ」と膝を打ちました。ひょっとすると男性の間引きって要素もあったのかもしれませんねぇ。

個人的には一部Wikipediaなどで戦役についての知識を補いつつ読みました。とはいえ、文章で書かれるだけではなかなか具体的なイメージが沸かず、インフォグラフィクスというか、うまいこと図版を多用してくれると、より理解が進んだろうなと思いました。やはり戦線は地図と照らし合わせてなんぼでしょう。ヨーロッパの地図でも用意してチェスの駒かなんかを使って動かしながら読むといいかもしれんなぁなどと思ったり。

巻末に、防衛省の研究所で戦史研究などをやっておられる石津朋之さんの解説があり、本書の主要な要旨はこれを読めば足りる、と思います。とはいえ本書を読んでから読むと、それがまた実に適切な要約であるということがよく分かります。この解説だけ読んでもいいんでしょうが、本書を手に取るような向きは、そこは本文を頑張るべきではなかろうかと思います。

兵站、という言葉を知った人は是非本書を読んでみることをオススメします、ものの見方が変わるかもしれません。現実に現在戦われている戦争のみならず、例えば国内外の災害時の軍隊や救助隊の活動、フィクションにおける戦争などにおいて、どうやって必要な物資を運んできているのだろうか?といった風な想像力が働くようになるかもしれません。

『彗星夜襲隊 特攻拒否の異色集団』 著:渡辺洋二

特攻=飛行機なら、捨て身の体当たり攻撃について、個人的には本当に歴史の教科書に載っている程度のことしか知らないのですが、本書の主役たる「芙蓉部隊」という旧帝国海軍の陸上航空部隊は、その特攻を拒否した上で、著名な戦果を上げた部隊としてその筋では有名なようです。

芙蓉部隊の指揮官たる美濃部少佐は、南方での撤退戦の中で「夜襲」により特攻に頼らずに戦果を挙げる方法を思いつきます。何度も何度も部隊の編成に挑戦しては失敗し、結局まともに部隊を組織できたのは防衛線が日本近海にまで後退した大戦末期、航空燃料も底をつき(日本が太平洋戦争末期にいかに窮乏したのかは「海上護衛戦 著:大井篤」を是非お読みください)ろくに訓練もできないような状況でした。それでも美濃部少佐は創意工夫で粘り強く戦い、大戦末期の、日本国内の制空権をほぼ奪われたような状況で著名な戦果を挙げます。ちなみに、太平洋戦争末期に日本がいかに窮乏したのかは、『海上護衛戦 著:大井篤』をお読みください(本ブログにおけるレビュー)。

部隊の主要な使用機材は艦上爆撃機の「彗星」特に、ドイツが設計した水冷エンジンを搭載した彗星12型と呼ばれる飛行機だったそうです。高速で高い性能は出たのですが、なにせ構造が複雑で整備が大変。そのうえ、資源がなかったり、製造技術が未熟だったりで本家のエンジンよりも性能がダウンという代物。機械の構造以外にも、零戦などを含めた日本の航空機は空冷星形エンジンだったことも、整備を難しくしていたようです(要するに整備員が慣れていない)。これを美濃部少佐は、整備員を多数そろえ、メーカーから技術者を呼んだり、整備員をメーカーに送ったりして技術を高め、徹底的に整備を施すことで、稼働率を高めました。それでも、出撃した機の半分が故障で途中で引き返してくるみたいな事態が結構起こっていて、この時代の兵器ってのは結構デリケートだったんだなと思いました。というか、現代の日本の自動車などが高信頼性過ぎるのかもしれませんが。

「特攻を拒否」し、それを補うために「夜襲に特化する。」「燃料窮乏下でも搭乗員の訓練に創意工夫を尽くす。」「故障の多い機材を整備員の充実で補う。」など(詳細については本書を読んでください)勝つために徹底的な工夫を行った美濃部少佐ですが、それらもあくまで「特攻よりも勝算があるため」であり、「どうせ命を使うなら、最大限有効に使う」という発想で行われたものだそうです。決して「大義のために命を差し出すこと」を悪としたつもりはなく、特攻で勝てるならそれを選ぶ、とのことでした。フィクションには時々出てくるタイプの指揮官ですが,その元ネタなのかな?とも思ったり。

集団の存亡のために個人の権利や命を使う、という考え方が、状況によっては成立しうることについて、理屈の上では私も理解はできます。しかし集団の未来を担う若者の命を使い減らすこと前提で作戦を立案するというのは、損得勘定だけで考えても理解不能です。マキャベリの君主論や孫子の兵法はこの時代にも日本語訳で読めたはずで、戦争はあくまで「手段」であり、「目的」ではないと言うことくらい分かりそうな物ですが…。まぁ特攻批判は本書でも少しは出てきますが、これは本書の感想とはあまり関係がないですね…。

『海上護衛戦』 著:大井篤

「艦これ」ブームをきっかけに復刊された一冊ということで、最近こんな本ばかり読んでいるんですが、これもまた大変興味深い一冊でした。負け戦には学ぶことが多いといいますが、本書に語られる過去の大戦の負け様は。現代の日本にも通ずるところがあるような気がします。なにせ、日本が海上交通による資源の輸入に頼っているということに変わりはない訳ですから。

本書は要するに「海上護衛戦」とか「商戦護衛」と呼ばれる作戦行動、つまりは資 源を運ぶために海上を行き来する船を海軍が防衛する行為、を帝国海軍がいかに軽視し、そのためにいかにしてあの悲惨な敗戦を経験するに至ったのか?を時系列に沿って淡々と描いていく本です。太平洋戦争の後半に行くにつれて、日本が確保すべき海上交通、海上輸送線が、ものの見事に破壊されていきます。船、運んでいた資源、運んでいた船員や運ばれていた軍属の人たちの命、こういっちゃなんですが「もったいない」の一言につきます。戦争がいかに不毛な行為か、思い知らせるようです。

そもそもが批判的な視点から書かれた本とはいえ、太平洋戦争がいかにグダグダだったのかをこれでもかと見せつけられて、なかなかに辛いです。誰でも知ってそうな孫氏やマキャベリの本を読んでたら、そもそもが「これはアカン」となりそうなエピソードばかり。そもそもが国 民を飢えさせないために始めたはずの戦争の目的と手段が見事に主従逆転している様は、現場で適切な判断をするのがいかに難しいのかということを思い知らされると同時に、「もうちょっと何とかならんかったんか?」と思わざるを得ません。日本の学校教育で語られる、「火垂るの墓」的な苦しい夏の日々をもしかしたら避けられたのかもしれないと思うと、切なくなってきます。

古参のミリオタの方からは、解説の人選だったり、帯に描かれた「艦これ」のキャラクターだったりで批判をする人がどうもいるようなのですが、本書が復刊されたことは素直に喜んでいいんじゃないかなぁと思うのです(今更安全保障に ついての本を読み始めたような「にわか」の戯れ言ではありますが)。本書の前書きに語られるように、著者は本書を広く頒布して、後世の歴史家の判断材料を増やすことを意図していたようですから。歴史家でなくっても、賢者たらんと歴史に学び、飢えたり死んだり殺したりせずに済むために、本書は読んで間違いのない本の1つなのではないかと思います。

ちなみに本書を読むにあたり,以下のネット上の記事が非常に役立ちました.「やる夫でわかるシリーズ」には本当にハッとするようなスレッドが時々ありますね.大変勉強になります.このシリーズは今後も続いていくものと思われるので,大変楽しみに待っています.
やるやらできやら 艦これで学ぶ帝国海軍

『大砲とスタンプ (1) (2) (3)』 著:速水螺旋人

「艦これ」を始めて以来、読む機会が増えたミリタリー作品の一作。特にその中でも裏方である兵站、要するに補給部隊を取り扱った作品。

最前線の補給部隊をとりあつかっているのでバンバン人は死ぬわ、血は出るわという感じなのだけど、絵柄と作風も相まって陰惨な感じが全くしません。というか、補給物資を巡って切った貼ったするので、多分物資>モブキャラの命、くらいの扱いのような気もします。要するにこれはコメディの一種なんですね(帯にもMilitary法螺漫画と書いてあるし)。戦場になんて行ったことがないので良く分からないんですが、これも戦場の一側面なのかもしれません。

キャラクターもみんな魅力的なのですが、個人的には兵站軍兵長のアーネチカが魅力的だと思いました。尻の軽いいわゆるビッチなわけですが、あっけらかんと人生を楽しんでいる感じが実に素晴らしい。「紙の兵隊」たる兵站軍の兵卒であるにもかかわらず文盲という設定ですが、主人公のマルチナから字を習い、自分の名前を書けるようになったときの嬉しそうな顔がちょっとしたギャップを感じさせてなかなかに良いです。

兵器描写はいわゆる宮崎駿的というか、ラピュタ、ナウシカ辺りが好きならまぁハマるだろうという感じ。あとは、その他こまごまとした軍用品へのこだわりに作者の愛を感じます。私自身、まんまと影響を受けて、紅茶用にアンティークのグラスホルダーが欲しくなってきました。

何かと書き込みが細かいので何度も読み返す楽しみがありそう。絵の密度が濃いのでできればB5版くらいで読みたい作品です。