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『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』 著: 吉田 裕

現場にいた兵隊の視点から様々な資料を引用しつつ、戦場にいた旧帝国陸海軍の兵士達がどのような扱いを受けていたのか(主にどのように死んでいったのか?)を記した本である。筆者のライフワークの集大成という感じだろうか?一兵卒の体験談としては『海軍めしたき物語』シリーズや、水木しげる先生の『総員玉砕せよ』等があるが、これは戦後生まれの著者が収集資料に基づいて客観的かつ網羅的に解説する本である。恐らく歴史学者である著者の主著を見れば色々細かいことが書いてあるのだろうが、これは広く浅く全体感を示す感じ。

本書の前半では特に軍人、民間人を合わせて280万人(全体の90%)近く亡くなったといわれる1944年以降の「絶望的抗戦期」を取り上げてその時期に日本軍の兵士が置かれていた状況を書いている。インパール作戦やガダルカナル島の戦いの悲惨さは良く聞くが、中国戦線に関しても、南方との人員、物資のやり取りについてもひどいものだったようである。正直言って本書を読む限り、帝国陸海軍は国を守る、国民を守る組織としてはあまりにお粗末という感じである。戦時医療体制、特に歯科医療体制のお粗末さ故に前線の兵士に虫歯が多かったといったことや、動けない傷病兵や行軍からの落伍者を「処置」していったこと、戦場ストレスによる拒食症(いわゆる戦争栄養失調症)、自殺率の高さ、と戦場は平時とは全く異なるとはいえ、はっきり言って帝国陸海軍の兵士(我々の祖父たちの世代)の置かれていた状況は酸鼻を極める。

後半では、どうして自軍の兵士にそんな酷い仕打ちをするに至ったのかという旧日本軍の体質を解説している。そもそもの戦争指導体制から内部統制、工業力といった様々な視点から書いている。

私の祖父も戦争末期に中国戦線で戦っていたそうだが、良く五体満足で帰ってきたものだなぁと思う。子どもの頃に見た優しい笑顔を思い出すが、その目は一体どんな地獄を見てきたのだろうか?もっと話を聞いておけば良かったと、切に思う。

『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』著:鴻上尚史

2013年にゲーム「艦これ」を始めて、軍艦や軍用航空機の名前を覚え、区別ができるようになりました。第二次世界大戦についての知識が深まるにつれて喉に引っかかる小骨が、「特攻」や「玉砕命令」でした。本書はそれについて現代人の視点から書いている本で、2015年に亡くなった不死身の特攻兵、佐々木友治さんへのインタビューを含む一冊です。『「空気」と「世間」』、『孤独と不安のレッスン』等の著作もある劇作家の方で、私は個人主義、自由主義の立場から日本社会の悪いところ、息苦しさや閉塞感になんとか抵抗しようと考えている人だと理解しています。奇跡的なタイミングで佐々木さんに会うことができたという下りを語る部分は大変叙情的で演劇の台本のようです。

我が国の陸海軍が行った世界にまれに見る自殺攻撃「特別攻撃」については、それを拒否して工夫に工夫を重ねて戦果を挙げた「芙蓉部隊」について書かれた『彗星夜襲隊』を読んだりはしましたが、本丸については、現代の価値観で断じて良いものなのかどうなのか等色々と個人的に抵抗感があり踏み込んで勉強できずにいました。特攻で死んでいった人たちを英雄視する一方で、特攻を命じた人たちの無能や愚かさ、サイコパシーを批判する声もあり、とはいえ一般には前者が前面に出され、「戦争は二度とやってはいけません」的な学校道徳的な合い言葉で思考停止させられているような感があり、実際のところはどうなのか?というのを知りたい一方で、触れがたく感じていたのです。というわけで本書です。

#はじめに

読む限り、現代風の個人主義、自由主義者でも、現代風の「命を大事に」という思想を当時の佐々木さんが持っていたわけではありませんでした。それにもかかわらず、佐々木さんが上官の命令を拒否しながら「不死身の特攻兵」たり得たのはなぜだったのか?は本書を読んでいただきたいのですが、自分としては以下の項目が重なったからなのかなと思います。

– 佐々木さんがお父さんから教わった命に対する考え方
– 「航空兵」としての実力、できるだけ沢山戦果を挙げるということに対する真摯さ
– 「空」という自由になれる時空間
– 理不尽に屈せず自分の権限の範囲内で協力してくれる上官や同僚

#「王様の首は革命と共に落ちるためにある」

本書の中では、特攻作戦に参加した現場の隊員達と、それを命じた指揮官は分けて考えなくてはならないだろうと主張されています。過剰に美化された特攻隊員のすがすがしい姿、といったものがよく前面に出されますが、実際のところはそうではなく、最後の最後まで死を受け入れるために激しく葛藤する、あるいは、死を命じる上官の理不尽さや有効性や合理性の乏しい作戦に命を捧げなければならない無念さをどうにかこうにか飲み込んで飛び立ったのだ、ということが書かれています。他方、特攻を命じた富永恭次といった指揮官や戦争指導部に対しては、戦後自らの汚名をごまかすために隠蔽工作を行ったことも含めて責任を追及し、原因を分析し、繰り返されないために考えねばならないと書いています。

特攻が途中から「志願」という名の強制に近いものになっていったくだり、上司は確かに明確に指示を出してはおらず、部下が自主的にやったように見せかけつつ、事実上指示を出している、というあたりは、現代日本の組織が起こす不祥事などでも散見される事例ですね。70年たっても、あれほどボロクソに負けまくっても結局のところは変わっていないのだなぁと。権限と責任そしてそれなりの待遇というものは三位一体のものであり、往々にして皆権限と待遇だけを得て、できるだけ責任を取りたがらないものなんでしょうが、やはり決定権を持っていた人に対する責任追及というものは何事につけきっちりやらねばならんのだなと思うのでした。そして、自分が決定権を持つことになったときには、つくづく「ダサい大人」になりたくないなぁと思うのでした。

#さいごに

『「空気」と「世間」』が山本七平の『「空気」の研究』と阿部謹也の『世間とは何か』を元にしているのに対して、本書は高木俊郎の『陸軍特別攻撃隊』が元になった本なのでしょう。絶版なのが実に惜しい。本書を読んで是非とも読んでみたくなりました。

個人主義や自由主義が全面的にいいのか?弊害はないのか?という話はあるんですが、集団の中でマイノリティとして抑圧されたり、居心地が悪い思いをしている人間にはやっぱり重要な思想のはずなんですよね。特に、集団が個人の自由や命を押しつぶそうとするあれこれが、現在でも散見される日本社会においては特に……。

 

『戦争は女の顔をしていない』著:スヴェトラーナ・アレクシェービチ 訳: 三浦 みどり

第二次世界大戦の独ソ戦に従軍したソ連軍女性兵士達の体験談を集成したもの。戦時性暴力、飢餓、人肉食、赤子殺し、本書は悲惨な体験のデパートで、子どもの頃に聞いた戦争体験や、日本だと8月15日前後に増える第二次世界大戦を回顧する番組で、戦争体験者が語る体験に非常に近い。洋の東西を問わず、第二次世界大戦は本当に壮絶で悲惨な戦争だったのだろうということがよく分かる。そして恐らく、今も地球のどこかで起きている紛争や武力衝突と呼ばれるものも、同様にひどいものなのだろう。

共産主義、社会主義国の息苦しさ、上流階級のテクノクラートではなく、特に地べたで生きている大多数の人たちの息苦しさ、みたいなものは、理解できるような理解できないような。それも自由主義の国から見た身勝手な視点なのかもしれないが。

一人の回想録だが、傷痍軍人の手記という意味では「アメリカン・スナイパー」と対比したくなる。あの本はマッチョなアメリカ人男性、しかもSEALS隊員という極めつけのマッチョ男性の視点から書かれているものなので、なんとなく勇ましい書き方がされている。それに対して本書の筆致は、まさに若い頃の悲惨な体験を引きずりながらなんとかかんとか生きてきたおばあさんが、時には涙を目に浮かべながら、語ったのだろうなというのが分かるような気がする(過剰なイマジネーションかもしれないが)。

『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』著:加藤陽子

明治維新以後の日清戦争〜第二次世界大戦に至る日本を中心とした世界の動き(主に戦争)を扱った本。東大で近代史を研究されている加藤陽子先生が、中学生、高校生の歴史研究サークルの男の子たちに集中講義をするという形式の本です。一つ一つの戦争に対して様々な国の関係者の発言が引用され、おそらくは大学の教養課程で教えられるようなレベルの知識もちりばめられており、とはいえ語り口は平易で読みやすい良書です。

個人的にこの本を手に取った目的としては、なんで第二次世界大戦であんなにも国力差のある米国に対して戦争を始めて、ムチャクチャな作戦もたくさんやって、若い人や優秀な人の命をたくさん使い潰し、国民を餓死寸前までに追い込むような愚行をやってしまったのか、やらざるをえなかったのかを知りたいというのがありました。しかし、やはり一冊本を読んだだけでははっきり言えるものではありませんね。

おそらくこの本は、高校世界史日本史をやって、基本的な歴史の流れを把握した上で読むべき本なんだろうなと思いました。僕はその辺の知識がすっぽり抜け落ちているので、そのせいでピンとこない部分がたくさんありました。とりあえず山川書店の世界史、日本史の教科書でも読んで、その辺の話をきちんと理解してから、読み返してみようと思います。

どうもこの先20年くらいで、政治や安全保障など、難しいことを考えなくてもノホホンと平和に楽しく暮らせる時代は終わりそうで、その時にはこの本に書いてあるような近代戦争史を物を考える基礎として学んでおかないと、なにがなにやら分からないうちにひどいことに巻き込まれてしまうような気がするのです。ということで、日本の近代史を頭に入れた上で本書を是非どうぞ。

理系のための日本近代史私的選書

自分の個人的な経験を一般化するのはどうかと思うのですが,理系の皆さまには歴史にアレルギーを持っておられる方が多いのではないかと思います.自分自身も高校時代,年号の暗記に嫌気がさして歴史をまともに学ぶ気がなかった人間だったのですが,最近私的に再学習をしています.
この記事では,自分が近代史の再学習のために読んだ本を紹介したいと思います.比較的偏っている自覚はあるので,もっと色々な史観の本を読むべきなんでしょうが.ご紹介いただけると幸いです.
驕れる白人と闘うための日本近代史
江戸時代の日本の封建制度は、当時の西洋人が思っていた以上に良くできていたのだ、という本。日本のサービス業が異常にサービスがいいのは江戸時代以来らしい。

驕れる白人と闘うための日本近代史 (文春文庫) 驕れる白人と闘うための日本近代史 (文春文庫)
(2008/09/03)
松原 久子

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逝きし世の面影
上の本と同じく江戸時代の日本社会の完成度の高さを、こちらは当時の来日した外国人の手記などを徹底的に引用して書いている本。ある筋では有名な本らしい。

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー) 逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)
(2005/09)
渡辺 京二

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夜這いの民俗学,性愛論
近代日本社会に特有の人口再生産システム、「夜這い」の実相を実体験を基に示す。客観性がないという批判はありつつも、夜這いという単語に抱きがちな背徳的な印象を覆す。

夜這いの民俗学・夜這いの性愛論 夜這いの民俗学・夜這いの性愛論
(2004/06/10)
赤松 啓介

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マクニール世界史
世界史の本の中では比較的読みやすいと言われる本。一応欧米の帝国主義の文脈の中で、日本近代の維新が触れられています。 世界の流れの中での日本をざっと見るにはいいかも。

世界史 下 (中公文庫 マ 10-4) 世界史 下 (中公文庫 マ 10-4)
(2008/01)
ウィリアム・H. マクニール

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日本語が亡びるときー英語の世紀の中で
日本語のこれからを述べる本なのですが、論は明治時代の知識人層がいかにして西洋の学問を輸入したのか、に立脚しています。現在でも日本語で文学や学問ができるのは、この頃の日本人の非凡な努力あってのことなのです。

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で 日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で
(2008/11/05)
水村 美苗

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再学習を始めて思うのは,歴史,特に近,現代史は実学であるということです.特に日本は,明治維新と太平洋戦争敗戦で二度も国家,文明としての大きな転換点を迎えているわけで,日本の現代は確実にその上に建っているわけです.歳をとるほど,今とこれからを考えるためには過去,すなわち歴史を学ばないとダメだなぁと思うのです.
もうちょっと読んだら太平洋戦争かなぁと思うのですが,祖父が戦争に行ってきた人間なのでかなんとなく抵抗感があるのですよね.どこかに良い本はないかしら.

『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』 著:赤松啓介

著者は赤松啓介先生.在野の民俗学者の方だそうで.
近代~大正時代半ばくらいまでの農村地域と商家の性風俗(性風俗産業にあらず)についての個人的フィールドワークの本.日本の民俗学といえば柳田國夫ですが,親の敵かと言わんばかりにDisっております.その点はちょっとどうかと思いますが.
一言で言うと,100年前の日本って,まるで異国のようです.根本的な性への価値観からして今の我々とは大違いです.とりあえず,隠しておくべきことだとか,人前でみだりにクチにすべきでないもの,なんて価値観は皆無.いいこと,すてきなもの,当たり前のもの,ときわめてポジティブにとらえています.
タイトルにある夜這いと聞くと,とりあえず近所の娘さんのいるウチに忍び込んで無理矢理手込めにしちゃう,的な無秩序な悪習的なイメージを持つかもしれませんが(実際僕もそう思っていた),実際にはコミュニティの再生産全体を司る非常に秩序だった仕組みだったらしいと言うことがこの本を読むと分かってきます(例えば,いわゆる筆下ろしはお寺のお堂の中で行われ,般若心経を唱えてから行われるものだったらしい).多産多死型,労働集約的な産業を主産業とし,家系に受け継がれるべき財産も持たなかったコミュニティにおいては,それなりに合理的な仕組みであるように思えました.何より驚いたのが,男性が女性に強姦されるなんて話もあったらしいと言うことでしょうか?
僕自身は現代日本の価値観を内面化しているので,夜這いの風習に復活されても正直困るのですが,社会なりコミュニティなりに,キチンと性を教え,継承していく仕組みが組み込まれている点は現代日本よりも優れているのではないかと思ってしまいます.若者の性の乱れとか,非婚化セックスレスとか,表現規制問題とか,日本の再生産や性にまつわる社会問題の根本原因には,社会的にコンセンサスがとれ,生物としての人間のあり方にそれなりに調和的な「現代日本における,社会的に正しい性のあり方」を教えていくシステムが根本的に壊れてしまっていることに起因する気がします.じゃあそれをどうやって構築したらいいのかはよく分からないのですが.

夜這いの民俗学・夜這いの性愛論 夜這いの民俗学・夜這いの性愛論
(2004/06/10)
赤松 啓介

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『驕れる白人と闘うための日本近代史』

自分は一応理系でして,歴史の暗記科目っぷりに嫌気がさして,地理に逃げ,理系に走ったクチです.という訳で最近歴史をもう一回勉強しようとして読み始めたのがこの本です.
教科書問題でも話題になりますが,なぜ日本の歴史というのはいわゆる「自虐史観」的になるのでしょうか?その理由は日本が近現代において二回敗北している(一度明治維新のときに西洋文明に屈し,そして第二次大戦で敗北した)ことにあるのでしょう.この本はそんな日本の常識的な歴史の語り方を大きく逸脱した近代史(江戸~明治時代)の本です.
内容を要約すると,近代~この本が書かれた時期までの一般的な欧米人の感覚とは大きく異なり,日本には独自のかなり高度な文明,社会が存在していたのだ,ということです.たとえば日本の農民は西洋の農奴とは大きく異なるものであった,とか行った感じで,言われるままに自分たちの歴史をいたずらに下に見る必要はないと説きます.
驕れる白人,とタイトルにあるように,かなり攻撃的な調子で書かれているように感じます.たとえば欧米人は日本に対して「技術だけ盗みやがって」などと言っていたわけですが,彼らを文明の勝者たらしめた科学技術はそもそもイスラム世界に保存されていたものを十字軍で収奪してきてアレンジしたものなわけで,そのことを差し置いてジャパンバッシングするのは傲慢ではないの?というわけです.
確かに西洋文明は文明戦争(そんなものあるのか?)の勝者であり,科学技術+資本主義は問題を含みつつも史上最も多くの人たちを養うことに成功しています.そんな勝った文明側の欧米人が,今も上から目線で日本のことをみているのかはよく分かりません.この本が書かれたのは1989年であり,それから20年で日本のポップカルチャーが輸出されたり,日本の経済的な地位が低下したりと状況は変わっており,自分で確かめてみないと分からなくなっているように思います.
優等生的な回答をすると,過去のことでよその国の人とむやみやたらにケンカをするのは生産的ではないですが,バカにしてくる相手に一矢報いられるだけの歴史の教養と語学力はこれからもっと重要になるんでしょうね.その歴史の教養が,一部のマニアの物になってしまっている日本の現状ってどうなんでしょうね.自分も不勉強組に入る同じ穴のムジナなわけですけども.

驕れる白人と闘うための日本近代史 (文春文庫) 驕れる白人と闘うための日本近代史 (文春文庫)
(2008/09/03)
松原 久子

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