鉄血のオルフェンズについて雑感

戦闘機械のような、文盲の少年兵を主人公として(戦闘機械というだけなら、ガンダムWのヒイロ・ユイがいたが)「生きるために戦う」子どもたちを描きはじめたガンダム、鉄血のオルフェンズ。武器を取らなければ、早く大人にならなければ自分たちの居場所すらない子どもたちの物語。かつて長井監督がメガホンを取っていた『とらドラ!』と似たようなテーマを扱っている作品なんだなぁと見ながら思った作品(登場人物は皆、大人と子どもの間で、早く大人になりたいともがいている作品だった。)で、2期が本当に楽しみでしょうがなかった。そして2016年10月から始まったのが2期である。2話にしてすでに期待を超えてきた感がある。ということで、個人的な思いを書いてみたい。

 2期のテーマ? 鉄華団の外

鉄華団の強い絆、一定の生存権、居場所の獲得というテーマは1期で描ききったと考えているのか、2期では鉄華団の外を積極的に描くようになっているように見える。2期の導入の言葉(アトラ役の金元寿子さんが読んでいたやつ)からも明確に示されているように思う。そして、いわば暴走族のような結束で山を乗り越え、結果的に強い絆を構築した鉄華団の内側と外側の軋轢が、2期では良く描かれているように思える。ある意味で、鉄華団のドラマは一段落した、ということなのだろう。これを示すような描写は1〜2話を見るだけでも、多数見られる。

  • 例えば鉄華団地球支部と火星支部の軋轢。
  • 鉄華団の鉄火場を超えた初期メンバーと、新参メンバーの考え方の違い。
  • 新参メンバーの中心キャラクターと思われるハッシュと、三日月の軋轢

たったの2話でこれだけである。視聴者の代表というか、鉄華団の外の視点の代表は1期ではメリビットさんだったわけだが、彼女は2話までだと普通の事務のお姉さんに徹しているように見える。2期では彼女の件以上に鉄華団内側の不和が大きくなったりするのではないだろうか?組織が大きくなったり、色々な人が出入りするようになると、組織運営って急に難しくなるものなので、内輪もめで誰か死にはしないかとヒヤヒヤする……。なにせ割と容赦なく人が死ぬ作品だし……。

 主人公の三日月を取り巻く物語

主人公の三日月は孤独である。三日月は1期の終わりで、もはやモビルスーツの部品として、戦闘機械としてしか生きられないだろうアインに近づくことでアインに勝利した。その代償として三日月は、阿頼耶識を通じてしか、自分の体を十分に動かすことができなくなってしまった*1。2期で、彼の職業人としての居場所は、もはやバルバトスのコックピットと、鉄華団の戦いの最前線にしかない。それはすなわち、三日月は物語が進むほど、勝てば勝つほど、ハッシュが慕っていた「三日月になれなかった」少年、かつてのCGSに「産廃」と呼ばれ、自死を選んでしまったビルスに近づいていることを示しているように見える。なぜなら鉄華団はサクラ農場に代表されるような「まともな商売」だけでやっていけるところを目指しているから。(三日月の将来の夢は農場主なので、右手と右目が不自由なくらいではなんとかなりそうな気もするが)。

アトラによると彼からは血みたいな臭いがするそうだ。私は、三日月は何となく鋼でできた「剣」なのではないかと思う。ビルスは剣になろうとしてなれなかった、そして彼には自らを納める鞘がなかった。しかし彼にはアトラがいる、クーデリアがいる、そしてオルガだって、きっと彼を見捨てはしないように見える。三日月は、着々と殺人機械に近づきつつも、彼を人間として愛する人がいる。一期の終わりで文字の勉強を続けるつもりだったり、彼自身にも人間であろうとする意思があるように見える。三日月はどこに行くのか、物語の行き先に目が離せない。

注釈

*1 阿頼耶識と呼ばれる神経接続型のマンマシンインターフェースに強く接続した結果、右手の感覚と右目の視力を、阿頼耶識に接続している時以外失った。

 

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