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『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』著:加藤陽子

明治維新以後の日清戦争〜第二次世界大戦に至る日本を中心とした世界の動き(主に戦争)を扱った本。東大で近代史を研究されている加藤陽子先生が、中学生、高校生の歴史研究サークルの男の子たちに集中講義をするという形式の本です。一つ一つの戦争に対して様々な国の関係者の発言が引用され、おそらくは大学の教養課程で教えられるようなレベルの知識もちりばめられており、とはいえ語り口は平易で読みやすい良書です。

個人的にこの本を手に取った目的としては、なんで第二次世界大戦であんなにも国力差のある米国に対して戦争を始めて、ムチャクチャな作戦もたくさんやって、若い人や優秀な人の命をたくさん使い潰し、国民を餓死寸前までに追い込むような愚行をやってしまったのか、やらざるをえなかったのかを知りたいというのがありました。しかし、やはり一冊本を読んだだけでははっきり言えるものではありませんね。

おそらくこの本は、高校世界史日本史をやって、基本的な歴史の流れを把握した上で読むべき本なんだろうなと思いました。僕はその辺の知識がすっぽり抜け落ちているので、そのせいでピンとこない部分がたくさんありました。とりあえず山川書店の世界史、日本史の教科書でも読んで、その辺の話をきちんと理解してから、読み返してみようと思います。

どうもこの先20年くらいで、政治や安全保障など、難しいことを考えなくてもノホホンと平和に楽しく暮らせる時代は終わりそうで、その時にはこの本に書いてあるような近代戦争史を物を考える基礎として学んでおかないと、なにがなにやら分からないうちにひどいことに巻き込まれてしまうような気がするのです。ということで、日本の近代史を頭に入れた上で本書を是非どうぞ。

『砂糖の世界史』 著:川北稔

砂糖という製品を媒体にして、近代の庶民生活、経済システムなどの変化を綴った本。岩波ジュニア新書なので小学生、中学生向けと思いきや、門外漢の大人にとっても良書なのは本書も同じく。

本書には「砂糖」、「コーヒー」、「お茶」、「カカオ(チョコレート)」など、現代に広くたしなまれている嗜好品が登場します。本書でそれらは近代初期に世界的に取引された商品、「世界商品」と呼ばれています。そしてそれらの世界商品がどのようにして社会に、特に日本を含めた西洋近代をベースとする社会に広がっていったのかが紹介されます。「三角貿易」という言葉がありますが、まさにその中心地域であった大西洋を中心とした南北アメリカ、ヨーロッパ、そしてアフリカが主な対象地域となります。単なる貿易についてだけでなく、当時の貴族や庶民の暮らし、そして「砂糖」などの製品を生産するために使役された現地人や黒人奴隷の様子までが縦横無尽に紹介されます。

「砂糖」という世界商品を題材とするだけで、現代に通じる生活習慣や経済システムなど、社会の諸要素がどのように成立したのかをかくも広範に説明できるのだなぁと感嘆しました。熱心な文系の学生でもない人間からすると、無味乾燥な語句と年表の組み合わせに過ぎなかった歴史に肉がついて見えてきます。確かに現代というものは、過去の歴史の土台の上に成立しているものであり、歴史を理解することは現代をよりよく理解することにつながるのだなと思いました。というか、初期の株式市場のバブルと崩壊なんて、現代と同じような物に見えてきます。正直言って人間ってここ300年くらい全く進歩してないんだと思えてきます。

ほんの3日ほど、4時間くらいで読み終わりましたし、扱っている題材は上にも書きましたが現代を理解する上で大変役に立つ興味深いものです。価格も安いですし、非常におすすめの良書です。下のアフィリエイトから是非ポチッとお願いいたします(苦笑)。

『社会の真実の見つけ方』 著:堤未果

『貧困大国アメリカ』などで有名な在米日本人ジャーナリストの語る、メディアリテラシーの磨き方といった趣の本です。子供向け、というか中高生向けのノンフィクション書籍は、大人が読んでも非常に興味深くて面白いです、というか、大人であっても全く土地勘がない分野の勉強を始めるときには、最適な本なんじゃないかと思います。岩波ジュニア新書はいい本が本当にたくさんあるのですが、是非とも続けてほしいシリーズの1つであります。

扱っているテーマとしては、メディアによるアジテーションとプロパガンダ(9.11とイラク戦争を題材として)、新自由主義や市場至上主義による公教育の崩壊、ウィキリークスとメディアリテラシー、そして選挙「外」の政治活動について。でしょうか。前半2つを読んでいると、はっきり言って、あの話を読んでアメリカに住みたいだなんてちっとも思いません。日本がアメリカ化しつつあるというのは、全くもって勘弁願いたいものです。あと、9.11からイラク戦争に向かうアメリカの動きについては、サダム・フセインをヒトラーになぞらえて悪役化する一方で、彼が発明者であるマスメディアを使ったプロパガンダが最大限活用されている様子は何とも皮肉なものがあります。

本作の訴えるところでは、国内、海外、媒体を限定せずに複数の情報収集チャンネルを持ち、それらを互いに見比べること。そして、それらを総合して自分の頭で考えることこそがまさに「社会の真実の見つけ方」になるわけですが、なかなかできないよねぇというのが、現在の娑婆世界を眺めていて思うことではあります。大人こそできていなかったりしますしね。

そして、社会の真実を見つけるだけでなく、どんどんおかしくなっていく世の中をどう変えていくのか、それは詰まるところ政治であり、選挙の時にどうにかこうにかするだけでなく、普段から政治について考えて、「選挙期間の外」で議員さんとできれば直接コミュニケーションをとることの大切さを説きます。本書は若者、特に中高生を相手にしている本なのでしょうから、特に「待つ」ことの大切さを説いているのが印象的でした。すぐに結果が出ないからといって見放したりしないで、粘り強く活動を続けることの大切さが説かれています。これに関しては、本当にその通りだと思いつつ、働き始めれば仕事と、あとはかろうじてプライベートとか家族形成で人生が埋まってしまう日本の難しさも思いました。これではなかなか世の中を変えるのは難しそうです。

発売されたのが2010年で、3.11以降のメディア環境の混乱についてはあまり語られていないので、是非とも著者による総括を聞いてみたい物ですねぇと思います。できれば、これくらいの平易な語り口で。

 

 

『江戸しぐさの正体 教育をむしばむ偽りの伝統』 著:原田実

唐突ですが、私はMOSAIC.WAVというグループの「ギリギリ科学少女ふぉるしぃ」という曲が大好きなのです。いわゆる「電波ソング」と呼ばれる種類の曲なのですが、歌詞が秀逸で、

お気に入りのキャラのカップで、飲んだら水がおいしかったので、水にも「萌え」が分かります。

てな具合に、常々白い目で見られ、迫害されがちなオタク文化になぞらえて、疑似科学を揶揄するのです。上記に引用した歌詞は明らかに「水にありがとうと言ったら結晶がきれいになる」と主張する「水からの伝言」が、「キャラクターの絵が書かれたカップで水を飲んだらおいしい」という文言と同レベルであるとして小馬鹿にしているわけですね。この歌詞は結構本質を突いているなぁと思っていて、要するにフィクションやオカルト、疑似科学というものは本質的には同じものである、ということだと思うのです。

ということで、本書は疑似科学ではありませんが、偽史の一種である「江戸しぐさ」を批判する本です。著者は、オカルトや偽史を研究している在野の研究者で、まさにこの手の問題はお手の物というわけです。本書の主張によれば、江戸しぐさは発案者の芝三光の「創作物」であり、歴史的な根拠は全くない。そして、江戸しぐさとはどうも欧米流のマナーをその出自とするらしい推測しています。最後に、それが学校教育において道徳の教科書で教えられていることは非常によろしくないとしています。

本書はまず、江戸しぐさの成り立ちから広まり、創始者である芝三光氏や、越川氏の来歴まで、批判の根拠を入手可能な史料として包括的に語ります。本を書くだけあり、よく調べておられるなぁという感じ。著者の本書にかける思いが伝わってくるようです。というか怪しいところをピックアップしているからかも分かりませんが、この江戸しぐさ、素人の目から見ても「ええー」という怪しいものが満載です。「後引きパン」なる食べ物のところなんて、なんだそりゃ感満載。

本書はさらにオカルトと江戸しぐさの類似性を語り、教育現場への浸透を許した歴史学界や教育業界を批判します。「役に立つなら嘘でもいい」という主張は危険であるといいます。私自身もちょっとそう思っているところがあったので耳が痛いところです。と同時、論理と実証に支えられた学問の社会的な役割についても思うところがありました。

フィクションやオカルトというのは、浮き世のことに直接影響をおよぼさ「ない」からこそ、いいのだと思うのです。人を勇気づけたり、励ましたり、時にはひどく人を落ち込ませたり、フィクションには確かに,人をどうこうする力があると思います。しかし、結局フィクションなんてものはあくまで「娯楽」であり、それをあたかもノンフィクションのように使って世の中の操作に使おうなどとすることは、まじめに架空の世界を描いているフィクションにも、理不尽な現実と向き合っている科学や、世の中の諸物にも失礼だと思います。フィクションやオカルト、疑似科学や偽史の受け手である我々は、そういう噛み分けをきちんとやっていかなくてはならないでしょうし、本書は、その大きな助けとなるものと思います。

…あんまり書評っぽっくなかったかも。

『彗星夜襲隊 特攻拒否の異色集団』 著:渡辺洋二

特攻=飛行機なら、捨て身の体当たり攻撃について、個人的には本当に歴史の教科書に載っている程度のことしか知らないのですが、本書の主役たる「芙蓉部隊」という旧帝国海軍の陸上航空部隊は、その特攻を拒否した上で、著名な戦果を上げた部隊としてその筋では有名なようです。

芙蓉部隊の指揮官たる美濃部少佐は、南方での撤退戦の中で「夜襲」により特攻に頼らずに戦果を挙げる方法を思いつきます。何度も何度も部隊の編成に挑戦しては失敗し、結局まともに部隊を組織できたのは防衛線が日本近海にまで後退した大戦末期、航空燃料も底をつき(日本が太平洋戦争末期にいかに窮乏したのかは「海上護衛戦 著:大井篤」を是非お読みください)ろくに訓練もできないような状況でした。それでも美濃部少佐は創意工夫で粘り強く戦い、大戦末期の、日本国内の制空権をほぼ奪われたような状況で著名な戦果を挙げます。ちなみに、太平洋戦争末期に日本がいかに窮乏したのかは、『海上護衛戦 著:大井篤』をお読みください(本ブログにおけるレビュー)。

部隊の主要な使用機材は艦上爆撃機の「彗星」特に、ドイツが設計した水冷エンジンを搭載した彗星12型と呼ばれる飛行機だったそうです。高速で高い性能は出たのですが、なにせ構造が複雑で整備が大変。そのうえ、資源がなかったり、製造技術が未熟だったりで本家のエンジンよりも性能がダウンという代物。機械の構造以外にも、零戦などを含めた日本の航空機は空冷星形エンジンだったことも、整備を難しくしていたようです(要するに整備員が慣れていない)。これを美濃部少佐は、整備員を多数そろえ、メーカーから技術者を呼んだり、整備員をメーカーに送ったりして技術を高め、徹底的に整備を施すことで、稼働率を高めました。それでも、出撃した機の半分が故障で途中で引き返してくるみたいな事態が結構起こっていて、この時代の兵器ってのは結構デリケートだったんだなと思いました。というか、現代の日本の自動車などが高信頼性過ぎるのかもしれませんが。

「特攻を拒否」し、それを補うために「夜襲に特化する。」「燃料窮乏下でも搭乗員の訓練に創意工夫を尽くす。」「故障の多い機材を整備員の充実で補う。」など(詳細については本書を読んでください)勝つために徹底的な工夫を行った美濃部少佐ですが、それらもあくまで「特攻よりも勝算があるため」であり、「どうせ命を使うなら、最大限有効に使う」という発想で行われたものだそうです。決して「大義のために命を差し出すこと」を悪としたつもりはなく、特攻で勝てるならそれを選ぶ、とのことでした。フィクションには時々出てくるタイプの指揮官ですが,その元ネタなのかな?とも思ったり。

集団の存亡のために個人の権利や命を使う、という考え方が、状況によっては成立しうることについて、理屈の上では私も理解はできます。しかし集団の未来を担う若者の命を使い減らすこと前提で作戦を立案するというのは、損得勘定だけで考えても理解不能です。マキャベリの君主論や孫子の兵法はこの時代にも日本語訳で読めたはずで、戦争はあくまで「手段」であり、「目的」ではないと言うことくらい分かりそうな物ですが…。まぁ特攻批判は本書でも少しは出てきますが、これは本書の感想とはあまり関係がないですね…。

ポスト工業経済の社会的基礎 市場・福祉国家・家族の政治経済学

著者はG・エスピン・アンデルセン
おそらくは社会学の専門書なんでしょうし、素人なので研究内容について批判的なコメントはできませんが、非常に興味深い本でした。特徴としては、社会調査のデータに統計処理をかけて根拠としている事でしょう。
2000年に発行された本なのですが、2013年においても現在進行形である若者、女性の大量失業や格差の拡大、低い出生率といった社会問題を福祉システムの機能不全として考察、解決に向けた提言を行っている本です。
本書では社会において福祉を提供する主体を、「家族」、「福祉国家」、「市場」の3つと定め、それらが提供する教育、育児、介護、所得(雇用・労働)、保健医療などを福祉サービスと定義しています。その3つの主体の複合体を「福祉レジーム」と呼んでいます。更に、福祉レジームの主要な形態として、
自由主義型:主に市場(民間サービス)が福祉を提供する.例:アメリカ
社会民主主義型:国家が主体的に福祉を提供する.例:北欧諸国
家族主義型:家族が福祉を提供する.例:イタリア,日本
の3つを挙げ、該当国の社会統計を比較分析することで、福祉の機能不全の原因と対策を検討しています。
結論から言うと、「出生率の向上」と「失業率の低下(を実現する弾力的な労働市場の実現)」を目標とした場合、以下の方策を取るべきだと言っています。
・女性の共働きを推奨する → グローバル化により先進国ではサービス業が雇用の受け皿になるので、家事労働,保育,介護などのサービス業への需要が高まり雇用が増える.
・国家による職業教育で,特に若者と女性の失業期間を短くすること。前提として職業教育を可能とする知的レベルを公教育で保障すること.
・シングルペアレント世帯への給付と就職を徹底的にサポートすること → 長期的に考えると、シングルペアレント世帯が福祉給付に頼らず自立できることは国の福祉負担を軽減する。
・ベーシックインカムか,負の所得税で非熟練労働者の給与水準を底上げすること → 民間サービスで福祉を提供する場合は特に。非熟練労働によるサービスを利用可能な価格として提供しつつ、非熟練労働者の経済的自立を実現するには不可欠。
じゃあ日本の現状は?と言われるとどうも上手く回ってないなぁという気がします。しかしまぁ、どういう福祉レジームが成立するのかは国によってスゴクさがあるという指摘はされているので、この方針を範としつつ、我が国なりの21世紀型福祉レジームの実現を、というのを政治家の先生方には考えていただきたいものです。僕自身、そういう政治家を選挙で選びたいと思います。

『民間防衛』

スイス政府謹製の一冊,国家の危機に対して,防衛組織に所属していない人がいかに振る舞うべきかを書いたマニュアル本.ABC兵器からの身の守り方から,占領下での抵抗運動のやり方まで,何でもござれ.
とはいえ,この本の重要なところは,心の持ち方について言及しているところだろう.まず最初に,祖国スイスは,そして祖国スイスが保証する自由や豊かさ,独立は,国民が様々な意味で奉仕するに値するものである,と明言しているのに衝撃を受けた.日本人は清潔な水と安全はタダだと思っている,という言葉があるが,それ以前の自由(思想,心情,表現,そして何より行動の!),あるいは民主主義も,タダで当たり前のものではないのだ.世界のニュースを見れば分かりそうなものだが,個人的には意識したことがなかった.
マニュアルとしては,普段から備える,組織として動く,非常事態においてこそ冷静さを失ってはならない.非常事態においては,ある程度私権が制限されざるを得ない,といった点が参考になるだろうか?あと,非常事態に平和主義を説くこと,侵略者の温情に期待することほど有害なことはない,というのも興味深い.福島第一原発の事故後のあの混乱を考えると,侵略の憂き目に遭おうものなら日本は一昼夜で占領されてしまうのではなかろうか?
読みながら健全な国家主義と,危機対応能力を高めるために,義務教育でこの本+情報倫理に防災の知識辺りを合わせて「安全保障」みたいな名前の教科を作って教えてもいいんじゃない?とか思った.クソの役にも立たない道徳の授業なんかよりよほど実用的だろう.

民間防衛―あらゆる危険から身をまもる 民間防衛―あらゆる危険から身をまもる
(2003/07/04)
原書房編集部

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 『土を喰う日々』 著:水上勉

食の豊かさとは何だろうか、と考えさせられる一冊である。
この本は、幼少の頃に禅寺に預けられ精進料理の手ほどきを受けた著者が、作家として大成して信州に移住した後に一年通して山の幸と畑の幸をいかに調理して、毎日の食事をまかなうかを書いたエッセイである。さすがに(失礼!)文章がうまいおかげで、出てくる料理出てくる料理、非常に旨そうなのである。
近年、食卓の彩りは豊かになり、毎日肉に魚にと食べられるようになって久しいが、例えば一応日々肉を食べてはいるがコンビニと、ファーストフード店をローテーションしている人の食卓と(今時の仕事の忙しさを考えると結構いるのではないだろうか?)と、この作者の精進料理を比べると、どちらの食卓の方が豊かかと言われるとよくわからなくなってくる。精進料理というのは贅沢ではないが、手間がかかっている分、決して貧相なものではないのだなということを思い知らされる。まぁ、野味、滋味という言葉がよく出てくることから、わかりやすく美味いのかと言われると土臭かったり、苦かったり、渋かったり、多分そうではないのだろうけど…。
ただ、周囲に自然の少ない都会の人間には畑をやったり、山に入ったりというのは困難だし、みんながみんな山に入って山の幸をとったとしても自然のキャパシティの問題で成立しないわけで、結局のところこの本に描かれている食生活は、ほとんどあり得ない夢のようなものなのだろうなと思わされる。
『昨日何食べた?』や『高杉さんちのお弁当』、料理漫画ではないがうまそうな食べ物が出てくる『三月のライオン』のように、手作りの日々の食事を描いたものが料理漫画において一定の勢力を持っているように見える昨今だが、昭和53年初版の本にも関わらずそれらの作品の感性に通じるものがある本作は、普段料理エッセイなんか読まないオタク諸氏も案外楽しめたりするんではないだろうか?凝り性な性分が漫画アニメから自炊や料理に向けば、オタクって男女関わらずちょっとした料理人になれる気はするのだよな。

土を喰う日々―わが精進十二ヵ月 (新潮文庫) 土を喰う日々―わが精進十二ヵ月 (新潮文庫)
(1982/08/27)
水上 勉

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『エロティック・ジャポン』 著:アニエス・ジアール

著者はアニエス・ジアール.日本通のフランス人だそうです.

葛飾北斎の触手春画「蛸と海女」からエロゲー,テレクラまで,日本の性風俗の総合カタログという趣.CNNがおもしろおかしく日本の珍妙な文化現象について紹介するのとは違って,割と「日本スゲー」的な書き方はされています.この本に書いてあることすべてに精通している訳ではないですけれども,現象の解釈については,?という思うところもありますが,本書のあちこちにちりばめられた大量の資料は本物です.まさに日本はエロと変態の総合デパート.変態国家ニッポン万歳.ここまで突き抜けていたらむしろ誇っていいと思います.
これほど豊穣にして爛熟した性風俗産業,性関連情報があればこそ,本書の8章「男らしさの危機」に指摘されるように性そのものの貧しさが際立つなぁという印象.ここでもやっぱり男がたたかれるのか?という感じです.高度経済成長期からバブルにかけて,経済力と男らしさを安易に結びつけすぎたせいで妙なことになってるのかなぁ?

エロティック・ジャポン エロティック・ジャポン
(2010/12/18)
アニエス・ジアール

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『生きるってなんやろか?』 著:鷲田清一

著者は石黒浩と鷲田清一.某大阪大学において,学術的な知名度と共に最も一般への知名度の高そうな二人の先生の対談(どっちかというと放談)です.
内容としては,自分,心,個性,みたいなものについて色々語っている,という感じでしょうか?
若者のためのクリティカル「人生」シンキング という副題への本書の答えは,
・とにかく他人と関係しろ
・徹底的に突き抜けろ
の2点であるように思いました.
1つ目の答えのベースになっているのは,恐らく石黒先生の研究の根本的なアプローチである(と僕が勝手に思っている)「関係論的な心」というものだと思います.「心,とか自分といった実体を明確に規定できるものではなくて,それらは他者との関係性の中からステンシルのように浮かび上がるようなものである.」という考えにのっとるならば,自分とは何か,自分の人生とは何か,について答えを出すにはとにかく他人と関係するしかないということでしょう.
2つ目の答えについては,結局巷で言われるところの「個性」とか「天職」みたいなものって,所詮誰かが決めた「枠」の中でのものでしかないのだから,本当にそういうものが見つけたければ徹底的に考えろってことでしょう.
ただ,これってあくまで自分の興味の方向につきぬけて,そのまま社会の中に自分の居場所を作ってしまった成功者の言葉なんですよね.ビジネス書と一緒で他人の言葉をいくら頭で理解したって,99パーセントの人の人生にとっては何の影響もないものだと思います.ただ,この本の中にも書かれている,石黒先生の「死のうと思った」とか鷲田先生の「死ぬほど勉強した」はすごく重たいと思いました.おそらく本当にそういう風に思っていたのだろうな.人生を左右するような言葉があるとすれば,それはこういう風に自分の身体を通ったことのある言葉だけなのでしょう.

生きるってなんやろか? 生きるってなんやろか?
(2011/03/11)
石黒 浩、鷲田 清一 他

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