投資目的で時計を買うべきか否か、という話でネットの一部が盛り上がっていたので、便乗して書いてみます。
確かに高級時計は売買にまとまった金額が動く上、モノによっては価格が上昇する可能性があり、確かに金銭的な意味で「資産」になるのかもしれませんが、それ以外の非金銭的な「資産価値」は、結局のところ「方便」であり、要するに「趣味の品」の高級時計を買う言い訳なんではないでしょうか?機械式、クォーツ、スマートウォッチと手首につけるデバイスは多様化しており、まぁ好きなモノをつければいいのではないかと。
投資目的で時計を買うべきか否か、という話でネットの一部が盛り上がっていたので、便乗して書いてみます。
確かに高級時計は売買にまとまった金額が動く上、モノによっては価格が上昇する可能性があり、確かに金銭的な意味で「資産」になるのかもしれませんが、それ以外の非金銭的な「資産価値」は、結局のところ「方便」であり、要するに「趣味の品」の高級時計を買う言い訳なんではないでしょうか?機械式、クォーツ、スマートウォッチと手首につけるデバイスは多様化しており、まぁ好きなモノをつければいいのではないかと。
帯には「2036年完全崩壊」などと剣呑な文句が踊るが、別にその年限でいきなり国が崩壊して日本が外国に侵略されるとかそういう話ではなく、安全保障、社会保障のパラダイムを変えざるを得なくなりますよ、しかもそれは問題に対処するために前向きに行われるのではなく、限界が来てやむにやまれず……となりますよ、という話。2036年というタイミングは主に、日本の国債を日本国内で消化しきれなくなり、外国に売らざるを得なくなるのが大体その辺りということらしい。
著者は経産省の元官僚で、1981年生まれ。2018年現在の20、30代は崩壊の2036年にまだ現役(40~50歳代)で一部の人間は組織の意思決定を担っており、働けなくなったら劣化した社会保障制度の世話にならなければならない、というのが「逃げられない」ということのよう。要するに投資家のジムロジャースが言っているようなことである(ジム・ロジャースは逃げろと言っているわけだが。)
日本の国会中継、特に本会議が政治ショーで、実質的な法案審議は委員会でやっているという話は既に知っていたが、法案作成の段階で野党が対案提示して法文修正を行うようなことは日本の立法システム上不可能で、それ故に野党が実質以上に(与野党共にクソみたいな政治家はいるんでしょうけど)無能に見えてしまうというのは恥ずかしながら知らなかった。
第二次世界大戦~冷戦~現在につながる日本の安全保障上の立ち位置の整理は結構分かりやすい。自由貿易と孤立主義の天秤で揺れるアメリカをなんとか自由貿易側に引きつけるように努力するのが日本が目指す方向、というのは割と納得感がある。とはいえ一面的なものの見方にならないように、引き続き勉強を続けていきたいところ。
流石に本書の内容をすぐには消化できないが、今の日本の現状をさまざまな統計データやらを駆使して複眼的に説明して、「逃げられない」ことを立証しようとしている。他の本やら何やらで個人的に「裏を取ってる」こともあるが、ソフトランディングのために段階的な消費税増税を提唱していることについては、個人的には悪手という感じがする。今の日本経済には消費税増税に耐えられるだけの体力がなく、個人消費が冷え込んで貧しい人が更に追い込まれることになると思うのだが……。
しかしまぁ要するに人口動態に政治が追いつかず、本書に記載もないですが失われた20年の失政で人口減少のソフトランディングにも失敗したツケを支払わされるわけで、「未来の年表」もそうですが、我々の世代は割食ってる感じがどうしてもする(日中・太平洋戦争に巻き込まれた祖父の世代は他本当に大変だったとは思うが)。気候変動で気象も極端化すると言われているし、首都直下地震やら南海トラフやらも控えている……。……みんな頑張ろうな。
失礼ながら存じ上げなかったが、有名なバッタ研究者の方だそうで、本書を読んですっかりファンになってしまった。
今時の食うに困っていたポスドクのお兄さんが、サバクトビバッタというバッタの蝗害に苦しむアフリカ モーリタニアに突撃し、様々なトラブルに遭いつつも、色々な人の助けを借りながら職を確保するサクセスストーリー。
研究対象であるバッタに対する愛情、情熱、食い詰めていたとはいえ、言葉も通じない、文化も大きく異なる異国に飛び込む勇気とバイタリティ、不安な状況でも自分を信じるメンタルの強さ(海外学振の任期の2年以上、大群が発生するのを待っていたというのだから肝の太さがすごい)、成功に必要なモノがあるとすると正直言ってあとはチャンスだけという感じで、たしかにそれをつかんでいるのである。研究所のババ所長、ランドクルーザーを縦横無尽に運転する相棒のティジャニ、いずれもキャラが濃いし、前野氏を「ドクター」と敬意を込めて呼び、「お前ならやれるはずだ」と信じて励ましてくれる。前野氏は実に同僚に恵まれている。
基本的に読んでいて楽しいのだが、個人的には昨今の日本のアカデミアのしょっぱさやら、厳しさやらも垣間見えて古傷が多少疼きもする。
ご本人が本書の中で、さる編集者の方に文章の薫陶を受けたと語っているが、たしかに書きぶりが大変魅力的で、内容も上記のように本当に面白い(個人的に「オタク」「マニア」の語りを聞くのが好きなのでなおさら)ので、人に勧めたくなる良書である。
日本陸軍というと、人を人と思わぬ自殺攻撃一辺倒という印象があったが、それが半分あたりで半分外れということが分かる本。日本側の資料は今の公文書と同じくろくに残っていないので、アメリカの資料(Intelligence Bulletin)を元に書かれている。
さて、日本陸軍の歩兵部隊が機材に勝る米軍に対して取った戦術がどうだったのかというと、第一に思い浮かぶイメージというと三八式歩兵銃に銃剣つけて、大声上げて無謀な自殺突撃を行う、というのがあるが、本書によるとさにあらず、白兵戦は忌避していたようで、機関銃を使ってみたり、待ち伏せ作戦をしてみたり、狙撃兵を有効に使ったり、戦場によっては組織的な撤退をやってみたりと色々試みてはいたようだ。硫黄島作戦の持久作戦は栗林中将の個人的な創意工夫かと思いきや、その前の東南アジアでの戦いから色々試みられていたというのは目から鱗。やはり物事を過度に単純化して捕らえてはいけないか。とはいえ、対戦車兵器の開発は不足していたし、肉弾戦術は常用していたし、まぁ結局のところ負けるべくして負ける戦に相当悪い負け方をしたというのは大筋としては変わらないようである。また、1944年から45年頃になって陸軍が良く戦いすぎたが故に、「戦争を早期に終わらせてアメリカ兵の犠牲を減らす」という原爆投下の大義名分を与えてしまったのは皮肉に思える(これもそれだけの理由ではなかっただろうが。)
戦傷者へのひどい扱いと対照的な死者への丁重な弔い、日本人の性質を利用した捕虜からの情報収集等、「全然ダメじゃねぇか!」と国際的にも有名で、ともすれば現代の我々にも見られるような、気が滅入るような日本人のアレな所もバッチリである。
というわけで、巷間いわれる日本陸軍のイメージをいくらか覆してくれる一冊ですので、私のように余り詳しくない人は読んでみるといいのではないだろうか?
我が国日本もいまや斜陽の衰退国家で、いろいろなところがガタガタであるが、かつては我が世の春があった(社会的、文化的には問題もあったのだろうが、少なくとも経済的にはいまより良かった)。そんな我が世の春を作り上げた立役者の一人と言っていいだろうソニーの共同創業者の1人、盛田昭夫氏の自伝。発売されて30年なので、経営者の自伝としては古いものになってきているのだろうか?
非常に文化資本に恵まれた家の出身で、戦前にあって高度な教育を受けた人だったようである。理系の出身でエンジニアでありながら、営業マンとしても非凡な人だったというのが良く分かる。圧倒的な経済力、技術力を持つ外国に飛び込んでいって、現地で友人を作りながら自分たちの会社の製品を決して安売りしなかったというのは、脚色もあるのかもしれないが、非常にガッツのある人だなぁと思う。外国で、現地にいる日本人とばかり付き合うのではなく、現地人と親しく付き合え、というのは非常に共感するところ。
経営哲学なんかに関しては現代の目から見ると、たまたま戦後復興~高度経済成長の境界条件の中でたまたまうまくいっていただけなのではないかと思えなくもない(別に会社経営をやったことがあるわけではないのだが、ここ20~30年は日本社会の強みだったところが弱みに転じて社会全体を衰退させてきたという感じがするので)。「社員を家族だと思え」とか「簡単に従業員を解雇できないのは強み」というのも、一部の大企業や、一部の世代の人たちを「家族」たらしめんために就職氷河期世代を正規雇用の枠外に追いやり、会社に非依存な社会保障のシステムを構築できなかったために、結果として加速度的な少子化と人口減少を食い止める最後の砦を崩してしまったわけだし。「人は金銭のためだけに働くのではない」というのも、ワタミを代表とするブラック企業が搾取のキーワードにしてしまったわけだし。とはいて盛田氏本人は90年代後半から2000年代のドン底の時期には現役を退いていたので、当時彼がいたらどういう経営をしたのかはよく分からないが。
高度経済成長期~バブル期にいい思いをした人がどういう風にものを考えていたか等を知るには良書だと思われる。現代の人間のとしては、いいところは学んで、誤っていたと思われるところは反面教師にして、なんとかかんとかこれからもやっていかなくては。
交通事故で急死した姉の子ども田汲朝(たくみあさ)を引き取る少女小説作家の女性高代槙生(こうだいまきお)が主人公のお話。
槙生は不器用だけど非常に優しい人柄で、言葉を使って他人、特に年若い少女達に物事を伝える仕事をしているだけあって、繊細な感性で物事を捉え、考え抜いた自分の信念に従っている感じが大変好ましい。朝を引き取るときも、
と言い放ちます。こういう考え方は槙生とお姉さんとの関係性から来るものでもあるわけですが、決して良い関係とは言えなかった姉の子どもである朝に対して、こうして誠実に限界を提示しつつも気の毒な目に遭った未成年者への優しさを見せられるのは大変好ましく思えました(親が親なら……と考えてもおかしくないと思うんですよね。)。
この他元恋人の男性や、学生時代からの友人なんかも出てくるんですが、その人達も、その人達との関係性も、お互いに理解と思い遣りがあってとても素敵です。
なんとなく冷たくて綺麗な川の底みたいな感じで実に読んでいて心地良い作品です。現在2巻まで出ていますが、続きが楽しみです。
Twitter界で有名な借金玉さんという方が書いた労働系ライフハックの本。特に「発達障害」という社会適応に困難を抱えやすい脳機能の傾向を持った人向け(今や人口に膾炙した感がありますから発達障害自体を詳しくは解説しませんが)に、労働者として仕事をしながら社会適応していくために著者が試行錯誤して考案した方法を解説しています。
みたいな症状が極度に強い人には、お医者さんに診断をもらうか否かにかかわらずとりあえず読んでいくつか実践してみると良いのではないでしょうか?我が身を振り返っても、親類縁者のあり方を思い浮かべても、どうも自分を含めた我が家の人間には発達障害的な傾向があるようなので、使えそうだなぁと思うものは取り入れてみています。
なくし物を減らすための「神棚」「本質ボックス」、職場の空気に関わる「茶番センサー」といったような著者の造語が巧みで、特に前半部分は誰でも使えます。社会適応が極度に困難で不幸なことに二次障害や不眠と言った症状を抱えている人にも、一般に忌避されがちな向精神薬や睡眠導入剤をためらわずに「上手に」使っていきましょうと説きます。
「やっていきましょう」という言葉が繰り返されるように、自分の個性を受容して前向きにやっていこうという元気の出る文章で、オススメの一冊です。
招致にあたってはアフリカ諸国の票を金で買い、1業界1企業というスポンサーの原則を崩して大金を集める割に、真夏炎天下に人をタダで使ってやろうとする等々、日本の悪いところを集めた蠱毒のようなイベント、2020年の東京オリンピックについて告発した本。ブラックボランティアというタイトルから分かるように、特にボランティア募集のメチャクチャさを中心に書かれている。
著者の主張は要するに
「金儲けのための商業イベントであるオリンピックのために働いてもらうのであれば、相応の対価を払え」
である。
文体としては同じことが繰り返される感じで、文章として余り巧みだとは思わないが、東京オリンピックがいかにメチャクチャなことを国家的にやろうとしているかはよく分かる。決定権を持つ層の見込みの甘さやマネジメント能力の欠如、そもそもの計画の無謀さを下々の者に尻ぬぐいさせるという、70年前の第二次世界大戦でよく見たような日本の「お家芸」を今回も着々と推し進めているのは付き合わされる下々の側からすると全く以て勘弁していただきたいもんである。
正直、このオリンピックっておじいちゃん達のカーゴカルト、あるいはおまじないでしょ?「あの輝かしき高度経済成長期よ再び」とでも考えているんでしょ?
うなぎは絶滅危惧種です。うなぎを食べるということは、要するにトキの肉やパンダの肉を食っているようなものです。
うなぎの蒲焼きを愛する皆さんこんにちは。今年も絶滅危惧種うなぎの絶滅促進キャンペーン「土用丑の日」がやって参りました。毎年、私は「倫理的な土用丑の日」というキャンペーンを実施しています。要するにうなぎの蒲焼きの代用食品を土用丑の日に合わせて積極的に消費してそれをSNS等を通じてアピールするという活動です。
ということで今年はコレ。新潟の一正蒲鉾の商品、「うなる美味しさ!うな次郎」です。タレにうなぎのエキスが含まれますが、基本的には魚のすり身を固めたものという非常にうなぎ消費係数の低い商品です。1パック300円くらいで安価、味もなかなかイケます。
パッケージはこんな感じ。
パッケージを開けるとこんな感じ。見た目も中々頑張っています。タレと山椒の粉がついています。
パッケージには電子レンジ調理がオススメされていますが、個人的には魚焼きグリルで表面(うなぎの身側)をカリカリに焼くことです。皮の側はそのままで良いです(両面を焼くと、何となくカリカリになりすぎる気がします。)
正直、味についてはなまずの蒲焼きよりうなぎに遠い気がしますが、価格を考えると日常的にも食べやすいです。一正蒲鉾には是非とも企業努力を続けていただいて、さらにうなぎに近づける努力をお願いしたいものです。私は最初一正蒲鉾のオフィシャルサイトから通販で買い、現在は近所のスーパーでも入手可能なため定期的にそこで買っています。2,3日中に食べるとかでなければ、基本的に消費期限の長い長持ちパックがオススメです。
土用丑の日だけ食べると言うよりは、うなぎ好きの人が日常的に食べるのに適した代用食品ではないかと思います。あなたもぜひ、「倫理的な土用丑の日」活動に参加して、子々孫々までうなぎの蒲焼きを美味しく食べられる素敵な世の中を目指しませんか?
東京都北部の古い家に暮らす5人の老若男女、一見家族に見えるが、その実全く血のつながりはない。この家族の生計は「祖母」初枝の年金、「父」治の建設現場での日雇い労働、「母」信代のクリーニング屋でのパート労働、そして万引きで成立している。ある冬の日「父」治は「息子」祥太との万引きの帰り、虐待されベランダに追いやられていた「娘」ゆりを拾う。当初は信代と共に親元に返そうとするが、ゆりの生家から漏れ聞こえる夫婦の口論とゆりの体の傷から虐待されている事を知り、結局手元に置いてしまう。そこから1人メンバーを加えて6人の「万引き家族」の暮らしが始まるが、重ねた罪と過ぎていく時間は、家族がそのままあり続けることを許さなかった。
そもそも「万引き」は犯罪であり、許されるものではない。治は祥太に詭弁を弄するが、この世に存在する商品は誰かの手になり、正当な対価を払って店頭にある以上、万引きは経済の営みを乱す窃盗である。そして虐待されているとはいえ、ゆりを家に置くこともまた犯罪である(親権者の保護を受けられない未成年にはしかるべき福祉が提供されている、少なくとも建前上は提供しようとしているし、現場では一人でも多く救おうと努力されているはずである)。祥太を学校に通わせていないことから、「親」として社会的に果たすことを求められる義務を果たしていない。治も信代も、ある事情で失業した後、働けるようになっても再就職先を探したりしておらず(日雇いの仕事では労災が降りなかったり、簡単に解雇されたりと世知辛いが)、年金の不正受給、車上荒らしと犯罪を犯すことに躊躇もなく、言うなれば「ダメ人間」である。フィクションの登場キャラクターとしてならともかく、家族、友人、近隣住民に彼らのような人々を受け入れたいと思う人は多くはないだろう。そして恐らく、現実に本作のような事件が起きたとき、我々が彼らのような事件関係者に抱く印象は、本作の後半に登場する「一般の人々」のそれであろうと思われる。しかし、本作で視聴者はこれでもかと彼らの家族のだんらんを見せられるため事件の「裏側」を知っており、それゆえに現実とは異なり彼らへの印象が「揺らぐ」。きっと監督は言いたいのだろう「想像しろ」と。目の前にいる「困った人」も何か事情を抱えた「困っている人」かもしれないと。狭い自分の了見だけで、安っぽく、薄っぺらい正義感を賢しらに振り回すなと。
ぜひ、俳優のセリフを良く聞き、演技の一挙手一投足、演出の妙をよく見て欲しい。本作はそれらのすべてで、視聴者に問いかけてくる「彼らは家族か?」と。私※は見た上で断言する「彼らは確かに家族である。」と。
2018年劇場公開
※アニメや漫画、ゲームには、結構古くから非定常型の家族(『リリカルなのは』には血縁のない家族が沢山出てくるし、『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』の鉄華団、『マージナル・オペレーション』のやがて去る子どもたちの国等々)が登場するため、私の解釈にはバイアスがかかっているかもしれないが。