投稿者「uterium」のアーカイブ

『万引き家族』 監督:是枝裕和

東京都北部の古い家に暮らす5人の老若男女、一見家族に見えるが、その実全く血のつながりはない。この家族の生計は「祖母」初枝の年金、「父」治の建設現場での日雇い労働、「母」信代のクリーニング屋でのパート労働、そして万引きで成立している。ある冬の日「父」治は「息子」祥太との万引きの帰り、虐待されベランダに追いやられていた「娘」ゆりを拾う。当初は信代と共に親元に返そうとするが、ゆりの生家から漏れ聞こえる夫婦の口論とゆりの体の傷から虐待されている事を知り、結局手元に置いてしまう。そこから1人メンバーを加えて6人の「万引き家族」の暮らしが始まるが、重ねた罪と過ぎていく時間は、家族がそのままあり続けることを許さなかった。

そもそも「万引き」は犯罪であり、許されるものではない。治は祥太に詭弁を弄するが、この世に存在する商品は誰かの手になり、正当な対価を払って店頭にある以上、万引きは経済の営みを乱す窃盗である。そして虐待されているとはいえ、ゆりを家に置くこともまた犯罪である(親権者の保護を受けられない未成年にはしかるべき福祉が提供されている、少なくとも建前上は提供しようとしているし、現場では一人でも多く救おうと努力されているはずである)。祥太を学校に通わせていないことから、「親」として社会的に果たすことを求められる義務を果たしていない。治も信代も、ある事情で失業した後、働けるようになっても再就職先を探したりしておらず(日雇いの仕事では労災が降りなかったり、簡単に解雇されたりと世知辛いが)、年金の不正受給、車上荒らしと犯罪を犯すことに躊躇もなく、言うなれば「ダメ人間」である。フィクションの登場キャラクターとしてならともかく、家族、友人、近隣住民に彼らのような人々を受け入れたいと思う人は多くはないだろう。そして恐らく、現実に本作のような事件が起きたとき、我々が彼らのような事件関係者に抱く印象は、本作の後半に登場する「一般の人々」のそれであろうと思われる。しかし、本作で視聴者はこれでもかと彼らの家族のだんらんを見せられるため事件の「裏側」を知っており、それゆえに現実とは異なり彼らへの印象が「揺らぐ」。きっと監督は言いたいのだろう「想像しろ」と。目の前にいる「困った人」も何か事情を抱えた「困っている人」かもしれないと。狭い自分の了見だけで、安っぽく、薄っぺらい正義感を賢しらに振り回すなと。

ぜひ、俳優のセリフを良く聞き、演技の一挙手一投足、演出の妙をよく見て欲しい。本作はそれらのすべてで、視聴者に問いかけてくる「彼らは家族か?」と。私※は見た上で断言する「彼らは確かに家族である。」と。

2018年劇場公開

※アニメや漫画、ゲームには、結構古くから非定常型の家族(『リリカルなのは』には血縁のない家族が沢山出てくるし、『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』の鉄華団、『マージナル・オペレーション』のやがて去る子どもたちの国等々)が登場するため、私の解釈にはバイアスがかかっているかもしれないが。

『貨幣の思想史 お金について考えた人々』著:内山節

いわゆる古典経済学とか経済哲学に取り組んできた経済学者の人々の思想を紹介しながら、「貨幣」というものが主に西洋においていかに捉えられてきたのかを紹介する本。ロック、アダム・スミス、ケインズ、マルクス等非常にメジャーな学者が多数登場しますが、その代表作とされている主要著作には余り触れていないことの方が多いような気がします。

最後まで読んでよく分かったのですが、本書は序文→12章→1章から12章→エピローグと読むのが良いように思いました。本書のエッセンスは12章に詰まっており、とりあえず著者の問題意識を12章で概観しておいて、そこで引用、紹介されている個別の学者、思想家の解説を個別にさらっていくのが良いのではないかと。

個人的に経済学についてはよく知らないのですが、本書に紹介されている人々の考えたことの系譜をたどっていく限り、経済学というのは、人間の日々の営み(経済)についても、「神様が作った理想的な秩序があるはずである」といういかにも欧州キリスト教的な、宗教的情熱に強い影響を受けてものを考えてきたようでした。そして、どうもそのやり方では上手くいかないらしい、ということに気づくのが、少なくとも経済学における「貨幣」の思想史だったのだなという感じがしました。

少なくとも現代人のほとんどは、自分の人生という一次資源のうちのいくらかを労働として売って二次資源である貨幣に変換することで生計を立てているわけです。したがって働き方・生き方を考える上で、労働の1つの大目的である「貨幣」がどのようなものであるのかを理解するために、本書は有力な補助具を与えてくれるように思いました。学生の時に読むよりは労働者として経済的に自立してからの方が、より実感を伴って読めるのではないかと思います。

『友だち幻想 人と人の<つながり>を考える』 著:菅野仁

一言で言うならば、日本社会や学校社会における「友だち」に代表される、同質性に基づく人間関係に関する思い込みをほどいて、個人の自立や自由を前提とした人間関係を構築するにはどうしていったら良いのかについて書いている一冊。人間関係についていくつか言葉を定義して、それを使って曖昧模糊とした人間関係に手で触れるような形を与え、解きほぐしていきます。学問的な言葉を使いつつも表現はわかりやすく、かといって内容的には大人の読書に堪える物であると思います。

主張されている内容としては、鴻上尚史さんの『「空気」と「世間」』とか、「孤独と不安のレッスン」に近いものなのかなと思いました。ですので、おすすめしたいのは日常の人間関係に息苦しさを感じている人。本当はみんなこんな感じで、お互いに自由に、さりとて尊重しあうような人間関係の中に生きられたら良いんですけどねぇ。

 

  

 

『UNIX考古学 Truth of the Legend』 著:藤田 昭人

「ギリシアは哲学を遺し、ローマは法を遺した」なんて言葉があり、ギリシア哲学やローマ法とそれらから派生した様々な知の体系は我々の社会を支える重要な礎として機能しているわけですが、本書に語られているUNIX系のOS(ここではベル研究所製のオリジナルのUNIXから派生して、様々な人によって改良され、時には一から作り直されながら発展したその類似・後継OS達を含めます)も、前掲の2つに比べて歴史は浅いながらスーパーコンピュータからスマートフォン、はたまた組み込みのマイコンまで、現代社会の特徴である情報ネットワークのありとあらゆる場所で使われており、現代社会の在り方を支える重要な要石の1つといえるでしょう。というわけで、本書はそんなUNIXがどこでどのように、誰によって生み出され、発展し、今の形になってきたのかを豊富な写真と引用を用いてひもといた歴史書です。

本書では1960年代後半くらいにアメリカAT&Tのベル研究所で始まったUNIX開発、UCBerkleyのCSRG(Computer System Research Group)が行ったBSD UNIXとARPANET、TCP/IPに関するあれこれを紹介し、商用化、クローズドソース化されて多数の派生商用UNIXが生まれ、OSの標準仕様の決定に関して各種UNIXベンダーが争っている1980年代後半にMicrosoft WindowsがコンシューマPC市場をかっさらうところで本書の主部は終わります。おまけでBSD UNIXを完全オープンソース化するというUCB CSRG最後の大仕事も語られます。Free Software運動のRechard Stallmanはちょっと出てくるくらいで、Linus TovaldsのLinuxはフルスクラッチのUNIXライクOSなので(その前身のMINIXは出てきますが)、ほぼ言及はなし。その辺はSteven Levyの『ハッカーズ』を読めばいいのでしょうかね(恥ずかしながら未読)?

最初に「現代社会の在り方を支える重要な要石の1つ」なんて書いたりしましたが、個人的には案外的外れではないのではないかと思っており、その理由としては

  1. 1. 世の中で使われているコンシューマ向けコンピュータの多くがUNIX系OS(Android、iOS、MacOS、Linuxは明確にUNIX系、WindowsもNT系はPOSIX準拠で、Windows 10ではUNIXシェルが標準付属)
  2. 2. インターネットを構成する重要技術は、最初UNIX系OSに実装されて広がり、使われた(TCP/IP×BSD、WWW×NEXTSTEP)

があります。まぁ、もしかしたら別のなにかが作られ、使われたのかもしれませんが……。とはいえ、現在に至る歴史の中で、そんなここ50年くらいの世界の「変革」が、ごく少数の人間によって始まったというのはまるでフィクションのようですが、本書によればどうやらそういうことのようです。語り口は淡々としていますが、中身は「コードギアス 反逆のルルーシュ」シリーズのような「世の中が変わっていく過程」のノンフィクション版のようなものな訳で、まぁ何というか個人的には非常に「滾り」ます。

個人的には本書はコンピュータやUNIX系OSの勉強に非常に有益だと考えています。というのも、人間ものを覚えるのには一つの物事に対して複数の記憶の経路を作るのが有益で、例えばUNIXコマンド一つとっても、歴史や設計思想を知れば覚えも良くなると思うのです。そういう意味で『UNIXという考え方』や本書をUNIXコマンドの解説書と一緒に読むのは勉強法としていいのではないでしょうか?最初は意味がないように見えるかもしれませんが、案外記憶の定着がいいかもしれません。

仕事でUNIX系OSを使う人はもちろん、コンピュータやインターネットを使う人ならば誰にとっても本書は有益だと思います。今、目の前に当たり前にある世界がどのようにして作られてきたかを知れば、目の前の景色がちょっと変わって見えてくるかもしれません。

『Landreaall (31)』著:おがきちか

本ブログで定期的に追いかけているファンタジー漫画。

前巻でアブセント・プリンセス編が完全におしまいで、この巻から本格的に次のエピソードに移行という感じみたい。DXが風花山脈からウルファネアにたどり着くまで、ディアの過去、そしてルーディとライナスの商売の話に+αという感じ。ずっとアトルニア王国やアカデミーのことをやっていましたが、これからは少し、1〜3巻のような竜がらみのエピソードが出てきたりするんでしょうか?巻としてはお話の種まきをしている状況で、ここでちりばめられた伏線が後々回収されるのでしょう。

特装版の特典冊子は『六甲の冒険』。DXたちがいるLandreaall世界の此岸ではなく、彼岸のような世界のお話です。いずれこの辺の事情も本編で語られるのでしょうか?

これまでの巻の感想はこちら

実写映画『恋は雨上がりのように』 監督:永井聡

原作既読、アニメ視聴済み。ネットで「実は悪くない」と話題だったので鑑賞してきました。

ネットの評判を見ていると、女子高生に恋愛感情を抱かれているというポイントだけが一人歩きして、色めき立つオジサンとそれにブチ切れる男性嫌悪気味の女性、みたいな感じになっているようにも見えました。しかし実際に鑑賞してみると、あきらが店長に恋をするというのは話のきっかけでしかなくて、二人の対等な関係、相互理解と思いやりの話なのだと思いました。ラストシーン直前の2人のやりとりなんて、相手にきちんと向き合って、お互いに理解していればこそあのやりとりでお互いの思いが伝わるわけです。そして、本作ではあのやりとりで思いが伝わっていることを納得できるように、きちんと物語が綴られていたと思います。

キャスティングがすごいというか、原作やアニメの再現度が高く、ファミレスの面々とかかなり「そのまま」。あきらも、良くこんな人見つけてきたなという感じ。大泉洋は店長ではなく大泉洋で、某キャラの方言には「?」となりましたが……。

元々漫画もアニメも非常に良くできている話だったので、原作ファンはわざわざ見なくても別に困らないと思いますが、少なくとも「原作レイプ」という感じはないかと。たしかに「悪くな」かったです。

 

『誰がアパレルを殺すのか』著:杉原淳一、染原睦美

地方で百貨店が多数閉店したり、どこの服屋に行っても同じようなものしか売ってないような気がしたり、そういった「最近なんか元気がない」アパレル業界の現状分析と、業界の定石にとらわれない新しいビジネスの動きについて書いている本。

戦後日本の「衣」にまつわる慣習から掘り起こして現状に至っていることを丁寧に書いているため、大変わかりやすい。業界の分業体制にとらわれて全員で沈んでいく状況や、粗製濫造の自転車操業、働く人、特に若い人の使い捨てをやったせいで敬遠されつつあるあたり、日本のSI業界や出版業界(高給取りでクリエイティブなので人気なのかもしれませんが)等、思い当たる業界は多数あり、アパレル業界がそれらに先んじて焼け野原になったんだなぁというのが、全くアパレルを知らない人間にも理解できます。

シェアリングサービスやフリマアプリといった新しい(2018年現在だと当たり前に使われているものになりつつあるように思いますが)も紹介されており、そっちは書きぶりもあるのでしょうが、なんとなく元気が出る気がします。

苦境も、焼け野原に芽吹いた芽も、2010年代半ばから後半にかけてのアパレル業界の状況について基礎知識をつけるのに非常に好適な一冊だと思います。

『せいきの大問題 新股間若衆』著:木下直之

彫刻といった立体裸体表現における性器表現、本書で言うところの「股間若衆」について語った一冊。「隠さなくたって、もういいじゃない!」と帯に書いてあるように、著者は裸体表現容認派。本ブログでも何度か言及したことがある性表現に関する「えっちなのはいけないと思います」という公序良俗に一石投じる一冊。

日本国内のあちこちのブロンズ像から、果ては日本古来の性器信仰の対象(下図参照)まで。彫刻や写真や絵として表現された性器そのものが果たして猥褻なのか?と著者は疑問を投げかけます。個人的に考えてみても、確かに性器単体で見て性欲を催されるかというと、微妙ですね。やはり痴態あっての性器だと思うんです。はい。

図版が142点あるそうですから、美術表現上の性器が大好きなあなたにお勧めです。内容としては実に真面目な美術の本です。

 

『戦争調査会 幻の政府文書を読み解く』著:井上寿一

なんだか最近第二次世界大戦の本ばかり読んでいる。なんとなく世の中にきな臭いものを感じるのかなんなのか。本書はタイトルの通り、「戦争調査会」という終戦直後に日本政府関係者自身によって日中・太平洋戦争の開戦と敗戦理由を調査した委員会の調査報告書について解説を加えるという体裁の本である。

「一億総懺悔」という言葉の元に思考停止するのではなく、当時の日本人の手で、可能な限り客観的に負けた戦争を多面的に分析しようとしていたのだというのは、教科書レベルの近代史知識しかなかった自分にとっては新鮮だった。GHQによって戦争調査会のプロジェクトは未完のままに終わってしまったという史実は実に残念である。

結局なんであんな勝ち目のない戦争を始めたのか、どうして良いところで辞められなかったのかということに、「これだ」という単独でスッキリした理由なんてないのだろう、という「おわりに」に述べられていることが、本書の一番の収穫であったように思う。というわけなので、これからも折に触れて色々な本を読んで勉強したいものである。

『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』 著: 吉田 裕

現場にいた兵隊の視点から様々な資料を引用しつつ、戦場にいた旧帝国陸海軍の兵士達がどのような扱いを受けていたのか(主にどのように死んでいったのか?)を記した本である。筆者のライフワークの集大成という感じだろうか?一兵卒の体験談としては『海軍めしたき物語』シリーズや、水木しげる先生の『総員玉砕せよ』等があるが、これは戦後生まれの著者が収集資料に基づいて客観的かつ網羅的に解説する本である。恐らく歴史学者である著者の主著を見れば色々細かいことが書いてあるのだろうが、これは広く浅く全体感を示す感じ。

本書の前半では特に軍人、民間人を合わせて280万人(全体の90%)近く亡くなったといわれる1944年以降の「絶望的抗戦期」を取り上げてその時期に日本軍の兵士が置かれていた状況を書いている。インパール作戦やガダルカナル島の戦いの悲惨さは良く聞くが、中国戦線に関しても、南方との人員、物資のやり取りについてもひどいものだったようである。正直言って本書を読む限り、帝国陸海軍は国を守る、国民を守る組織としてはあまりにお粗末という感じである。戦時医療体制、特に歯科医療体制のお粗末さ故に前線の兵士に虫歯が多かったといったことや、動けない傷病兵や行軍からの落伍者を「処置」していったこと、戦場ストレスによる拒食症(いわゆる戦争栄養失調症)、自殺率の高さ、と戦場は平時とは全く異なるとはいえ、はっきり言って帝国陸海軍の兵士(我々の祖父たちの世代)の置かれていた状況は酸鼻を極める。

後半では、どうして自軍の兵士にそんな酷い仕打ちをするに至ったのかという旧日本軍の体質を解説している。そもそもの戦争指導体制から内部統制、工業力といった様々な視点から書いている。

私の祖父も戦争末期に中国戦線で戦っていたそうだが、良く五体満足で帰ってきたものだなぁと思う。子どもの頃に見た優しい笑顔を思い出すが、その目は一体どんな地獄を見てきたのだろうか?もっと話を聞いておけば良かったと、切に思う。