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『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』著:河合雅司

正直読んでいて楽しい本ではない、かさぶたをはがすような奇妙な快感がある本ではあるが。これから本書に書かれた未来を経験するだろう年代の自分が本書を読むと、「どうしてこうなったのか?」「なぜこれまで一切有効な対策が取れていないように見えるのか?」という思いと共に、自分がこれから経験するであろう灰色の未来に絶望が深まるばかりである。本書は、これから起こるであろう人口減少の推移、およびそれに伴って起きるだろう社会現象を時系列順に書き(これがまた気が滅入ることばかり)、それらの社会現象の被害を少しでも緩和するために取り得る筆者のアイデアが幾ばくか披露されている本である。「輸血用の血液が不足する」「火葬場が不足する」といったようなミクロな現象まで書かれているのが興味深い。

対策の方は正直結構常識外れというか、かなり無茶な物が多いように思われる。ただ、裏を返すと、それくらい考えないと人口が自然に減少して、人口の構成が老人に偏る、という事態に対処できないということなのかもしれない。なにせ人類の歴史において初めての出来事なわけなので。個人的に思ったのは、対策1の「高齢者の削減」:定年延長というか、現在のリタイア前半世代を現役に再定義することについては、古式ゆかしい日本の年功序列の解体、儒教精神の無効化とセットで進めないと、社会が停滞してさらに若者を痛めつけることになるだろうなということである。要するに、高齢者の方が「若いやつにあごで使われる。」と言うことを容認していかないと、社会や組織が停滞してじり貧になるだろうなと。自分も「老害」にならないように努々注意しなくてはならないなと思う。ただ、現実にこういった対策がとられる可能性はあまり期待できないだろうなとも思う。恐らくズルズルと、介護心中やら何やらかんやら個人に疲弊を押しつけつつ、なぁなぁで進むんだろうなと。

本書の効用は、とにかく一度余り明るくない未来について棚卸しをしてしまおう、ということなのだと思う。幽霊の正体見たり枯れ尾花ではないが、たとえ相手が本物の怪物であったとしても、正体が分からないままにおびえるよりも、正体を理解する方が幾ばくかはマシである。大きな流れはハッキリ言って本当にどうしようもないので、自分と身の回りが少しでもハッピーになるように上手く諦めたり、できることをするってことなのだろう。

では個人としてどういうことができるか?望み薄ではあるが、我が国が幸いなことに民主主義国家であるという利点は最大限生かすべきであろう。要するに、賢明で物を分かった為政者を選ぶ、ということを続けていく必要はあるだろう。目に見えて自分の生活が楽になることはおそらくないだろうが、「やらないよりマシ」である。あとは、単純にお金(貯蓄、資産形成)で解決できる問題ではないように思う。住む場所、働き方、健康管理、家族形成(離婚したり、子供が自分の面倒を見てくれない可能性はある、それでも、赤の他人よりは自分を助けてくれる可能性は高いとはいえるだろう、あとは別に定型家族に限った話でなく、友人と近くに住んで互いに助け合う関係を作るといったことも、広義の家族形成だと思う。)生活のハードウェア、ソフトウェアの両面について、マクロな状況を見極めつつ、ミクロに自分の人生を守るポートフォリオを形成していく必要があるのだと思う。難しいことを考えなくても、レールに乗っていればそこそこ幸せになれたちょっと昔の人が正直うらやましいものである、まぁ色々社会的な規範が強くて、息苦しい社会だったのかもしれないが。

 

『他人を攻撃せずにはいられない人』著:片田珠美

精神科医の先生が、見渡してみると結構いる「他人を攻撃せずにはいられない人」について書いた本。以前紹介したサイコパスみたいな人もこのタイプに含まれるのだろうが、中身はともかく、とにかく人当たりの面で「他人に対してやたらと攻撃的」とか、「やたらと上から目線でマウンティングしてくる」的な人の見分け方と対処法を書いた本。いるよね、そういう人。親子関係においてはいわゆる「毒親」みたいな人も本書の対象に当てはまるのだろう。

本書については名は体を表す、のごとく実例を挙げて具体的に見破り方、対処法が書いてある。おそらくは本書を読んだ人が「攻撃的」な人から自分を守れるようなマニュアルとして使われることも想定しているのかなという感じ。とはいえ、こういう人に対してできることは「できるだけ関わらないようにする」ということだけのようで、まぁそうだわなと思うほかない。

所謂「箴言」のたぐいが良く引用されているのは、もちろん著者の趣味なんでしょうけど、こういう人、昔からたくさんいたんだろうなぁと思います。きっとそうなんでしょう。

ということで、タイトルを読んで周りにいる人の顔が思いついたら、読んでみて損のない本だと思います。

『経済数学の直観的方法 確率・統計編』著:長沼伸一郎

確率・統計というと、釣り鐘型の正規分布曲線を思い浮かべますが、確か二項分布からあそこに至るまでの証明がややこしかったり(僕が数学ダメなだけかもしれませんが)、平均は分かるが、標準偏差や分散が分かりにくかったり、なんであの計算式になっているのか分からなかったりと、青息吐息で単位だけ取った記憶がよみがえります。

何回か著書を紹介している長沼伸一郎氏の著作。今回のテーマは、確率統計。主に正規分布の話から、ブラウン運動の数学的取り扱いや、投資オプションを決める際の数学的背景となっているブラック・ショールズ理論のさわりまでがテーマです。

最初に、標準偏差や分散といった確率統計理論上の主要概念を、「釣り鐘型」→「三角形」への簡略化を使って紹介します。正規分布というのは、何かを計測したときの値のばらつきのうち、とにかく偏りがあるものは人間が調整してしまうので、最後に残った完全にランダムなものをどう扱うかを一生懸命考えたら我々の宇宙では「たまたま」あんな形の曲線が残った。説明がややこしいので、平均値を底辺の中点とする二等辺三角形で置き換えて説明する、というもので、一度確率統計で苦しんでいたので、確かによく分かりました。

後半どころは、そもそも勉強したことがなかったが、「ランダムウォーク:酔っ払いの千鳥足」を放置するとどこまでたどり着く可能性があるか?という問題に対して、前半で分かった気になった正規分布が絡んできて、これもまた分かった気になります。ブラックショールズ理論、伊藤のレンマ、の辺りはもう一度読み返す必要がありそうですが、連動性を上手く利用した無リスクポートフォリオなんて、良くまぁこんなものを思いついたものだ、大変関心をしました。

難解そうに見える理論も、細かい数学的な補足はともかくとして、最初に思いついた人の発想は案外単純なのでは?という考え方は物理数学の直観的方法にも書いてあったと思いますが、本書もやはりその辺を突いてくるので、それを使ってテストの問題が解けるかはともかくとして、苦手意識がマシになる、良質な副読本です。

  

『アメリカン・スナイパー』著:クリス・カイル他、訳:田口俊樹他

戦争当事者の手記、回想録というと、古くはユリウス・カエサルの『ガリア戦記』、我が国に目を向けると宇垣纏の『戦藻録』等でしょうか。本作も、それに連なる一作と言えるかもしれません。

本作は2000年代初頭のイラク戦争に従軍した、アメリカ海軍の特殊部隊SEALS所属のスナイパー、クリス・カイル氏の回顧録です。同名の映画にもなりました。世界史に名だたる狙撃手というと、フィンランドのシモ・ヘイヘ、ソ連のヴァシリ・ザイツェフ等がいますが、彼も「ラマディの悪魔」と恐れられた凄腕の狙撃手でした。確かアメリカ軍の兵士としては最高の射殺数を持っているそうです。彼曰く「偶然」だそうですが。戦果がすさまじい上に、カイル氏はPTSDに苦しむ退役軍人の互助会のような活動の中で、元兵士の銃弾に倒れます。不謹慎な物言いかもしれませんが、歴史上の英雄のような人です。

本作では、訓練を受けて、イラクに赴き、様々な場所を転々としながら戦果を重ね、同時に心身を痛め、退役して第二の人生を歩き始めるまでが描かれます。時々挿入される奥さんのタヤさんの文章が、殺伐とした戦場と対比されます。クリス氏の家族は戦争を乗り越えることができたわけですが、彼の同僚や、陸軍、海兵隊の兵士の中には上手くいかなくなってしまった家族もたくさんあったんでしょう。彼は自分がしたことに悔いはなかったようですが、個人的には彼と彼の家族も、彼が射殺したイラク人と同様に戦争の被害者であるように感じられます。

戦争は避けられる限り避けるべきだという思いは今も変わらないのですが、本書を読んでクリス氏に感情移入すると、目の前で仲間が殺されそうになれば引き金を引く、それもまた正しいと思えます。こっちが何もしなくても、けんかをふっかけられるときはあるわけで、自分が直接恨みを買ってなくても、恨まれるときもあるわけで、ホント、どうすりゃ良いんでしょうね。

『奴隷のしつけ方』 著:マルクス・シドニウス・ファルクス、ジェリー・トナー 訳:橘明美

某国民的アイドルグループの晒し首会見以来、一時的に売り上げが上がったという一冊。ケンブリッジ大学でローマ史を研究するトナー教授が、古代ローマ時代のローマ貴族、マルクス・シドニウス・ファルクスの口を借りてローマ時代の奴隷の取り扱いについて語る一冊。奴隷なんて建前の上では存在しないことになっている現代日本ではありますが、要するに経営者が従業員のマネジメントをどうするかという意味で、通用する本であると考えられているようです。どちらかというと劣悪な労働環境を自虐する「使われる」立場からの「面白い」という声が多いように思いますが。

奴隷というと、三角貿易でアメリカの綿花農場で働かされる黒人奴隷(腱が切れるくらいの過酷な労働を課された)というイメージが強かったのですが、知的な仕事に従事する奴隷もいたそうです。また、食事に関しては、きちんと与えなければいけないと考えられていたらしく、体罰も、必要ではあるがやり過ぎは禁物ということのようでした。とはいえ人道的な理由というよりは、「資産」の生産効率を最大化するための功利的な考えに基づくものであったようです。また、家族を持つことを許されることもあり、主人が死んだり、特別な功績を挙げたりすると解放され、参政権はないが誰かの所有物ではないという「解放奴隷」の立場を手に入れることができたりしたようです。とはいえ、ローマ帝国が征服した各地から連れてこられ、誰かの所有物として扱われるのは気持ちいいものではなかったことでしょう。

さて、現代の日本に目を向けると、会社において、結婚が推奨され(もちろん本人にとっても幸福なものになる可能性はありますが)、家を買ったとたんに海外、僻地に転勤させられるなんて話があったりしますね。そして何より、我が国日本には、悪名高い「外国人実習生制度」なんて物もあったりします。まぁ2000年経っても、洋の東西を違えても、人間は大して変わらないのかもしれませんね。

これを読むあなたは「使う側」なのか「使われる側」なのかは分かりませんが、「使う側」は従業員が上げる「アガリ」を最大化するために、「使われる側」はそんな「使う側」の意図を見抜いて自由を手に入れる、あるいは守るために、どちらにしても役に立つ一冊だと思います。オススメです。

『原発と大津波 警告を葬った人々』著:添田孝史

4大公害病なんて言葉があったけれど、それに勝るとも劣らない、企業による深刻な環境汚染事件が「なぜ」起きたのかを検証する一冊。もちろん直接的な原因は東日本大震災を原因とする津波だった訳だが、それを事故に結びつける様々な不作為、無責任があった。事故の16年前の阪神・淡路大震災以来、原発の安全性が疑問視され、様々な研究も進み、福島第一原発に対して津波に対する安全対策を取るよう様々な勧告が為されたりしたにもかかわらず、東京電力は無視し続けた。その経緯がどんなものであったのか、著者は緻密な取材を行い、今も残る問題を指摘する。

肝心なところは、最後の章で指摘される、事故を起こした国や電力業界、メディアの体質が、事故前とあまり変わっていないことだろう。ヒステリックで非科学的な「反原発派」のキ(ry、もとい攻撃的な心配には辟易するが、本書を読んで原発を日本で引き続き運用するべしと思うのは難しいだろうと思う。私もそう思った。とはいえ、反対もしきれない。石油や石炭火力発電所に比べて燃料1グラム当たりに生み出せるエネルギーが大きく、燃料の貯蔵が容易なためエネルギー安全保障上の意義が大きいというのも理解はできるし、水、食料と並んで、途絶えると人命に関わるのがエネルギーである。税金を食いつぶす穀潰しであるもんじゅはさっさと廃炉にしろと思うが、長寿命な放射性廃棄物の少ない高速炉の研究の意義は認める。日本に原発を入れることを決めた人の決断にはこういった善意も幾ばくかあったのではないかと思いたいのだ。

結局、ある原子炉はしょうがないので安全対策を講じつつ使いダメなものはさっさと廃炉にして、代替案を用意してそっちに軸足を移すという「原子力はつなぎのエネルギー」というよくある意見に行き着いてしまう。原発の安全に関わる体質がほとんど変わっていないこと、というか、電力会社の利益と安全対策が相反する時点で、そこにいろいろな人の生活がガッチリ食い込んでしまっている時点で本質的な改善は不可能ではとも思うわけで、どうすれば良いのかなぁとウジウジするのであった。

とまぁ、エネルギーに夢がない(水力は環境を破壊する、風力太陽光はよっぽどコストをかけないと今と同じような電気の使い方を許さない、火力もCO2を出す……、本書の書くとおり原子力はアレ)ということを鑑みても、あまり読んでいて楽しい本ではない。しかし、エネルギー使ってなにがしかをしている存在として、考え続けるということは市民の義務ではなかろうかと思うので、本書は非常にオススメできる本である。少なくとも怪しい疑似科学の本やらヒステリックに危機を煽る本やらを読むより一万倍、この本を読むことをオススメしたい。

 

『イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』 著:ハンナ・アーレント 訳:大久保和郎

人類史まれに見る悪行であるホロコースト、その中心の1つにいたのがアドルフ・アイヒマンという男でした。彼はホロコーストにおいてユダヤ人の人々をどの収容所に送るのかを決定する実務面のトップでした。彼は第二次世界大戦末期に他のナチス幹部らと同様に南米に逃げ延びていたわけですが、とうとう1960年にイスラエルの諜報機関「モサド」によって拉致され、イスラエルの首都イェルサレムにて裁判にかけられます。これがいわゆるアイヒマン裁判だったわけですが、これは哲学者のハンナ・アーレントがこの裁判を傍聴して書いた傍聴記録です。

副題にある「悪の陳腐さ」とはなんだったのか、それはアイヒマンが想像力の足りない普通の人間であったということでした。アイヒマン自身は殺人を犯そうと思ったわけではなく、ユダヤ人を特別憎んでいたわけでも、精神に問題を抱えていたわけでもありませんでした。彼はただ普通の会社や役所で書類仕事をするのと同じように上司の命令に従い、数百万の人々を死に追いやったということが裁判の結果明らかになったのです。これはいうなればおそらく彼以外の普通の人が同じような立場に置かれれば、同じように多数の人を虐殺しかねないという事でもありました。

この本を書いたことでアーレントはユダヤ人のコミュニティからハブられる事になりました。その理由は、アーレントはこのアイヒマン裁判には正当性がないと言ったことにありました。彼女が指摘したアイヒマン裁判の欠陥には以下のようなものがありました。

  • イスラエルの国民ではない彼をイスラエルの法律で裁くことは正当性があるのか?少なくとも彼がホロコーストに手を染めていたとき、その行為はナチスドイツ政権下では合法だった。
  • そもそもイェルサレムの法が及ばないアルゼンチンからアイヒマンを拉致してきたことは、法廷の正当性を損なわないのか?
  • 極東軍事裁判もニュルンベルグ裁判もそうだが、戦争に勝った国が負けた国の人間を裁くのは裁判として正当性があるのか?
  • 「人道に対する罪」という戦後に作られた罪状で彼を裁くのは、罪刑法定主義に反するのではないか?
  • 人道に対する罪を裁くはずのイェルサレム裁判を主催している人間が「ユダヤ民族のための法廷」といってしまっており、矛盾している。(人道に対する罪は特定の民族に対してではなく普遍的な人類に対する罪である)
  • 「ホロコーストの歴史的な記録を作るためのものだ」、という関係者の発言はそもそも裁判の目的ではない。

などなど。ユダヤ人にはディアスポラ以来の民族的な被害者意識があり、それが裁判の正当性に対する目を曇らせてしまっていると指摘したがために、彼女は友達から縁を切られるわなんやと散々な目に遭います。

アーレントはこのように徹底的にアイヒマン裁判の正当性を腐すわけですがしかし、彼女は結局最後にこのように、アイヒマンは死刑になるべきだと言います。

ユダヤ民族および他のいくつかの国の国民たちとともにこの地球上に生きることを拒むーーあたかも君と君の上官がこの世界に誰が住み誰が住んではならないかを決定する権利を持っているかのようにーー政治を君が支持し実行したからこそ、何人からも、すなわち人類に属する何ものからも、君と共にこの地球上に生きたいと願う事は期待しえないとわれわれは思う。これが君が絞首されねばならぬ理由、しかもその唯一の理由である。

あなたはこの理由に納得できるでしょうか?そもそも人を死刑にすることに賛成できるでしょうか?内容的にも分量的にもヘビーな一冊ですが、読んで良かったと思う一冊。生活のため、組織人として生きるとき、ここまでシビアでなくとも人倫にもとるような判断を迫られるときが、どんな人にも訪れるかもしれない、その時あなたは命令に逆らう勇気を持てるか?本書はそう問いかけます。

『医師の一分』著:里見 清一

帯のあおり文句には、2016年の中頃に世間を騒がせた某大量殺人事件を思わせるわけですが、もちろん現役のお医者さんが書いているのでそんなことはなく、現代の医療と死生観についての辛口エッセイという感じの新書でした。元々どこかの週刊誌の連載だったようで。

そもそも生きているとはどういう状態なのか、判断力を何らかの形で失ってしまった人の自己判断を尊重するとはどういうことか、医学の専門知識のない患者本人に、説明をした上とはいえ自分の治療方針を自己決定させることはそもそもフェアなのか、災害で多数のけが人が出ているわけでもないが、深夜の救急医療の現場で複数の患者さんが重なったときにどの人から治療すべきか(所謂トリアージですね)、などといった微妙な問題に切り込んでいます。

無限に医療や介護に携わる人がいて、無限に予算があって治療を施せるならそれでいいんでしょうが、今後の日本は医療や介護のお世話になる側ばかりが爆発的に増えていくような状況になるわけで、死んでいく人のお守りばかりしても国は沈むばかりです。命は平等でありそれぞれ尊重されなくてはならないが、とはいえ現実的に目の前に溢れる救うべき人を資源の制約の問題から選別しなくてはならない、となったときにどうするべきなのかというのは難しい課題でしょう。自分は医療に携わる人間ではないし、あるとすれば身内の介護くらいのものでしょうが、本当に気が重いです。自分自身も最終的には老いて衰えて死ぬわけで、できるだけその時の若い人に迷惑をかけないようにしたいわけですが、人生自分の思い通りにならないの筆頭ですからねぇ、老病死の問題は。

ということで、自分の人生に訪れるであろう老病死について思いを馳せるには適当な一冊かもしれません。

自分を構成している創作物+α

http://anond.hatelabo.jp/20160607204255

を読んで書きたくなったので。

小学生時代:あまり記憶がないが、ロボットアニメは好きだった。最初の2冊は今でも持っている。

  • 黒猫の王子カーボネル
  • ともだちは海のにおい
  • 魔法陣グルグル
  • 機動戦艦ナデシコ
  • 天空のエスカフローネ

中学生時代:理系に進もうと思ったのはこの辺で触れた作品によるため。私が台所に立つのはCCさくらの桃矢お兄ちゃんの影響。

  • 沈黙の春
  • 勇者王ガオガイガー
  • カードキャプターさくら
  • NHKスペシャル 家族の肖像
  • 同 驚異の小宇宙 人体III 遺伝子

高校生(浪人生時代)本格的にオタクに転ぶ。というか、「ちょびっツのツの字」というファンブックにあった故 米澤嘉博氏の評論を読んで私はオタクになった。

  • ちょびっツ
  • 灰羽連盟
  • 戯れ言シリーズ
  • ケーブルテレビでアニメをめちゃめちゃ見ていた。このときの蓄積が私のオタクの教養を支えている。

大学生時代:めっちゃエロゲやってた。アージュ作品とかも好きだった。

  • 十二国記
  • プラネテス
  • Fateシリーズ
  • 丸戸史明作品(パルフェ、この青空に約束を)
  • Cross†Channel

大学院生時代:ノンフィクションで当たりを引いた。ここに挙げるノンフィクション3冊は本当に自分の幹になっていると思う。

  • 放浪息子
  • Gunslinger Girl
  • ニコニコ動画のアイマスMAD
  • すべてはモテるためである
  • この世で一番大事なカネの話
  • Landreaall
  • Girls und Panzer
  • 孤独と不安のレッスン

社会人:現在進行形

  • マージナル・オペレーション
  • 艦これ

『amanda写真集』

自転車マニアなら名前を聞いたことくらいはあるであろうオーダーメイド自転車ブランド「アマンダ」の写真集&アマンダの職人千葉洋三さんへのインタビューの2冊組みの書籍。世界で最初にカーボンバイクを作り始めた人の1人だそうです。その他にはカーボンを使ったディスクホイールやクロモリパイプと木リムでできたコンプレッションホイール、ペダリングモニタのSRMの輸入代行もやっていた方。東京にあるパンダーニというお店の方が製作された同人誌?のようなもの。

漫画同人誌を集めている関係上、こういう個人出版の本は好きなので買ってみました。結構高価でしたが、800冊限定で装丁に凝り、利益を出そうとするとこんなものかなぁと思います。日本ではアメリカとは違って産業遺産というものが大切にされないので、案外こういう工業製品を作っていた人の写真集なんかは歴史的な価値が出てくるのではないかと思っていたりします。しかもただのオーダーメイドフレームではなく、世界初のカーボンバイクを作ったビルダーさんですから、自転車製造の歴史の中でもメルクマールに当たる人なんじゃないかと思うのですよね。

鋼のフレームを至高とする思想の持ち主の方で、鋼と同様の走行特性を持たせつつ、少しでも軽く作るためにカーボンを使っているということのようです。理論を要約すると、
– 質量、剛性(ヤング率、特に前三角に重要なのはねじれ剛性のようですが)、強度(引張強さ)のバランスを取るとき、フレーム素材としてバランスが取れているのは鋼。
– アルミ合金やチタンは、合金の選定と設計によって強度で鋼と同等にでき、質量の点で鋼に優れるが、剛性で全く適わない。
– 質量増加を抑えつつ剛性を稼ぐために薄肉大径化すると、今度はぶつけたときにすぐへこむようになるので扱いがデリケートになる。そんな自転車は実用品としてどうなの?

という事みたいです。実際に走っているときのことを考えるともっと複雑な力がかかるのでしょうから、単純な物性値のみで比較するのが妥当なのかは分かりませんが、割と納得できる理屈。千葉さんの場合、大学の先生と組んで論文を出しているみたいなのですよね。ちょっと読んでみたい。CiNiiに2000円払えば一部読めるようですが。

一部をチラ見せ。

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表表紙と裏表紙。箔押し

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中身は二分冊で、一冊は写真集。おそらくはパンダー二のお店に縁のある方の自転車なんでしょうから、世の中にはもっといろいろな自転車があるんでしょうね。もう一冊には、amandaの歴史を物語る各種の写真と、千葉さんへのインタビューなどが載っています。

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ちなみに背表紙はこんな感じ。
現代のカーボンフレームに比べると決して軽くはないが、踏力を推進力に変換する効率が良いので良く走る、というアマンダのバイク。僕も欲しいのだけど、今は乗るものもあるし、千葉さんも高齢なので、多分ご縁はないんだろうなぁと思っていたりします。ホ、ホイールくらいなら作ってもらえないだろうか?

この写真集、まだ在庫は残っているんでしょうか?こちらから買えますので、興味がおありの方はお早めに。