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『良心をもたない人たち』著:マーサ・スタウト 訳:木村博江

いわゆる『サイコパス』とか『反社会性人格障害』とか呼ばれる人たちの特徴紹介と、普通の人たち向けの対策法を指南する本。どういう人かというと、『三月のライオン』の妻子捨て夫さんとかそんな感じ。

アメリカ社会の4%がサイコパス、本書で言うところの「良心をもたない人たち」で、彼らは他人を自分のために利用する駒としか思っていない。彼ら彼女らは外面は良く、徹底的に責任を回避し、平気で嘘をつき、泣き落としでも何でも使って短期的に自己利益の最大化を図る。96%の普通の人たちに言えることは、サイコパスが自分の身の回りの人間関係の中に登場したら、とにかく逃げろ、人間関係の中から排除しろ、ということらしいです。

本書の面白かったところは、倫理とか道徳の起源(インチキ学校道徳ではなく人類史において割と真面目に考えられてきた方の)、というかなぜ我々が倫理観や道徳観を持っているかという問いに仮説を立てていたところでした。要するに「自己利益を最優先する人間の集団」と「助け合い協力しあう人間の集団」どっちが戦争に勝って生き残りますか?という話です。ある種の淘汰の結果として「良心」を持った人が大多数を占めているということなんでしょう。人間社会が緻密な協力と信頼の上に成立していることから考えると、長期的にはそういった恩恵を受けられないサイコパスがじり貧(と本書には書かれている)のもむべなるかな。

とにかく日常生活においては迷惑きわまりないサイコパスの皆さんですが、彼らが大活躍できるのが「兵士」としてであるというデーヴ・グロスマン氏の『戦争における「人殺し」の心理学』が引用されていました。やっぱりこの手の研究書でワンアンドオンリーだよなと。

 

 

 

『イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』 著:ハンナ・アーレント 訳:大久保和郎

人類史まれに見る悪行であるホロコースト、その中心の1つにいたのがアドルフ・アイヒマンという男でした。彼はホロコーストにおいてユダヤ人の人々をどの収容所に送るのかを決定する実務面のトップでした。彼は第二次世界大戦末期に他のナチス幹部らと同様に南米に逃げ延びていたわけですが、とうとう1960年にイスラエルの諜報機関「モサド」によって拉致され、イスラエルの首都イェルサレムにて裁判にかけられます。これがいわゆるアイヒマン裁判だったわけですが、これは哲学者のハンナ・アーレントがこの裁判を傍聴して書いた傍聴記録です。

副題にある「悪の陳腐さ」とはなんだったのか、それはアイヒマンが想像力の足りない普通の人間であったということでした。アイヒマン自身は殺人を犯そうと思ったわけではなく、ユダヤ人を特別憎んでいたわけでも、精神に問題を抱えていたわけでもありませんでした。彼はただ普通の会社や役所で書類仕事をするのと同じように上司の命令に従い、数百万の人々を死に追いやったということが裁判の結果明らかになったのです。これはいうなればおそらく彼以外の普通の人が同じような立場に置かれれば、同じように多数の人を虐殺しかねないという事でもありました。

この本を書いたことでアーレントはユダヤ人のコミュニティからハブられる事になりました。その理由は、アーレントはこのアイヒマン裁判には正当性がないと言ったことにありました。彼女が指摘したアイヒマン裁判の欠陥には以下のようなものがありました。

  • イスラエルの国民ではない彼をイスラエルの法律で裁くことは正当性があるのか?少なくとも彼がホロコーストに手を染めていたとき、その行為はナチスドイツ政権下では合法だった。
  • そもそもイェルサレムの法が及ばないアルゼンチンからアイヒマンを拉致してきたことは、法廷の正当性を損なわないのか?
  • 極東軍事裁判もニュルンベルグ裁判もそうだが、戦争に勝った国が負けた国の人間を裁くのは裁判として正当性があるのか?
  • 「人道に対する罪」という戦後に作られた罪状で彼を裁くのは、罪刑法定主義に反するのではないか?
  • 人道に対する罪を裁くはずのイェルサレム裁判を主催している人間が「ユダヤ民族のための法廷」といってしまっており、矛盾している。(人道に対する罪は特定の民族に対してではなく普遍的な人類に対する罪である)
  • 「ホロコーストの歴史的な記録を作るためのものだ」、という関係者の発言はそもそも裁判の目的ではない。

などなど。ユダヤ人にはディアスポラ以来の民族的な被害者意識があり、それが裁判の正当性に対する目を曇らせてしまっていると指摘したがために、彼女は友達から縁を切られるわなんやと散々な目に遭います。

アーレントはこのように徹底的にアイヒマン裁判の正当性を腐すわけですがしかし、彼女は結局最後にこのように、アイヒマンは死刑になるべきだと言います。

ユダヤ民族および他のいくつかの国の国民たちとともにこの地球上に生きることを拒むーーあたかも君と君の上官がこの世界に誰が住み誰が住んではならないかを決定する権利を持っているかのようにーー政治を君が支持し実行したからこそ、何人からも、すなわち人類に属する何ものからも、君と共にこの地球上に生きたいと願う事は期待しえないとわれわれは思う。これが君が絞首されねばならぬ理由、しかもその唯一の理由である。

あなたはこの理由に納得できるでしょうか?そもそも人を死刑にすることに賛成できるでしょうか?内容的にも分量的にもヘビーな一冊ですが、読んで良かったと思う一冊。生活のため、組織人として生きるとき、ここまでシビアでなくとも人倫にもとるような判断を迫られるときが、どんな人にも訪れるかもしれない、その時あなたは命令に逆らう勇気を持てるか?本書はそう問いかけます。