『原発と大津波 警告を葬った人々』著:添田孝史

4大公害病なんて言葉があったけれど、それに勝るとも劣らない、企業による深刻な環境汚染事件が「なぜ」起きたのかを検証する一冊。もちろん直接的な原因は東日本大震災を原因とする津波だった訳だが、それを事故に結びつける様々な不作為、無責任があった。事故の16年前の阪神・淡路大震災以来、原発の安全性が疑問視され、様々な研究も進み、福島第一原発に対して津波に対する安全対策を取るよう様々な勧告が為されたりしたにもかかわらず、東京電力は無視し続けた。その経緯がどんなものであったのか、著者は緻密な取材を行い、今も残る問題を指摘する。

肝心なところは、最後の章で指摘される、事故を起こした国や電力業界、メディアの体質が、事故前とあまり変わっていないことだろう。ヒステリックで非科学的な「反原発派」のキ(ry、もとい攻撃的な心配には辟易するが、本書を読んで原発を日本で引き続き運用するべしと思うのは難しいだろうと思う。私もそう思った。とはいえ、反対もしきれない。石油や石炭火力発電所に比べて燃料1グラム当たりに生み出せるエネルギーが大きく、燃料の貯蔵が容易なためエネルギー安全保障上の意義が大きいというのも理解はできるし、水、食料と並んで、途絶えると人命に関わるのがエネルギーである。税金を食いつぶす穀潰しであるもんじゅはさっさと廃炉にしろと思うが、長寿命な放射性廃棄物の少ない高速炉の研究の意義は認める。日本に原発を入れることを決めた人の決断にはこういった善意も幾ばくかあったのではないかと思いたいのだ。

結局、ある原子炉はしょうがないので安全対策を講じつつ使いダメなものはさっさと廃炉にして、代替案を用意してそっちに軸足を移すという「原子力はつなぎのエネルギー」というよくある意見に行き着いてしまう。原発の安全に関わる体質がほとんど変わっていないこと、というか、電力会社の利益と安全対策が相反する時点で、そこにいろいろな人の生活がガッチリ食い込んでしまっている時点で本質的な改善は不可能ではとも思うわけで、どうすれば良いのかなぁとウジウジするのであった。

とまぁ、エネルギーに夢がない(水力は環境を破壊する、風力太陽光はよっぽどコストをかけないと今と同じような電気の使い方を許さない、火力もCO2を出す……、本書の書くとおり原子力はアレ)ということを鑑みても、あまり読んでいて楽しい本ではない。しかし、エネルギー使ってなにがしかをしている存在として、考え続けるということは市民の義務ではなかろうかと思うので、本書は非常にオススメできる本である。少なくとも怪しい疑似科学の本やらヒステリックに危機を煽る本やらを読むより一万倍、この本を読むことをオススメしたい。

 

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