『SEKIRO SHADOWS DIE TWICE』製作:フロム・ソフトウェア

Twitterでフォローしてるゲーマーの人が何回か話題にしていて、結局友人がプレイしている様子だったり、Vtuberがプレイしてる動画だったりを見て、ハードであるPS4含めて買ってしまいました。

ストーリーとしては戦国時代っぽい架空の時代の、日本っぽい場所の葦名の国を舞台に、不死者の主人から一度死んでも復活する力を授かった「狼」と呼ばれる忍者が、様々な勢力から狙われる主人を守ったり取り返したりしながら、主人の不死の運命からの解放を試みる話。

ジャンルとしてはアクションRPGで、体力だけでなく「体幹」を削り合う斬り合い、狼の左腕に装備された絡繰義手アクションや「弾き」と呼ばれる刀を使ったジャストガード、背後や頭上から無防備な敵や体幹を削りきった相手を一撃必殺する「忍殺」といった多様なアクションが可能。で、そもそも難易度がかなり高い、というのがポイントです。

ここからが私の感想なんですが、「ありがとうフロムソフトウェア!メチャメチャ楽しかったです!」の一言です。昔からアクションゲームが苦手で、「ゲームの練習って何?」みたいなひねくれた発想を持っていたこともあり、いわゆるアクションゲームはほとんどやったことがなかったんですが、奥さんが買ってきた「スプラトゥーン2」をきっかけに食わず嫌いが治りまして、前述の野良マーケティングの影響で今回のプレイと相成りました。

本ゲームの特徴の一つが難易度で、とにかく最初はザコにも何十回と殺されるザマ、何度「クソゲー」とコントローラーを投げたくなったことか。でも、相手をよく見て、何度もトライアルアンドエラーしてるうちに不思議と勝てるようになるんですね(勝ち方に再現性のないボスも沢山いましたが)。終盤になると似たようなボスを倒したことがあるのもあり、中ボスを初見で倒すみたいな展開も増え始め、着実な上達を感じました。その上、試行錯誤しているうちになんとなく制作者の意図というか、ゲーム上のこういう機能やアクションを使えってことか、みたいなのが見えてきて、楽しいんですよ。

バトルだけでなく、初見プレイだと特に新しいマップを探検するのも楽しい。マップのギミックデザインも巧みだし、ポリゴンも多くて風景もいかにも綺麗。単なる解像度の問題だけでなく、特に寺社や城郭の古びたの木材の質感や苔むした城壁、山道にできた水溜りの感じまで、「リアル」なんですよ。殺伐として終末観を感じる世界観なんですけど、ゲームの世界の中にいるというだけで楽しいのです。それこそ、モデルになった場所はどこか考えたくなったり、そこに行ってみたくなったりするくらいには。

ストーリーもよくできていて、特に「不死」「永遠(個人としての)」と「死」「継承(他人に受け渡すことによる持続)」の対比が素晴らしく、「殺すこと」が単なるゲームの要素ではなく、ストーリー上の重要なテーマになっていると感じました。

というわけで、今時の3Dアクションゲームをプレイしたのは2作目ですが、運のいいことにかなり充実した、そして新鮮な体験ができてしまいました。重ねて、制作者の皆さんありがとうございました。このゲーム、スッゲェ楽しかったです!DLC待ってます!

お散歩用フラットバーロードに手組ハブダイナモホイールを

ここ最近は乗る機会がガクンと減りましたが、15年近く手元にある現在のお散歩バイク。もっと利便性を高めるべく、比較的安価な部材でハブダイナモホイールを組んでみました。

部材

  • リム:Kinlin XR-19W 32H
  • 前輪ハブ:DH-C2100 32H
  • 後輪ハブ:FH-R300 32H
  • スポーク:星 ステンレス 2.0mm (#14)
  • ライト:LP-C2250

組み立て

ホイールの組み立てはハブの寸法さえ得られれば特に何ということもなく組み上げられました。後輪のハブFH-R300は今や希少な10速寸法のハブなのでスポークテンションのバランスが取りやすく、組みやすかったです。リムのXR-19Wも、継ぎ目こそスリーブジョイントですが安価なMavic Open Proという感じで精度も剛性も良好。

各寸法

  • 前輪
    • XR-19W ERD=597mm
    • DH-C2100
      • センター-左右フランジ=29mm
      • PCD=60mm
    • 左スポーク長=289mm
    • 右スポーク長=289mm
  • 後輪
    • XR-19W ERD=597mm
    • FH-RS300
      • センター-左フランジ=35mm
      • 左フランジPCD=45~46mm
      • センター-右フランジ=19mm
      • 右フランジ=45m
    • 左スポーク長=292mm
    • 右スポーク長=290mm

車両への組み付け

ライトはハンドルに取り付け。ライトから出ているケーブルはライト側から出ているケーブルをハブの端子に接続する部分が、ちょっと所見では分かりにくかったです。リアディレイラー用のアウターケーブルに巻き付けて長さを調整し、フロントフォークに2回くらい巻いてタイラップで留めました。外側に余裕を持たせて、内側はきっちりフォークに沿わせる形に。

走った感じ

車体が非常に高剛性で路面からの衝撃や振動を拾いやすいので、本数多めの手組ホイールとの相性は良いです(一番乗り心地に影響を与えるのは当然タイヤの空気圧ですが)。ハブダイナモホイールは0.6W出力なので、走っていても特に抵抗感を感じません。一度に何十キロも走る自転車ではないので、出力をライトに吸われることによる疲労の増大も問題ないでしょう。とにかく夜間に電池式ライトの電池が切れても近くのコンビニまで自走出来るこのホイールはこの自転車の実用性をさらに高めてくれるはずです(現行品の安価な部品を使っているので、最悪ホイールを盗まれても被害が小さい)。

  

『人間使い捨て国家』著:明石順平

労働基準法を無視して長時間働かせたり、払うべき給料を払わなかったりする所謂「ブラック企業」に対する裁判を多数担当している弁護士が、日本国の労働関係の法制度の問題点を指摘、批判している本。経団連や竹中平蔵氏を筆頭とする人材派遣業界と政界の癒着に日本の劣悪な労働環境の原因を見いだし、その改善のためのポイントや労働者個人個人に出来る対策を取り上げている。

「人間使い捨て」という剣呑なタイトルだが、本書では企業の邪悪さだけでなく、国家ぐるみで人間を使い潰すような法制度になっているということが指摘されている。最近フランチャイズオーナーと本社の間のトラブルがニュースにもなり始めているコンビニフランチャイズ、年俸制、固定残業代、高度プロフェッショナル制度、外国人技能実習生等々、そもそも日本の労働関係法制の中に、「ブラック企業」を跳梁跋扈させるような抜け穴(使用者側に労働時間の記録義務がなかったり、労働基準法違反の罰則が他の刑事罰に比べても甘かったり、そもそも労働基準監督官が諸外国に比べて少なかったり等々)が設定されている、というのが著者の指摘である。確かに、著作権法違反より過労死させた使用者の罰則が軽いというのはどうにもおかしい。

2019年に日本は移民解禁をしたわけだが、そもそも待遇が悪すぎて外国人から選ばれない国になっていたり、(21世紀の国力や経済を左右する重要なセクターである)IT系だと優秀な人たちから外資に引き抜かれていっていたり、「人間使い捨て」ではいよいよ上手くいかなくなる兆候が見え始めており、国にも経営者にも、労働者にむち打つ以外の別の冴えたやり方を考え出してもらいたいもんである。

この国で労働者として働くなら、とにかく一読しておいて損はない一冊である。5年後10年後にはこの本に書かれている問題点が1つでも良いので改善されていることを願ってやまない。

『歴史とはなにか』著:岡田英弘

どうやら異端らしい歴史家の一冊。人類史に「歴史」と呼ばれるものは2種類しか存在したことがなく、地中海世界の歴史と中国の歴史ということだそうである。地中海世界の歴史はヘロドトスのそれであって、一定のエリア(昔はヨーロッパ)における国家の興亡を書いたもので、現在我々が学校で教えられる歴史はこっちの書き方である。中国の歴史は、司馬遷が書き始めた皇帝の「正統」の概念を表すものであって、フォーマットが強固に決まっていてどの王朝の歴史も同じような書き方になるせいで本当のところがどうだったのかは判別が難しいらしい。両者が出会ったのはモンゴル帝国の時代で、その時初めて「世界史」というものが誕生したということのようだ。

日本の歴史は日本書紀に始まるもので、古事記は「偽書(成立年代が偽られている)」というのが著者の説。日本書紀は天武天皇が、中国の王朝に対して日本の王朝が「正統」であることを示すために書かせたもので、万世一系といわれる日本の天皇家を中心とする歴史はこの時代に始まった(神武天皇とかどうとかは歴史というより神話上の存在)ということのようだ。

いわゆる歴史認識の問題を論じていたり、現代と古代の境界を国民国家の成立に置いて中世という区分は適当ではないと書いていたり、学校で教えられたこととは違うことがあれこれ書かれており、それも筋が通っている物だから面白い。国民国家という仕組みに限界が来ていると本書には書かれているが、その後国連やEU、NATOといった超国家的な組織の方にこそガタが来ている感じで、この本を書いた当時の著者が今の世界情勢を見たときにどのようなことを考えるのか、見て見たかったような気がする。

神々の明治維新 神仏分離と廃仏毀釈 著:安丸 良夫

日本人の信仰の基底は何か?という問いに、明治維新の際の廃仏毀釈の経緯を整理することで答えようとする一冊。改元、新天皇陛下即位の儀式等で国家神道が前面に出ている今こそ読むべき本と言っていいのではないだろうか?

名前くらいは聞いたことがある廃仏毀釈であるが、始めたのは本居宣長的な「国学者」たちであった。寺請け制を以て統治機構に組み込まれていた寺社から政治的影響力を奪回したい国学者と欧米に負けない統一国家を作るために国民の意識の統合を狙う明治新政府が結託というか、お互いを利用し合う形で始めたものだったようで。とはいえすべてがトップダウンにエレガントに進んだというよりは、虎の威を借る狐的にそれぞれの地域で勝手に寺社を破壊したり、仏像を捨てて鏡を置いたりといったことを行った人もいたようだ。あれこれあって「信教の自由」を採用してキリスト教も解禁され、国家神道のあれこれは明らかに宗教的な儀式であるにも関わらず、微妙に宗教的なものではない的な方便(現行憲法下における自衛隊に通ずる物がある)で戦後日本においても国家事業として執り行われている、ということのようだ。

日本人は今でこそ無宗教と言われたりするが、現在神社とされているものが昔はお寺だったり、国家神道の神々の体系の外にいる土着の神様を祀っていたり、本当に「混沌とした多神教」だったようである。古いおうちにある神棚や、田舎の道ばたにあるお地蔵さんが、大きな神社の神様と同等の存在で、ほんの200年くらい前までの日本には八百万の国と言われるにふさわしい、十重二十重の信仰とおまじないのレイヤーが被さっていたようである。そう思うと近所の神社の縁起を調べてみたくなる。

というわけで、一昔前の日本は今とは微妙に異なる宗教世界であったらしい、という想像力を養う上で、良い一冊。

『書庫を建てる 1万冊の本を収める狭小住宅プロジェクト』著:松原隆一郎、堀部安嗣

自分のブログに「図書室」と付けるくらいには、図書館や書庫といった物に憧れがあるので、タイトルと表紙の写真に惹かれて買った一冊。とはいえ読み始めてみると、著者の1人である松原先生のファミリーヒストリーというか、お祖父さんがどういう人だったのかを探り、お祖父さんの遺言をいかに形にするか、というかなり込み入って盛りだくさんな内容だった。

普通はもっとビジネスライクな物なのかもしれないが、注文住宅を建てるというのはかなりウエットな物なのだなという印象を受けた。土地探しから施工まで、紆余曲折があって大変かっちょいい書庫ができあがる過程は読んでいて非常に楽しい。私有の建物なのだけど、一度で良いから中を見学してみたいものである。

果たして自分は住宅を所有管理することはあるんだろうか?持てるならばやってみたいことは割とあるのだが……。

『イスラム教の論理』著:飯山陽

正義の対局は悪ではなく、別の正義だ、とは現代のフィクションでは常識のような考え方ですが、本書に書かれていることは現代日本から見て、まさにそれを体現する実在の人々に関する話と見ていいでしょう。日本人の宗教観からするとかなりかけ離れた人たちで、自分の側に引き寄せて共感したり、理解した気になるのは危険かもしれないよ、というのは私としては納得感のある話でした。

イスラム原理主義とはよく言ったもので、非信者に対する強烈な差別意識と攻撃性を示すイスラム教徒のコーラン解釈もイスラム教の「正統な」解釈の一つで、それ故に世俗派、穏健派と呼ばれる人たちも否定できないそうです。事実、穏健派や世俗派とされているイスラム学者、指導者たちも否定できていない、という例が示されています。インターネットやSNS経由で原理主義の過激派に勧誘された人たちが出る理由が、そもそもインターネットとイスラム教の相性が良い(物理的な距離を超えて過激思想と出会い、「目覚めて」しまう)という事もあるようです。

イスラム教に関して学ぶことは、歴史を学ぶことや、フィクションを読むことに近いのかもしれないと思いました。つまり、我々の常識や正義と異なる信念を持つ相手、場合によっては相手に憎しみを抱いたり、共感できなかったり、愚かに見えたりする自分の主観をできるだけ排して、「相手なりの合理性」を理解しようとするというか。まぁ、そんな感じです。問題はイスラム原理主義者は、現代に実在する人間の集団であり、こちらに争う気がなくてもジハードを仕掛けてくる場合があるということで、そこは流石に我々の正義に基づいて自衛せねばとあかんという話なんでしょうか……。それをやってしまうとアメリカや欧州のように泥沼に引き込まれるわけで、どうすれば良いんでしょうかね……。

本書を読むと以下のツイートに出てくる「現地の人」の論理がなんとなく分かるかもしれません。

https://twitter.com/hally_sen/status/1193831850961059840?s=20

『華氏451度』著:レイ・ブラッドベリ 訳:伊藤典夫

焚書といったらこれ!というSFの古典。

本を焼くことの愚かさもそうだが、人類の足跡を個人の寿命の彼方に残すことや、残そうとする人間の意地の尊さを謳っている印象だった(もちろんそれらは裏表なんだけど)。

本作では焼かれる本に対してテレビあるいはSNS的な映像メディアが社会の退廃の象徴みたいになっていたけれど、世界各国のメディアテークやウェブアーカイブみたいに、映像やウェブコンテンツなんかも本と同じく残すべきものと認識され始めているように思う。SNSの方も、エコーチェンバー化して狂気の培養槽になることもあれば、社会階級や地理的関係を飛び越えて人と人を結びつける良い効果もあって、その辺は現実がブラッドベリの想像を超えていたんだろうか。

『ヒトラーの正体』著:舛添要一

舛添要一さんというと、都知事をやっていた印象しかないが、実はもともと世界史の学者で、ヒトラーに関する書籍もいろいろ読んだそうだ。ということで、本書は長年の読書や研究の成果を生かし、ヒトラーに関して来歴や様々な側面を俯瞰的に書いたヒトラーの入門書である。

代替内容は2つに分かれて、前半がヒトラーの半生、後半がヒトラーの「反ユダヤ主義」、「プロパガンダ」、そして「ヒトラーに従った大衆心理」という3つのトピックについて語る感じである。前半部だとヒトラーがワイマール憲法下で合法的に独裁体制を構築する過程がかなり詳細に書かれており、後半の3つに先立つ1つめのトピックといえるかもしれない。ホロコーストに至る反ユダヤ主義の流れはヨーロッパに長年根を張っていたもので、ヒトラー自身もウィーンで反ユダヤ思想家の影響を受けて自身の思想を醸成したというのが本書の説である。技術の発達やなんやかやで、長年醸成された反ユダヤ主義が行くところまで行ってしまったのがホロコースト、と解釈することも出来るようだ。

舛添さんとしては、トランプ大統領を代表として2019年現在の世相にヒトラー台頭時の世相を重ねてみているようで、それが本書をものした理由の一つであるようだ。ヒトラーが独裁体制を構築するうえで鍵になったのがワイマール憲法の48条の緊急事態条項で、その辺を考えると、昨今日本国憲法の改憲を希望している代議士の人たちがいの一番にそこに手を付けようとしているのはどうもまずいような予感がする。昨今東アジアの地政学的情勢が大きく動こうとしている中、戦争に巻き込まれた際のことを考えておく必要はあると思うわけだが、改憲ではなく現行憲法下における非常事態への対策法規でなんとかならないものなのだろうか?改憲するならむしろ勤労の義務を削除し、人権保障の観点をより強める方向で改憲していただきたいもんである。

目からうろこが落ちる、みたいな体験はなかったが、全体を俯瞰する本で参考文献も豊富なため、ヒトラーに興味は出たがどれから手を付ければ、と思っている際には良い本なのではないだろうか?

『ケーキの切れない非行少年たち』著:宮口幸治

本書は、長年に渡って青少年の矯正施設等で児童精神科医として働いてきた筆者が、所謂少年院のような施設に入所してくる少年少女たち(そしてしばしば彼らは少年院や、刑務所に戻ってきたりする)がどのような子どもたちで、その子たちがどのような共通する特徴を持っているか、原因が何でどのような対処を行えば彼ら彼女らをその境遇から這い上がらせることが出来るのか、私たちにどんなサポートが出来るのかを書いている。

人間の能力にはばらつきがあって、いわゆる「認知機能」にも高低がある。社会が要求する水準から著しく低い場合には行政の支援があるわけだが、そこはグラデーションなので、当然グレーゾーンには支援を必要としつつも受けられない人たちが出てきてしまう。筆者によれば彼らは健常者向けの学校教育を十分に受けることができず、社会においても健常者に求める水準の能力を発揮できない(ケーキが切れないというのは基本的な図形の認知機能すら危うい子たちが少年院にいるということを表している)場合があり、社会から孤立して犯罪・非行に走ってしまう。

最初から「受験」で選別が行われるような国立や私立の学校ならともかく、公立の小中学校で教育を受けたことがあれば、もしかしたらクラスや学年で一人や二人、本書の記載から思い浮かぶ顔が出てくるかもしれない。

似たような題材を扱った本には山本穣司の「累犯障害者」という本があるが、それに比べると本書はまだ脳の可塑性が高く、教育で改善の可能性が大きい子どもを対象としていることと、筆者考案の「コグトレ」という解決策が提示されているためまだ希望がある感じがした。