『イスラム教の論理』著:飯山陽

正義の対局は悪ではなく、別の正義だ、とは現代のフィクションでは常識のような考え方ですが、本書に書かれていることは現代日本から見て、まさにそれを体現する実在の人々に関する話と見ていいでしょう。日本人の宗教観からするとかなりかけ離れた人たちで、自分の側に引き寄せて共感したり、理解した気になるのは危険かもしれないよ、というのは私としては納得感のある話でした。

イスラム原理主義とはよく言ったもので、非信者に対する強烈な差別意識と攻撃性を示すイスラム教徒のコーラン解釈もイスラム教の「正統な」解釈の一つで、それ故に世俗派、穏健派と呼ばれる人たちも否定できないそうです。事実、穏健派や世俗派とされているイスラム学者、指導者たちも否定できていない、という例が示されています。インターネットやSNS経由で原理主義の過激派に勧誘された人たちが出る理由が、そもそもインターネットとイスラム教の相性が良い(物理的な距離を超えて過激思想と出会い、「目覚めて」しまう)という事もあるようです。

イスラム教に関して学ぶことは、歴史を学ぶことや、フィクションを読むことに近いのかもしれないと思いました。つまり、我々の常識や正義と異なる信念を持つ相手、場合によっては相手に憎しみを抱いたり、共感できなかったり、愚かに見えたりする自分の主観をできるだけ排して、「相手なりの合理性」を理解しようとするというか。まぁ、そんな感じです。問題はイスラム原理主義者は、現代に実在する人間の集団であり、こちらに争う気がなくてもジハードを仕掛けてくる場合があるということで、そこは流石に我々の正義に基づいて自衛せねばとあかんという話なんでしょうか……。それをやってしまうとアメリカや欧州のように泥沼に引き込まれるわけで、どうすれば良いんでしょうかね……。

本書を読むと以下のツイートに出てくる「現地の人」の論理がなんとなく分かるかもしれません。

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