投稿者「uterium」のアーカイブ

『ご冗談でしょうファインマンさん』著:リチャード・P・ファインマン 訳:大貫昌子

ノーベル賞を受賞した物理学者リチャード・ファインマン先生の逸話集。本人が書いたというよりは、本人がパーティーの席なんかでおもしろおかしく語るエピソードを集めたものを他人が口述筆記?したもののようである。方々で名著と言われるが、確かにとても面白かった。

とにかく逸話から受ける印象は、「とびきり頭がよくて、人生を楽しんでいる、スケベなオッサン」という感じ。一つのことを突き詰めた結果、そこから得られるある種の自信や確信が他の様々なことににじみ出ている感じ。これくらい人生を楽しめたなら、さぞ素晴らしいだろうなと思わされる。変にえらぶったりせず、かといって官僚主義におもねることもなく、ただひたすらに自分のペースを守るのは実にうらやましいというか、なんというか。本書を読めば絵を描いてみたくなるし、楽器を練習してみたくなるし、ストリップバーに出かけてみたくなること請け合い。

この本ではそういう印象なのだが、物理学者としては、「経路積分」という独特の方法で量子力学にアプローチして、最初は異端視されたりしたが、自分で道を切り開いて今では様々な分野に応用されていたりする。そんな学者としてのエピソードが解説で補強されていたりして、本文も面白いのだけれど、本全体としてもファインマン先生の人となり、魅力を存分に伝える一冊になっていると思われる。

物理をちょっとかじったこともある人もない人も、とにかく「とびきり頭がよくて、人生を楽しんでいる、スケベなオッサン」の自然体のあり方が、なんとなく心を軽くしてくれるかもしれない一冊である。特に現代の日本においては、たとえ学者であったとしてもこんな風に生きるのは至難の業だとは思うが……。

 

『Landreaall (30)』著:おがきちか

前巻が「アブセント・プリンセス編」の後片付け編でしたが、本巻で本作にずーっと通底していた「革命」の清算が終わります。

DXとメイアンディアはお互いの気持ちを確かめあう。新しい王様としてファラオン卿が立ち元号が変わる。そして、新王の傍らにはもちろん王妃のメイアンディアがいるが、DXは一人ウルファネアへ。

3巻の時のように物語は大きく一区切り(DXの恋にも一区切り着いたし、アトルニア王国にとっても「革命」との関係性が大きく変わる)。次の展開がどうなるのか、現段階では見当がつきません。とはいえDXは一段階強くなったようだし、メイアンディアの立場についても、DXが思っている物とはちょっと違うようです。アトルニア王国の外か、中か、どこかは分かりませんが、またDXはトラブルに巻き込まれるんでしょう。次は半年後、楽しみです。

特装版にはDXの父母のリゲインとファレルのエピソードが、『淑女の剣帯』という結婚直後の話も素晴らしかったんですが、今回も面白いです。なんだかんだ、救国の英雄が庶民の女性と結婚したということが気にくわない人たちがアトルニアにいて、彼らの仲を引き裂こうとあの手この手で籠絡しようとするわけですが、さてどうなってしまうんでしょうか?という話。特装版の表紙はアンちゃんなんですけど、通常版の表紙はDXとディア、正直あっちの方がいい、というか正直素晴らしすぎるんですよねぇ。本巻のハイライトだし。卑怯だぞ一迅社!

そもそものお話の説明はこちら。

29巻までの流れはこちら。

 

 

『黒剣のクロニカ3』著:芝村裕吏 挿画:しずまよしのり

アトランティスと呼ばれた高度な文明を誇った大陸が沈み、その時の名残でダリスという超常的な力と、ダリドという真実の姿(人魚になったり、人馬になったり、メドゥーサみたいになったり)が残る古代地中海世界のような世界。都市国家「コフ」に侵略され、コフの王族黒剣一族に奴隷に堕とされた母から生まれたフラメスが、亜人の女の子達を引き連れて兄に復讐します。さて、フラメスは復讐を果たすことができるのでしょうか?

芝村裕吏さんの作品に、これまで目を付けられていなかったものに着目することで戦いの常識を覆す、という要素がよくありますが(マージナル・オペレーションなら歩兵の情報統合による少年兵の主力化、ガンパレード・マーチなら整備兵の集中投入による人型歩行戦車の稼働率向上)、本作ならそれは主人公の神話級特殊性癖でしょうか。主人公たるや人馬のしっぽ、人魚のひれ、様々なダリドを持つ女性達の前で男性の象徴を反応させ(古代地中海的世界なのでみんな割と裸に近い、あるいは人前で服を脱ぐことに抵抗感がない)、それを以て多様な亜人女性の心を掴みます。要するに「みんなちがってみんないい(性的な意味で)」。時代遅れとされている、多様なダリドを持った戦力の適時同時運用を行い、主人公並の知略を持つ兄に立ち向かいます。

ヒロインは人馬のイルケ、かわいいよね。今巻が最終巻ですので、フラメスとイルケの恋にも決着がつきます。そっちは読んでのお楽しみということで。戦争に対して恋人から体の一部をお守りとしてもらったりする習慣ってありますよね(ニッコリ)?

 

艦これ提督を退役しました。

確か2013年7月より4年以上プレイを続けてきた艦これですが、この前のイベントを最後に退役(引退)することにしました。理由はイベントに参加する時間が取れなくなってきたのもありますし、単純にモチベーションの問題(要するに飽きた)でもあります。昨今、システムが複雑になりすぎてきており、日常生活の様々なリソースを地味に食っているなぁと感じるのもあります。

生まれて初めてネットゲームをプレイして、引退するという一連の流れをやってみたわけですが、意外と何かが残るものだなというのが感想です。艦これの場合、実在の艦船を下敷きにしているというのもあり、艦これをきっかけに随分と第二次世界大戦、太平洋戦争について勉強をしました。単発のレシプロ軍用機を見て、昔はすべて「戦闘機」だったわけですが「戦闘機」、「爆撃機」、「攻撃機」、「偵察機」が区別できるようになったのは紛れもなく艦これのおかげです。また、軍艦も「駆逐艦」、「巡洋艦」、「戦艦」等々を区別できるようになり、過去に数多作られてきたミリタリーを下敷きにした作品を楽しめるようになったことは、これからも私の人生の楽しみを何倍にも増やしてくれたと言っても過言ではないでしょう。昨今で言うと「ダンケルク」とか。

もしかしたらまた戻ってくるかもしれませんが、とりあえずしばらくプレイをする気力は起きません。途中から「遊び」でありつつ「供養」のようなつもりでプレイしており、その供養の旅路を半ばで脱落するのに若干の後ろめたさはありますが、とにかくしばらく、あの仮想世界とは、少し距離を置こうと思います。艦これの二次創作作品についてはまだしばらく楽しむのでしょうなぁ。

引退する、と決めたとたん空母「Saratoga」にアップデートがあり、なにやら夜間航空機が活躍しそうな気配。これはどう考えても基地航空隊に私の好きな「芙蓉部隊」が来る流れのような……。イベント報酬で「彗星一二戊型(芙蓉部隊)」とか「零戦六三型(爆戦・芙蓉部隊)」とか来たら欲しくなってしまいそう。水上機からの搭乗員養成で装備開発、とか来たら悶絶してしまいます。そもそも、Saratogaは私の大好きなタイプである巨乳お姉さんキャラで、そのうえ作画:しずまよしのり+CV:伊藤静という160kmストレートなうえに、Mark IIもかわいい。中破絵がスケベすぎます。という感じでかなり後ろ髪が引かれますが……。

クロモリバイクにフロントダブルレバーで自転車道楽

かねてから計画していた道楽号(クロモリロード)のフロントWレバー改造を実施するときが来ました。

ということで作業完了。

横から見るとこんな感じ。普通は左右で異なるブレーキレバーは使いませんので、割と独特の見た目。

フロント変速はコンセプト通りWレバーSL-7700。前はインデックスではないんですね。トリム調整が無段変速になるので便利ですが、走行中に調整するのはちょっと面倒そう。まぁフロント変速はあんまり使わないので、というのがこの改造のコンセプトではあるので。

左のブレーキレバーは、シマノalfineのBls-705l。珍品の新品をヤフオクで入手して取り付け。右は、別途入手していた新品のST-4500か4501。オプティカルギアディスプレイが結構便利。見ながらギアを決めるというより、ギアがあと何枚くらい残っていそうか把握するのに使うのがよさそう。輪行の際に自転車ひっくり返すとちょっと面倒そうですが。

同時にハンドルをDixna J-fit Classicの400mmに変更。私、背は低いですが肩幅が結構あるので、420mmが案外合ってるんじゃあないかなと思いますが、変更してみます。

ちょっと20kmほど走ってきてみた感想としては以下の通り。

– 普通に動く。
– 横から見ると高さが合っているように見えるが、持った感じやや右のブラケットがしゃくり気味、ちょっと調整しないと。
– 補修部品に余りが出るので後々不便そうな感じ。ブラケットカバーを2種類用意しないといけないのがね。
– 400ミリのハンドルはダンシングしにくいが、ハンドル周りに剛性感を感じる。

まぁ、自転車は自転車本体に金をかけるよりも、ローラー台なり、走りに行くなりで時間を直接投入するのが一番なんですよね。車体に一定の水準があれば、あとは自分の体が全てです。

『1518! 4』著:相田裕

今巻もすごく良かったです。というか、3巻あたりから本当に面白くなってきました。今巻は元になった同人誌版で言うと~冊目の「チェンジ・オブ・ペース」が中心になっていて、烏谷と会長弟の対決のエピソードがハイライトです。正直に言って、そこ至るまでの登場人物の配置、エピソードの積み上げ方が見事というほかありません。本作品は、物語の骨格として同人誌版があって、ある意味その骨組みに対してどういう肉付けが為されたのかということを比較して読むことができるという私にとっては極めてレアな作品なんですが、本作の肉付けは大変良質。登場人物が増えて、学校や人物のディテールが細やかになったことで作品のテーマが深まり、叙情的にも大変素晴らしい。

烏谷の、会長の、そして弟の野球への向きあい方、それが変わるのがまさに「チェンジ・オブ・ペース」で、烏谷が身を以て教える投球の駆け引きとダブルミーニングになっているんだと思います。他人からあこがれられるような在り方でなくなっても、自分が楽しんでいれば、納得していれば、一生懸命になっていればそれで良いのだ、そこに貴賤優劣はないのだ、「諦めたことから始まる物語」という帯のキャッチフレーズに偽りなしです。

どんなに栄華を極めた名選手も、いつか衰えて、あるいは不幸な出来事を原因として、第一線を退く時が来る。元いた道がキラキラしているほど、そこを降りたときの身の処し方が難しいのは、薬物依存になってしまった清原和博さん、自ら命を絶ってしまった伊良部秀輝さんを筆頭として様々なスポーツ選手のセカンドキャリアを見れば分かります(あと、会社を退職してから抜け殻のようになったり、他人に当たり散らすおじいさん達を見ていても……)。彼らほど落差が大きくなくても、いつかかつての道を降りなくてはならなくなるときのことを、我々は考えなくておかなくてはならないのだと思います。現実はフィクションほど優しくないかもしれない、それでも挫折したあなたに、諦めたあなたに、違えた道の先にも楽しいことがあるかもしれない、そんな風に思わせられる作品です。

『メイドインアビス 1〜6』著:つくしあきひと

正体不明の大穴アビスに挑む少女リコとおそらくアビスの底から来たものと思われる人型ロボットの少年レグ。緻密な設定、湿度と生暖かさを感じる作画、『苺ましまろ』のように可愛いキャラクター、そしてある種のフェティシズムを感じる生々しく、残酷な物語。

個人的に主人公のリコが格好良すぎる。惚れたのは某キャラクターに放った以下の一言。

相手を理解した上で、それを否定する。サイコーです。苺ましまろみたいなビジュアルなのにめっちゃ賢くてカッコいい。この世の汚い部分を知っても、それでも希望を捨てないキャラクターって私大変萌えるので。

リコ以外にも、奈落の底=アビスに魅せられた一癖も二癖もある、時には我々の常識から遊離した思想を持った登場人物達。物語には、時々自分の世界の常識から遊離した世界を描くものがある。科学の知識が支える世界観、自分なりの人生経験、学校の勉強で教わった地理歴史の知識、自分の身の回りの社会システム、そういったものが形作る世界の見え方を覆したり、それが唯一の物ではないのだ、ということを教えてくれる一作。2017年8月現在アニメも放送中。作中に出てくる「リコ飯」的な珍味。ぜひどうぞ。

 

『ロード・エルメロイII世の事件簿 6 case.アトラスの契約』著:三田誠 挿画:坂本みねぢ

本作も6巻目。夏と冬のコミケで発売ですから、3年経ったのか。

今回の舞台はヒロイン?のグレイの故郷ウェールズにあるブラックモアの墓地。グレイは本作の最初からエルメロイII世の内弟子として登場しますが、2人の出会いには元々いささかの謎を孕んでいた模様。その出会いの謎を解く、というのが本作の主題。なんでグレイはあんな能力を持っているのか(一応グレイの手元では明らかになっていますが、グレイの先祖が何を意図していたのかはまだ明確にはなっていないですよね)が幾ばくかは明らかになる模様。前巻で先代の現代魔術科のロードが黒幕っぽいのでそこにどうアプローチするのかが本作のグランドオーダーなんですかね。

表紙に描かれているゲストキャラが大変懐かしい。私がType-Moon作品に出会ったのはMELTY-BLOODからだったんですよね……。ブラックモアって名前も確か月姫読本(同人誌版は持っていないですが)に載っていたんではなかったか。全体的に月姫っぽいキャラクターが出てくるエピソードっぽいです。後書きを見るに、奈須きのこさんとType-Moonも月姫Rをちゃんと作ってはいるみたいです。Fate/Grand Orderで相当稼いでいるでしょうから、きっと古参ファンも納得の出来になるのでしょう。個人的には『魔法使いの夜』の2話と3話をぜひお願いしたい。ホント楽しみにしているんで生きているうちにプレイしたいです。

FGOで間口が広がったType-Moonの世界(英語で言うとNasuverse)、多数の作品にまたがるその設定をのり付けする作品。FGOで触れたあなたも、月姫以来の古参のファンも、読んでみてはいかがでしょうか?

過去の感想はこちら

倫理的な土用丑の日2017

さて、今年も絶滅危惧種の絶滅促進キャンペーン、土用丑の日がやってきました(2週間ほど前ですが)。絶滅危惧種であるウナギを食することは、いわばパンダの肉を食べたり、象牙を珍重したり(こっちは現にやってる)するのと同様の愚行。リョコウバトを絶滅させたアメリカ人、オセアニアのリクガメやドードー鳥を食い尽くした大航海時代の開拓者達からうん百年経っているのに進歩はありません。日本は海に囲まれているのに、どうしてこうも漁業がへたくそなのか。

まぁさておき、ウナギを食べるのではなく、代用食品を積極的に消費することで土用丑の日の意味をずらし、いつの日か、資源枯渇の心配なく、心の底からウナギを楽しめる日が来ることを願って行うのが倫理的な土用丑の日です。

今年はこれ

イオンで売ってた鶏の蒲焼きです。今年は近大ナマズはなく(高くて売れなかったんだろうな。美味しかったんだけど)。代用のバンガシウスなる南方産のナマズの一種が蒲焼きになっていたそうですが、近所には売っていませんでした。去年と違って平日だったので、これで我慢です。

食べた感想としては、タレはそれっぽいが、鶏のどんぶりです。やっぱり最低限白身魚を蒲焼きにして食べたいなぁ。

今年はウナギの蒲焼き風の蒲鉾が出始めていたようで、来年はぜひそれを入手したいと思います。というか、普通に食べてみたい。

去年はこれ

ということで、みなさまも「倫理的な土用丑の日」運動に参加しませんか?特にウナギが好きなあなた。いつか、子々孫々日本の伝統的な食べ物を楽しめる喜びをかみしめながら、資源枯渇の憂いなく、大好きなウナギをお腹いっぱいほおばる、そんな日が来て欲しいと思いませんか?

実際のところウナギの蒲焼きが余り売れなくなっているという風聞も耳にします。スーパーやウナギ専門店には多少気の毒ですが、いいことですね。

 

『性表現規制の文化史』著:白田秀彰

我らが白田先生の新著です。タイトルの通り、性表現規制の歴史について書いている本です。現代の日本においては、マンガ・アニメ・ライトノベルの性的な表現に対して物申し、法的な規制をかけようとする動きが定期的に起きて、そのたびに表現者やオタクの人たちから批判をされると言う現象が起こるわけですが、本書は「なぜ」そのような現象が起きるのかについて、歴史的な研究の成果が書かれています。

本書の構成は大きく3つです。最初に、表現を整理します。性的な表現、砕けた言い方だとエッチな表現を「猥褻」表現なんて気軽に呼んだりしますが、「猥褻」というのは法的には特別な意味を持つのでそちらを使わず、「性表現」「性関連表現」と呼びましょうというのが要点です。次に、西洋における性、性的な表現に対する考え方がどのように変化してきたのかを明らかにします。最後に、日本において、性、性的な表現に対する考え方がどのように変化してきたのかを明らかにします。赤松啓介の『夜這いの民俗学、夜這いの性愛論』を読むと、現代のそれは西洋ベースであり、昔の日本の性的なものに対する考え方が現代のそれと大きく異なっていたということが分かりますから、西洋について歴史を研究すれば日本にも応用が利くというわけですね。

本書の内容を解釈してかみ砕いて書き下しますと、

  • 元々多くの人間の社会で、次世代を生み出すものである性は忌避すべき物ではなく、規範も幻覚ではありませんでした。例外的に、財産が父系継承される社会の支配者層・富裕層においては、特に跡継ぎを産むまで女性が性的に貞淑であることが、財産の継承に関する争いを避けるうえで重要な考え方であった(当主の胤で孕むまで処女ならば、生まれてくる子は確実に当主の血を引いているというわけ)。
  • また、西洋社会ではキリスト教やユダヤ教の教団が、性と近しい「結婚」をコントロールすることで人々を支配しようとしました。これは、統一教会等の「集団結婚式」のような風習を持つカルト宗教でも使われている手法ですね。
  • で、この支配者層、富裕層特有の習慣は社会の発展と宗教の衰退に伴って、庶民階層にも広がり、特に新興富裕層は上流階級への一体化のためにより強固に性に対して厳格なスタンスをとりいれて行きました。
  • そして、この「道徳的にきちんとしている→社会階層が高い」という関連づけを利用したのが女性の権利拡張運動で、主にアメリカで、性表現、性関連表現を法的に規制しようという動きがありました(禁酒法を思い浮かべると理解がしやすいのではないでしょうか?)。
  • 本書ではアメリカにおける性表現規制の歴史が述べられていますが、社会科学的な研究の結果、成人に対して、性表現による影響といったものは確認されていないようです。その研究の結果を反映してか、自由主義、民主主義の国において性表現は概ね法的に禁止されてはいません(カナダやオーストラリアは年少者に見えるマンガ等の性表現に大変うるさいですが)。
  • 「性表現は成年に影響がない」という研究結果が出てしまったので、性表現規制の最前線は、判断力に劣るとされ法的な主体ではない未成年に対して性表現を見せて良いかどうか、というところになりました。日本においても「青少年健全育成条例」のような形で「青少年保護」を口実に性表現を規制する法制度が作られていますよね。

というわけで、往々にして性的な表現に対する個人的な「お気持ち」が先走り、水掛け論になりがちな議論に対して、学術的な根拠を投げ込む一石となる一冊だと思います。えっちなものが好きなあなたも、えっちなものが嫌いで嫌いでこの世からなくなって欲しいと思っているあなたも、えっちな本を読む時間を、ネット上でケンカする時間を、一部本書に割いてはいかが?