『性表現規制の文化史』著:白田秀彰

我らが白田先生の新著です。タイトルの通り、性表現規制の歴史について書いている本です。現代の日本においては、マンガ・アニメ・ライトノベルの性的な表現に対して物申し、法的な規制をかけようとする動きが定期的に起きて、そのたびに表現者やオタクの人たちから批判をされると言う現象が起こるわけですが、本書は「なぜ」そのような現象が起きるのかについて、歴史的な研究の成果が書かれています。

本書の構成は大きく3つです。最初に、表現を整理します。性的な表現、砕けた言い方だとエッチな表現を「猥褻」表現なんて気軽に呼んだりしますが、「猥褻」というのは法的には特別な意味を持つのでそちらを使わず、「性表現」「性関連表現」と呼びましょうというのが要点です。次に、西洋における性、性的な表現に対する考え方がどのように変化してきたのかを明らかにします。最後に、日本において、性、性的な表現に対する考え方がどのように変化してきたのかを明らかにします。赤松啓介の『夜這いの民俗学、夜這いの性愛論』を読むと、現代のそれは西洋ベースであり、昔の日本の性的なものに対する考え方が現代のそれと大きく異なっていたということが分かりますから、西洋について歴史を研究すれば日本にも応用が利くというわけですね。

本書の内容を解釈してかみ砕いて書き下しますと、

  • 元々多くの人間の社会で、次世代を生み出すものである性は忌避すべき物ではなく、規範も幻覚ではありませんでした。例外的に、財産が父系継承される社会の支配者層・富裕層においては、特に跡継ぎを産むまで女性が性的に貞淑であることが、財産の継承に関する争いを避けるうえで重要な考え方であった(当主の胤で孕むまで処女ならば、生まれてくる子は確実に当主の血を引いているというわけ)。
  • また、西洋社会ではキリスト教やユダヤ教の教団が、性と近しい「結婚」をコントロールすることで人々を支配しようとしました。これは、統一教会等の「集団結婚式」のような風習を持つカルト宗教でも使われている手法ですね。
  • で、この支配者層、富裕層特有の習慣は社会の発展と宗教の衰退に伴って、庶民階層にも広がり、特に新興富裕層は上流階級への一体化のためにより強固に性に対して厳格なスタンスをとりいれて行きました。
  • そして、この「道徳的にきちんとしている→社会階層が高い」という関連づけを利用したのが女性の権利拡張運動で、主にアメリカで、性表現、性関連表現を法的に規制しようという動きがありました(禁酒法を思い浮かべると理解がしやすいのではないでしょうか?)。
  • 本書ではアメリカにおける性表現規制の歴史が述べられていますが、社会科学的な研究の結果、成人に対して、性表現による影響といったものは確認されていないようです。その研究の結果を反映してか、自由主義、民主主義の国において性表現は概ね法的に禁止されてはいません(カナダやオーストラリアは年少者に見えるマンガ等の性表現に大変うるさいですが)。
  • 「性表現は成年に影響がない」という研究結果が出てしまったので、性表現規制の最前線は、判断力に劣るとされ法的な主体ではない未成年に対して性表現を見せて良いかどうか、というところになりました。日本においても「青少年健全育成条例」のような形で「青少年保護」を口実に性表現を規制する法制度が作られていますよね。

というわけで、往々にして性的な表現に対する個人的な「お気持ち」が先走り、水掛け論になりがちな議論に対して、学術的な根拠を投げ込む一石となる一冊だと思います。えっちなものが好きなあなたも、えっちなものが嫌いで嫌いでこの世からなくなって欲しいと思っているあなたも、えっちな本を読む時間を、ネット上でケンカする時間を、一部本書に割いてはいかが?

 

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