『勉強の哲学 来たるべきバカのために』 著:千葉雅也

「雑草という草はない」と昭和天皇はおっしゃったそうである。私自身あれこれ調べ物をしたり、やってみたりするのが趣味の1つだが、確かにいろいろとやってみて、そのとき体が感じる感覚を観察してみたり、新しく取り入れた知識とこれまで持っていた知識が関連づけられる瞬間、新しい知識がモノの見え方を変えるというのはたまらない快感である。前述の昭和の陛下ではないが、「雑草」の名前を覚えれば、草むらの解像度が上がるのである。そしてそれは楽しいのである。

というようなことが書いてあるが、実際のところはもう少し人格の深いところを少し作り替えるような、そんな勉強の方法論(本書でいうところのラディカル・ラーニング)について書かれている本。帯の煽り文句によると、「東大・京大でいま1番読まれている本」だそうである。

個人的には良い本だと思った。『論理哲学論考』を読もうとして挫折したウィトゲンシュタインの考え方が入っているなぁと思ったり、場のノリや空気から自由になるために勉強するというのは鴻上尚二さんの『空気と世間』みたいだなぁと思ったり。僕自身自前で持っていた知識に結びつけて読めて、自分の勉強に対するとらえ方に近いところがあったのでスッと読めた。

哲学の先生の著作らしく、概念を指し示す言葉の独特の使い方をいちいち定義してくれるのが親切に感じた。おそらく本書の中で言われている「言語の他者性」の実演をここでやっているんだなと個人的には理解している。

最後の「結論」の部分が大変良くできていて、本書の内容を適切に要約しているのと同時に、本文を通読してから読むと、自分が本書の内容を理解しているのかどうかをテストする章にもなっていると思う。

勉強の効用、哲学の考え方に基づいた意義づけ、具体的なやり方の一例まで示してくれる一冊。ついでに本書を読んでそこで言っていることを理解するプロセス自体が、本書が伝えようとしている方法論の入り口になっているお得な一冊である。

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