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SIGMA 35mm F2 DG DN Contemporary (Leica L mount)

はじめに

カメラ・レンズメーカーのSIGMA、山木社長のプレゼンに惚れ込んで買ったSigmaのfp。3年ほど使ってついに交換レンズを買った……というのがこの35mm F2 DG DN Contemporaryである。IシリーズというSIGMAの単焦点レンズのシリーズのうちの1本で、Premium Compact Prime(高級で、コンパクトな、単焦点レンズ)というコンセプトで製品としての質感と、コンパクトさ、光学性能のバランスを追求したレンズである。

レンズ性能について

焦点距離35mmのレンズを初めて使ったが、35mmレンズの画角はとても使いやすいと分かった。元々RICOHのGRで28mm相当のレンズを10年近く使っていたので(このブログの写真も結構な割合がGRで撮られたもの)、こんな感じと思って構えるとほぼ自分のイメージ通りに撮れる。レンズの描画性能でいうと、比較対象がfpのキットレンズの45mm F2.8 DG DN Contemporary(以下45mm)しかないのでそれとの違いしか言えないが、開放で撮った画像(下の2枚)の細部を見ると、レンズの解像度は明らかに高い。気持ちの問題かもしれないが、AFも心なしか賢くなっているような(ユーザーである自分自身がfpのAFの癖を理解したからかもしれないが)。フルサイズセンサーで解放で撮ると被写界深度が浅くなりすぎるので、特に明るい場所では何段か絞る分、差は縮まるように思う。

SIGMA fp + 35mm F2 1/200
SIGMA fp + 45mm F2.8 1/160

ものとしての質感

このレンズが属するIシリーズという系統、スマホ全盛の時代にあえてミラーレスカメラを買う人が何を求めるのかという問いに「物の質感」と回答しただけのことはあり、確かに操作している感じがとても気持ちいい。例えば絞りリングのクリック感に近いものでいうと、アップル製ラップトップパソコンの蓋を閉めた時の感覚とか、BMW製自動車のドアを閉めた時の感覚があるように思う。

自分が今SIGMA fpを買うなら、レンズキットではなく本体とこれを買うだろう。45mmとの比較で言うと

  • サイズは45mmの方が小さくて軽いが、35mmも常用に許容できないことはない大きさ・重さ(特にArt系の各レンズと比べると大分違う)
  • 写りは明らかに35mmの方がシャープ(なので大は小を兼ねるというか、細は粗を兼ねるというか)
  • スマホカメラなどの広角レンズに慣れていると画角が近くて使いやすいと思われる。

もっとレンズを買い足すならば

  • 標準〜中望遠レンズ(65mm F2 DG DN Contemporary)
  • 大三元ズームレンズ(28-70mm F2.8 DG DN Contemporary)か(24-70mm F2.8 DG DN Art)

だろうかなぁ。大きさや機能が全然違うものを選ぶと考えると、お金を貯めて24-70かなぁ(いつになるやらだが、月に5000円ずつ貯めれば、2年で買えるといえば買える)。

情報量が多いこういう写真には強い(気がする)

もう少し綺麗な写真を掲載できれば良かったのだが、あまり出歩いておらず、近所の写真しか撮っていないので掲載しづらい。現状のベストショットは息子のポートレートなのだが、当然それも載せられないということでご容赦頂きたい。

THE GLASS TALL

スターバックスコーヒーの紙カップの形をした分厚い耐熱ガラスのコップ

と言ってしまえばそれまでなのだが、それがまたなかなかどうして使いやすい。上に広がっている形は指に引っかかるので持ちやすい。スターバックスのカップにはShort、Tall、Grandeの3サイズがあるが、本品もその3サイズ展開となっている。

今回、トールサイズ(350ml)を選んだが、このサイズは200mlくらいの液体に氷を入れたときに液体とグラスの余白がいい塩梅になるような気がする。耐熱ガラスなので当然沸騰したお湯を直接注げるわけだが、入れる液体の量を200mlくらいにとどめておけば、上の方はぎりぎり持てるくらいの熱さになって持ち運ぶ時に何かと便利である。ただし、ビールの350ml缶の中身は泡で入り切らないので、2回くらいに分けて注いで飲むことになる。

200mlの水を入れた状態
200mlの水に氷を適当に入れた状態

耐熱ガラスコップの定番、デュラレックスよりはスマートだが、耐熱ガラス製なので実験器具のような趣もあり、端を見ると熱処理の跡が分かる気がする。薄作りだとか、透明度が高いとか、屈折率が高いとか、気取ったグラスでは決してない。デュラレックスより高価だが、熱いものから冷たいものまで何でも注げて見栄えも結構良い感じ、流しの上の食器棚か食卓の上にずっといる、要するに使用頻度で元が取れるガラスコップである。

30歳を過ぎてアイドル沼にハマった

アイドルというもの、特に生身の女性アイドルを応援することは、頑なに避けてきた人生だった。ただでさえ女性に縁の無い人生だったので、そこはなんとなく超えてはいけない一線という気がしていたのである(とはいえ、THE IDOLM@STERとか、アイドルアニメを見てはいたので、好きになる素養はあったのだろう)。

そんな私だが、偶々結婚した相手がアイドルグループを追いかけている人だったので、彼氏の趣味にハマる女性のように沼に沈められてしまった。アイドルを応援するというか、特定のアーティストのライブに定期的に参加するということ自体が人生で初めての経験だったが、知らない世界が垣間見えてとても興味深い経験だった。

沈められた沼

ハマった沼は「私立恵比寿中学」というアイドルグループだった。カルト的な人気で?有名なアイドルグループ、「ももいろクローバーZ」の妹分という位置づけのグループだそうで、今年でメジャーデビュー11年目。メンバーの歌唱力に定評があり、ライブも生歌、様々なアーティストから楽曲提供を受けていて、発表した曲は恐らく100曲近くあると思われる、という感じである。第一印象はグループ名で抵抗を覚えたが、知ればパフォーマンスで勝負している直球型のアイドルだった。

ハマった経緯

  • 2018年の初頭、アメリカ出張で風邪を引き、心が弱っていたところ、配偶者から送られてきて聴いてしまったのが『全力☆ランナー』だった。詞も曲も、楽曲として普通によく、弱っている心の隙間にすっと入り込んできた。(てっきりシングル曲でMVがあるものと思っていたが、単なるアルバムの中の一曲らしいことに後に驚く)
  • その後、配偶者が持っている音源を片端から聴く。ライブ音源を聴いても普通に歌がうまい。メンバーそれぞれに個性があってイイゾ、となる。
  • 2018年の11月、配偶者に近くの会場である秋ツアーに連れて行かれる
  • その後、年に何度かライブに足を運び、ライブ配信にお金を払うように。
  • 2022年12月16日、メンバーの一人、柏木ひなたさんの卒業公演に参戦。ハマった当初のオリジナルメンバーの一人が舞台を去ったのと生活の大きな変化もあり、ファン活動も一段落のつもり。
  • 今に至る

ハマってみてどうだったか?

ライブ会場で光る棒を振るのは単純に楽しい。

これはアイドルに限った話ではなく、特定のアーティストの生演奏を追いかけるタイプのファンには常識なのだろうが、「ライブというのは水物で、その瞬間にしか聴けない音がある」ということである。固定のメンバーで個人事業主のように興業を続けてくれるアーティストもそうだが、グループというハコが決まっていてメンバーの入れ替わりのあるアイドルグループの場合、特定のメンバー構成である曲が聴けるタイミングというのはそのときしかないのだ。さらに、メンバーのコンディションで多少パフォーマンスに変化があり、そのほかの不確定要素まで含めるとまさにその場にいなければ聴くことができない。ソフト化されなければそれこそ自分の思い出の中にしか、そのパフォーマンスは残らないのである。コンプリート欲求がある人はそれこそ生活の中心にファン活動を置かなければ到底立ちゆかないのだろうというのも想像が付く。自分なんて浅瀬で水遊びをしているようなものだろう。沼は深い。

結論

何事もやってみなければ分からないものである。ガチ恋(アイドルを本気で好きになってしまうこと)をしたりすれば地獄だが、適度な距離感のお付き合いは確実に生活の張りになる。あと、ライブで光る棒を振るのは単純に楽しい。

2022年12月26日 柏木ひなた卒業公演 会場にて
恥ずかしがらずに最前線で撮っておけば良かった。

『エネルギーをめぐる旅 文明の歴史と私たちの未来』著:古舘恒介

本書は「人類史における人類の営み」を、エネルギーという刀で切ることで鮮やかな断面見せてくれる一冊。読み通すには科学や工学の基礎的な知識はいるが、それがある人にとっては断片的な知識が有機的に結びついて、過去から現在、未来に至る大きな流れが見えると思う。個人的には『銃・病原菌・鉄』や『繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史』並にビッグピクチャー(「世界」に対する本質的で全体的な理解・視点)を描こうとしている本に感じられた。

まず第一部で著者は人間が火を手に入れたことに始まり、産業革命を経て現代のように人体が消費するエネルギーの何倍ものエネルギーを生きるのに使う状況に至るまでの過程を、5つのエネルギー革命として整理する。正直人間が火を手に入れたことが、単なる明かりや暖房の手段ではなく人間が人間であることにこれほど強く結びついていた(人間はエネルギーをバカ食いする脳を比較的小さな消化器官で支えている、つまり人間は火を使って加熱調理された消化に良い食べ物を食べなければ生きていけないということ)という著者の考察はこれまでに持っていなかった視点で大変面白かった。

続いて第二部は科学史を含めた科学的な視点から、エネルギーとはどんなものであるかを整理する。鍵を握るのは熱力学の第二法則、そして散逸構造である。ここを理解できれば、2021年現在注目度が高まっており、ともすればポジショントークの応酬になりがちな「どれが良いエネルギーか」問題を落ち着いてみることができるようになるだろう。

第三部はエネルギーにまつわる人間の心理やエネルギーと人間社会といったものの関係を考察する。ここでは一定の経済成長がないと上手く回らない人間社会と、エネルギー問題の間の難しい関係が整理される。

最後の第四部は、第一部から第三部までの過去と現在に関する考察を元に、人間が今直面している気候変動問題や持続可能性問題に対して、何ができるのかを考えている。エネルギー問題のような社会や文明全体に関する本は、問題を指摘して原因を究明するパートに対して問題解決の方向性を示すパートがチープなことが多いが、本書は筆者の哲学から工学に至る見識の広さからか悲観的すぎず、さりとて楽観的すぎず個人的には納得感が高かった。この辺の悲観と楽観のバランスと人類史を俯瞰する感じは、真面目な教養書である本書とはまったくジャンルが違うが、ゲームの『Fate Grand Order』と同様の印象を受けた。

気候変動問題とか、今はやりのSDGsとかに興味がある人は、入門書で多少知恵が付いたら本書を読めば、(いくつかのゴールについて)表層的なイメージや商業的なプロモーションの裏にある問題の本質が見える(端的に言えば解決がいかに困難であるかということに気づく)と思う。あと、「ハーバー・ボッシュ法(空気中の窒素と水素から肥料の原料になるアンモニアを作り出す方法)がいかに革命的なものだったか」といったような話題が大好きな人は確実に楽しめるだろう。個人的にはもっと広く読まれるべき本だと思うので、是非とも皆様にオススメしたい。

  


ホンダ ヴェゼルe:HEVのブランドムービーがとてもよい

最近見たホンダのコンパクトSUV、ヴェゼル(Vezel) e:HEVのブランドムービーが大変見ていて気持ちが良かった。

https://youtube.com/watch?v=0K_EX0kJ_ps

最近ブレイクし始めたらしい藤井 風という歌手の歌に合わせて、古い8mmフィルムで撮ったみたいなザラッとしたカットが挟まるドライブ動画が続く。曲が爽やかでとても良いのだが、4月末から5月初旬の気候のような、カラッとして明るい雰囲気と動画の開放感もたまらない。この車に乗るとこんな素敵なことがありますよ、というイメージ形成に成功していて、車のコマーシャルムービーとしては昨今珠玉の出来という気がする(車のCMを全部見たわけではないけれど)。

個人的な話としてなんでこんなにグッときたのかと考えてみると、結局このCMでやってるみたいな、友達と車に箱乗りして遠くに旅行に行くという行為がすっかり異世界の出来事になってしまったことが大きいのだろうな、と思う。ボタンの掛け違いもあり、世界的に見て対策が上手くいっているとは言いがたい日本ではあるが、できるだけ早くこのパンデミックが終わってくれれば良いもんである。

『湾岸MIDNIGHT (1)~(42)』 著:楠みちはる

インターネット、特にTwitterを見ていると、『らーめん西遊記』と並んでページの抜粋が時々流れてくる本作。妙に含蓄のある台詞を登場人物が言っているようなので、やはり原典に当たらねばなるまいとシリーズ42巻を一気買いすることとなった。

テーマは「チューニングカー」と呼ばれる改造車を使い、東京の首都高速道路を使って夜な夜な繰り広げられる公道レース(当然非合法、いうなれば主人公たちは暴走族の一種といってもよい)である。主人公は日産の初代フェアレディZを元にしたミッドナイトブルーの改造車、通称「悪魔のZ」を操り、ポルシェ911「ブラックバード」やスカイラインGT-R、RX-7といったスポーツカーたちと、時速80~100キロは出しているトラックや一般車の間を縫って、時速300キロのスラロームを繰り広げる。モノローグモリモリのレースそれ自体もそうだが、それぞれの車両の持ち主の人生模様と、自動車のチューニングに携わる人たちの交わりも本作の魅力である。

悪魔のZと戦う自動車とドライバーが1組作品にログインしてきて、悪魔のZと戦ってログアウトする、というのを数巻かけてやるのが定番で、その裏で通奏低音のようにブラックバードとの濃厚なつばぜり合い&塩の送り合いが繰り広げられる。その様はまるで複数ヒロインのエピソードが並行世界のように繰り広げられるギャルゲーアニメ『アマガミSS』のようである。うん、よく考えたらコレ、アマガミSSなんだ(作品的には『湾岸〜』が古い)。

ちなみに、個人的に好きな名台詞は、32巻のコレである。

『湾岸ミッドナイト 32巻』68〜69ページより引用

「安くて」「人気」で「数が出ている」というのは趣味の世界においてはしばしば馬鹿にされがちな要素であるが、失敗も含めて試行錯誤がしやすく、ノウハウが蓄積、共有されやすいものの中からは最終的によいものが出てくる。高い山は裾野が広いのである。

本作のテーマは自動車だが、趣味や仕事、なんでもいいが自分だけの何か、他人には理解されないようなこだわりを持っている人には本作の名台詞がしみるのではないだろうか(本記事の筆者には実に染みた。)

古くなったMacBook ProにUbuntuを入れてPCオーディオに改造

オーディオは沼と聞いている。スピーカー、アンプ、果ては自宅に受電する交流電源まで、こだわり出すと切りがないそうだ。正直ついていけない。とはいえ、それなりにこだわってみたいとは常々思っていた。COVID-19のパンデミックで在宅時間が長くなる中、セッティングする時間、聴く時間はたっぷりある、ということで、手持ちの機材を工夫して、PCオーディオで遊んでみた。

昔話とオーディオ観

そもそも、むかしむかし、CD-ROMドライブがパソコンに搭載され始めた頃、私の実家にはAppleのMacintosh Performa 630というパソコンがあった。そのパソコンはマルチメディア利用が想定されていたため、なんとCDを聞くことができたのだ。そしてなんとも素晴らしいことに、PC側でCDのトラック情報やアルバム情報を保持する事もできた。当時の録音メディアと言えばカセットかMDで、後者はトラック情報をメディア側に書き込むことができた(コンポで入力したトラック名がウォークマンで表示されたのには感動した)が文字は英字・数字・カタカナオンリー、入力・表示のインターフェースは非常にプアで使いにくかった。そんな中、パソコンのキーボードとIME、CRTディスプレイを使って入力と表示ができるPerformaは大変素晴らしく、音楽の管理かくあるべしと幼心に思ったものだった(後にAppleはiTunesとiPodで楽曲データ自体にトラックデータを含ませて管理・持ち歩くことを可能にしたことは有名な話である)。というわけなので、物理メディアをいちいち入れ替えて聴く昔ながらのオーディオは、レコードやカセットみたいなアナログメディアまで立ち戻らないと個人的には正当化しづらいように思っている。ようするに私はここ20年近くコンポを買っておらず、音楽はパソコンにアンプやらをつないで聴くか、DAPを持ち歩いてイヤホンで聴くものだった。

機材

こんなオーディオ観がある人間が、PCオーディオで遊ぶに当たって、手元にある機材は以下の通りだった。

  1. パソコン:Apple MacBook Pro 2011Late(メモリを8GB、HDDを1GB SSHDに換装済み)
  2. アンプ:Elekit TU 870R(自作キットで手作りした真空管アンプ)
  3. パッシブスピーカー:Apple Pro Speakers改 (ケーブルを切って線を分離したもの)

元々1.2.3.をセットにして使っていた。ソフトウェア、ハードウェア的に以下のようにいじってみた。

Ubuntuをインストール

  • UbuntuのWebページからOSのisoイメージを落として、EtcherでUSBメモリに焼き込んでインストールメディアを作成
  • Disk Utilityでパーティションを分割、とりあえずFAT32でフォーマットしておく
  • Altキーを押しながら再起動、表示される起動ディスクの中からEFIbootを選択、インストーラーを起動
  • ディスクの全フォーマット+インストールが最初に出るが、とりあえず既存の環境を残すため「他のインストール方法」を選択
  • Ubuntu用に確保したパーティションをExt4でフォーマット、音楽さえ聴ければいいので「最小インストール」で。
  • 30分ほどでインストール完了、キーボードは「日本語配列」で、下手に日本語Macintoshとかするとよくないっぽい。
  • アカウントを作って、ログインしたら普通にトラックパッドもキーボードもUSBも、ついでにWifiも使える。意外なほどあっけない。BootcampでWindows入れるよりもよほど簡単。
  • キーボードショートカットと、それを使うための特殊キーの関係性がよく分かっていない。そもそもMac Windowsの両用のために、多少キー配列をいじって使っているので、今後の使い勝手を考えると是非とも使い方を覚えたいもの。
  • たしかにOSが軽い。最近のMac OSだと動作もっさりファンブンブンだったのが静かなもの。

LowLatencyカーネルを入れる

  • Linuxはどうやらカーネルによって音が変わるらしい。低遅延=LowLatencyカーネルなるものを入れればよいらしいので、最新のカーネル5.3.0-45のLowLatency版をaptからダウンロードする
  • カーネルの切り替えは起動時にshiftキーを押すということだったが、どうもescキーを1回押せば良いようだ。grubというアプリケーション(OSの起動条件を決めるブートローダ)で設定。
  • Wifiのドライバーがダメになり無線LANが不通になるトラブルが起きる。何回も再起動しつつ「MacBook pro Ubuntu wifi ドライバー」で検索して出てきた対策をいくつかやっていたらいつのまにか解決。

音楽再生・リッピングソフトを導入

  • 最初Rhythmboxを入れていたが、デコーダーを入れてもALACの再生が出来ないので最終的にAudaciousに。ハイレゾ再生する人なんかにはこっちが人気のようだ。UIはiTunesぽくてrbの方が好き。
  • CDのリッピングソフトはAsanderを入れた。エンコーダ入れればなんでも読める。

音楽ファイルを移動

  • 最初APFSでフォーマットされた母艦のデータドライブをそのまま繋ごうかと思ったがうまくいかなかったのでHFS+のバックアップHDDに音楽ライブラリをコピーして移動。
  • 各フォーマット用のソフトもいちいちインストールするのねと感動(大学のコンピュータ室にあったLinuxと違ってずっと自由なことに感動した)

スピーカーを交換

  • 前から使っていたApple Pro Speakersの改造品。コンパクトだし、音も悪くないが、低音が物足りないしなんか音量も出ない。そこで新しいスピーカーを調達することに。
  • アンプのTU-870Rのインピーダンスが8Ωらしく、合うものを探してみると舶来の高級品が多い。予算と相談して良さそうだったのがイギリスのMonitor AudioというメーカーのMonitor 50というスピーカー(ペアで3万くらい)。最近発売されたばかりでレビューもほとんどないが、かっこいいので悩んで決定。
  • 適当なケーブルで繋いで再生。解像度もよく、低音が明らかによくなった。音量の調節幅も大きくなり、アンプの本来の性能が出ている感じ。スピーカーとアンプのインピーダンスを揃えるとこうなるのか……。

オーディオをスチールラックに収納

元々デスクトップオーディオとして使っていたオーディオセットだったが、棚に並べてオーディオラックを作りたくなった。共振が気になるが余っている各種棚の棚板で防振をすることにしてスチールラックを物色。結局幅と高さ的にニトリのこれがよさそう。

https://www.nitori-net.jp/ec/product/8791244s/

立った状態で使いやすい高さで、幅もちょうど良い。

感想

2010年前後のMacは、現在のMacに比べて筐体が大きくて重たいが、メモリとHDDの交換が容易で自力メンテ・アップデートしやすく、ディスプレイやキーボード・電源の品質は割と良い。さらにCDドライブが付いていて深く考えなくてもCDのリッピングが可能。というわけで、古くなって使わなくなった機体はこんなふうにオーディオにしてしまうのはいいような気がした。みんなもやってみてほしい。

あとやることといえば、真空管の交換、アンプの部品をオーディオグレードの高級品に交換、本体からではなくDAC経由でアナログ信号を出す、くらいか。その辺はまた気が向いたらにしようと思うが、まぁこれで十分かなって感じ。

アイコンを世代交代(New Balance M996 NCA)

あなたには「アイコン=自分を代表するようなファッションアイテム」はあるだろうか?実は私にはある。それは赤い革のスニーカーという非常に悪目立ちのする靴で、特に20代はほぼ学生をやっていて格好が自由だったのでどこに行くにも一緒だった。定期的に休ませていたが、1週間に2〜3日は履いていた。結構覚えている人も多かったようで、10年も履いたので「まだ履いているの?」と驚かれたりすることもあった。

出会いはたしか2010年か2009年の冬、実家の近くのリサイクルショップ(○ードオフ)で見つけた新古品。正月のセールで半額になり、1万円しなかった記憶がある。赤いスニーカーは履いたことがなく、ちょっと派手かなと思ったが、USAかUK製のニューバランスを履いてみたいと思っていたので安さには勝てなかった。買ってからはすっかり気に入ってしまい、スニーカーシャンプーで年に何回かは洗ったり、靴紐や中敷きは当然替えたし、なんなら(修理できるモデルだったので)ソールも交換して履いた。

8年目くらいからさすがにボロボロになってきて、次を買おうかと思っても同じスニーカーは廃盤で、他メーカーも見たが赤いスニーカーでこれといった物がない……と思っていたら同じメーカーの同じ形のものが2019年の末についに限定復刻と相成った。高い。だがしかし、と半年近く迷った末に結局買ってしまった。

10年ありがとうね。お疲れさま。

いらっしゃい。次の10年よろしく頼むよ。

『デス・ストランディング』製作:Kojima Productions 監督:小島秀夫

ゲームの作り方の1つとして現実から「戦争」、「自動車の運転」、「洞窟探索」、「狩猟」といったなにがしかの要素を抽出して、それに遊びとしてのエンターテインメント性を持たせるというものがあると思う。この見方からするとこのゲームのテーマはズバリ「おつかい」あるいは「配送業」である。おつかいや荷物の配送なんて基本的には楽しいものではないとされている。しかし、かつて「潜入」という要素を「ステルスゲーム」としてゲームに仕立て上げた稀代のゲームクリエイターである小島秀夫監督は、この一見ゲームにならなさそうな現実の一部分を、面白いゲームに仕立ててみせた。それがこの「デス・ストランディング」である。

ストーリーとしては、「デス・ストランディング」と呼ばれる現象により「あの世」と近くなり、それを原因として生じた「時雨(ときう:ものや生き物を急激に劣化させる)」や「対消滅(死体やBTと呼ばれる化け物によって引き起こされる核爆発のような破壊を伴う現象)」によって人々が離ればなれになり、滅亡の危機に瀕している架空の未来のアメリカ大陸において、「伝説の配達人」である主人公「サム」がNPCから依頼される様々な配送依頼をこなしながら「カイラル通信」と呼ばれる物を送れるインターネットのようなもので街や人々をつないでいく話。

とにかく独自の設定や用語、様々なパラメータや操作テクニックが存在し、あれこれ覚えるのが大変ではあるが、それらのアイデアと現代の半導体によって生み出されるゲームの世界は、それこそ前に紹介した『SEKIRO』のようにいつまでもこの世界の中にいたいと思わせるような魅力を秘めている。SEKIROは戦闘がメインでマップをあちこち探索することはサブだが、こちらはマップをあちこち歩き回ること自体が目的となる。コケたりぶつけたりすると荷物が壊れるので、転ばないように、ぶつけないように気をつけて荷物を運ばなくてはならない訳だが、BT(化け物)や荷物を奪おうとしてくる人間(いるんです)だけでなく、天候や地形(主人公はちょっとした段差に躓き、渡河しようとすると流され、傾斜を上っていたら滑落する)といった自然環境が、主人公に対して様々な試練を課してくる。ちなみに貨幣経済が崩壊しているので金銭という形で報酬が支払われるわけではないが、NPC達は荷物を届けるととにかく大げさに褒めてくれる。「褒め方がアメリカンだなぁ」と思っていたが、そもそも「アメリカ」が舞台の話であった。

筆者は地理院地図やGoogleマップで地形を想像して楽しんだり、あちこち散歩をするのが好きだった訳だが、その「好き」の延長線上でメチャクチャ楽しめたので、その手の趣味をお持ちの方は是非プレイしてみて欲しい。きっと何時間も使ってしまうと思う。

『虜人日記』著:小松真一

1944年からアルコール生産のためにマレーシアに赴いた著者が戦地で綴った日記で、後退する戦線の後ろで空襲におびえながら各地のアルコール工場を巡って仕事をする話、いよいよ現地の日本軍が戦争の能力を喪失し、ジャングルの中に逃げ込んで半死半生で1945年8月14日の敗戦を迎えるまでの話。戦後米軍の捕虜となり、捕虜収容所の中で生活する中で見た人間模様、の3つから構成されている。復員の際に戦友の骨壺に入れて持ち帰られたそうで、著者が亡くなるまで銀行の貸金庫に保管され、ご遺族が社会的意義を感じて活字化、出版されたという経緯を持つそうである。

全体的に読みやすく、特に334ページに記載されている「日本の敗因」が非常に的確。何せ当時の実感で、第二次世界大戦の太平洋戦線で実際に負けた人が色々と考えたことなわけである。限りなく現場に近い体験から人間としての極限状態(なにせ人肉食が行われるくらい人倫が崩壊していた)においても失われなかった明晰な知性で見いだした敗因なわけで、これ以上に的確な物を探すのは難しいだろう。

極めて残念なことは、平均的な日本人や日本人の作る組織に、本書に示されているような弱点が脈々と生き続けているということだろう。日本人のエートス(最近覚えた言葉)と言ってしまえば簡単でしかし悲しいが、まずは自分と自分の所属する組織から、少しでも弱点を克服できるように頑張っていくことくらいしかできないだろう。一生勉強である。