正統派のナチズムを継承している家庭に生まれた女性が、所謂ネオナチのメンバーとして青春時代を送りつつも、その中で後に夫となる男性と出会い、そして彼の子どもを妊娠したことを大きな契機としてネオナチを脱退するまでを描いた自伝。
ネオナチというとビジュアルくらいしか思いつかないのだが、どういう人たちなのかと言うことについてもよく分かった一冊だった。大抵の人間は人生があまり上手くいっていないチンピラで、自分の劣等感をごまかすために懐古的で排外的なイデオロギーに傾倒していることにして暴れ回っているということのようで、日本にも似たような人はいるよなぁなどと思ったりした。
彼女がネオナチを脱退できたのは、もちろん本書に書いてあるように、夫となる男性との出会いや妊娠という契機もあるだろうが、詰まるところ彼女自身のが生まれ持った人間性や知性、特に自分の体験を客観的に見るメタ認知能力に、ネオナチの思想が堪えられなかったということなのだろうなと思う。正当なナチズムを曲がりなりにも実践しようとしている家庭に生まれてしまったことも、逆にネオナチとして活動している人々の大言壮語や言行不一致に気づく原因になっていたようにも読めた。
本書の中で指摘されているようにネオナチの思想は非常に偏向していると思うし、ネオナチのメンバーもろくでなしばかりという彼女の指摘も、本書の中の描写を見る限りは頷ける。しかし、ネオナチの思想に染まり、排外主義的な活動をしている人たちの現状は、100%彼らの責任に帰されるものなのか、というのは、最近読んだ本的にはちょっと思ったりする。彼らの中には、公的なサポートを受けられない程度に色々なハンディを負った人がいて、そんな彼らに手を差し伸べたのは極右思想だけだったりしなかったのだろうか、などと。