『ひと相手の仕事はなぜ疲れるのか 感情労働の時代』著:武井麻子

なんでモンスターペアレントやモンスターカスタマーみたいなのが出るのか、ということについて、ライトノベル作家の浅井ラボさんが「奴隷と王様ごっこ」という記事を書いているんですが、個人的にはなんとなく当たっている気がします。外国に行って思いましたが、向こうの接客業って愛想悪かったりと、結構適当ですもん。日本の接客業は300円の牛丼から云万円のブランド品まで、何買っても店員さんがニコニコしてくれます。
ということで、本書は肉体労働、頭脳労働に続く第3の労働形態である感情労働というものが抱えている問題について書かれた本です。感情労働とは何かというと、いわゆるサービス業、営業や接客など自分の感情を制御し、要請される役割を演じることによって対価を得るという労働形態です。著者の武井麻子さんは医療系の出身ということで看護師や医師など、死に直面する感情労働の例を多くひいています。
この感情労働のなにが問題なのかというと、人間にとって自分の感情を偽るということは精神衛生上大変良くないことであり、医療従事者やサービス業に携わる人に心の調子を崩してしまう人が多いそうです。その緩和方法として、セラピーやカウンセリングなどを通じて自分のありのままの感情を理解してもらうというプロセスがあげられています。そして、現代では経済活動の優先から接客(接遇)マニュアル、などといった形のサービスのマニュアル化によって感情労働の強化が進んでおり、人間の感情を取り巻く状況は大変厳しい物になっている、と問題提起してます。
この感情労働の問題というものは、ある職業の人特有の問題なのかというとおそらくそうではなくて、介護殺人のような形で表出してきているように、親の介護、配偶者の介護などを通じて誰にでも降りかかりうる問題であるように思います。こういう問題が現代においてピックアップされるようになった原因は、主に科学技術によってどうしようもないことが何とか出来るようになってしまったことで、いろいろなことに完璧を求めるようになってしまったこと、そして逆に宗教のようなどうしようもないことを受け入れるための精神的な装置の力が弱まってしまったことがあるんではないかと、個人的には思います。
じゃあどうすればいいのでしょうね?考えつくところでは、弱音を吐ける相手や本音をぶっちゃけたり負荷を分散するコミュニティを確保すること、そして楽に考えること(世の中にはどうしようもないこともあると適度に諦めるとか、親ならば最期まで無償の愛情をもって介護しなければならない、みたいな思いこみを捨てること)なのではないでしょうかね?

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