著者は鷲田清一、個人的に最近熱い思想家です。
私事ですが、去年くらいからどういう風に服を着ようか、自分なりに考えるようになりました。ですが、どうもカッコいい(流行の?)服みたいなものも年によって変わっていくみたいで、なかなか落としどころが分かりません。結局センスのいいやつが勝つんだろうと思う訳ですが、そのセンスというのも、流行という一定のルールに縛られながら、それを逸脱しないようにいかに自分の個性を表出させるか、というもののようです。逆に個性を極めすぎると、奇天烈過ぎてかえってダサく見えるみたいなものもあるようで、全く訳が分かりません。
こういう自分自身を他者から区別する道筋が、必然性の無いルールみたいなものに既に縛られているという構造は何も流行の服に限った物ではなく、ジェンダーによる服装のコードだったり、身体の恥部の箇所の規定だったり、私たちの身体にまつわるあらゆる部分を縛っている。しかし、それは悪いことばかりではなくて、自分で自分自身を完全に認識することが出来ないが故に揺らぐ自分自身の輪郭を、衣服や身だしなみのルールに従うことで固定化しているのだ。というのが本書の主張の一つで、かなりしっくりきました。
我々は思考やコミュニケーションの形態だけでなく、身体的な意味においても人々の間で共有されるルールにガチガチに縛られて生きているのだというのは非常に興味深いです。群れる生き物である以上,コミュニケーションが人間にとってかなり大切な事象であり、自分の外見も含めて他人とのコミュニケーションの手段なんだろうなと思いました。モテる(異性とのコミュニケーションの舞台に上る)ための服とか、脱オタ(擬態)のための服とかいったものが極めて無難なものになる所以。
この本を読めばファッションセンスが良くなるとか、そういうことは無いです。ただ、服ってなんなんだみたいなのに納得がしたい向きにはおすすめというか、自分なりの思考の端緒になる一冊なのではないでしょうか?哲学者の書いた本にしてはかなり普及帯の難易度だと思うので。
中で引用されていた中島梓(実は栗本薫と同一人物らしい)の「コミュニケーション不全症候群」も面白そうなので、折りをみて読んでみようと思います。
ちぐはぐな身体―ファッションって何? (ちくま文庫) (2005/01) 鷲田 清一 |