Gunslinger Girlについて熱く語ってみる

自分が好きな物語には一定の傾向があって,そのうちの一つが,「実存はどこにあるのか」というものだったりします.たとえばCLAMPの「ちょびっツ」では,人工物と人間の恋愛という,わりとよくあるSF的な題材を扱い,最終的に自分と相手との関係の中に心とか知性というものが生じるのであって,実存を担保するのは「心」とか「思い出」だということが描かれました.同じくCLAMPの『ツバサ』では,小狼からさくらへの愛情において,相手との時間の蓄積(=思い出)が欠損しても,相手が存在すること自体で実存は担保されているのだと主張されました.

では,記憶(思い出)も,体も喪失された存在の実存はどうなるのかという問題を取り扱ったのがこの『GUNSLINGER GIRL』という作品だと考えています.この作品は虐待などで心身ともボロボロになった少女を薬漬けにして洗脳してサイボーグに改造してテロリストと戦わせるという,オタクの気持ち悪いところが結晶したような作品です.そんな作品ですが,自分はこの作品に「実存はどこにあるのか」というテーマを見出して非常に愛しております.登場するサイボーグ少女(作品中では義体と呼ばれる)達は,改造前におおよそ受け入れがたい事件によって存在を否定されています.さらに勝手な都合で死を運命づけられた(テロリストと戦うので死と隣り合わせ+メンテナンスのために投与される薬物で中毒を起こして死ぬ運命にある)第二の人生を歩まされているわけです.そんな,記憶も体も偽物,本物の人生はロクなものでない彼女たちの実存はどこにあるの?というわけです.話の作りも,複数登場する義体たちのいろいろな生き様が描かれて考えさせるような作りになっており,自分は作者の思惑にどっぷりハマっている感じです.

さらに自分がこの作品を愛するもう一つの理由は,「いびつさ」です.この作品の義体は大人と「フラテッロ(イタリア語で兄弟)」というペアで行動をしており,ペアごとの人間関係が作品の軸になっています.フラテッロの義体が過去のない存在なのに対して,大人の方は過去に縛られまくり,過去をよりどころに生きてるような人達です,ペアなんだけどつり合いが取れていないいびつな関係です.これに関しては最新刊の12巻で,主人公2人が縛られ続ける過去の事件が語られ,ますます際立つ感じです.作品自体もいびつな形をしていて,オタク受けしそうな設定や「なんで?」っていうようなツッコミどころ(なんで少女だけがサイボーグになるのかとか)があったりするわりに,舞台であるイタリアに関しては綿密な取材によって政治,文化などがこれでもか!というくらいにリアリティをもって描かれています.
初見は「ウゲッ」でも読んでみるとなかなか味わい深い.珍味のような作品ではないでしょうか?

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