建前の上では、西洋流に尊厳を持つ個人が社会を構成しているという事になっているけれども、学校で他人の服装に文句を付けたり、世間に顔向けできないと生活保護を受給している人が亡くなったり、重大犯罪を起こした人の親類縁者が後ろ指を指されて自殺したりと、本音はどうも違うところにあって、「枠から外れた人」が息苦しい思いをしているのが日本社会というもののようです。そんな日本社会の持つ大いなる欠点として「自己肯定感の低さ」と「同調圧力の強さ」というものが挙げられ、後者に大きく寄与しているのが「世間」です。本ブログでも紹介したことがある鴻上尚二さんの「空気と世間」の元ネタ本ですね。
本書は「日本社会の構造を、世間の歴史的分析という観点から見直そうとする試み」であり、序論とまとめを読めば著者の主張は概ね理解できます。それ以外はその根拠として万葉和歌から慈円、吉田兼好、井原西鶴と時代を下り、最後は日本近代文学の大家、夏目漱石や永井荷風、金子光晴をひもといて、日本人の世の中の見方、特に人間関係のとらえ方を見ていくという本書の本丸が大部分を占めます。
本書において、日本人にとっての世の中が
- 世の中
- 社会:英語の”Society”の訳語、明治維新以後に定義され、主に学問の領域で使われる言葉
- 世間:万葉時代から使われてきた言葉。著者によれば「自分が関わりを持つ人々の関係の世界と、今後関わりを持つ可能性がある人々の関係の世界」
といった形で表現されており、学者ですら「世間」に生きているにもかかわらず、それを学問の対象として分析しようという試みがなされていなかった、というのがモチベーションだったそうです。
日本社会の本質を探る名著といううたい文句が帯にありますが、確かに最近の乱造される新書とは比較にならない「重さ」を持った一冊でした。本書を読む上で取り上げられている作家の名前くらいは知らないと読むのがつらいでしょうし、そういう意味で義務教育+高校までの勉強も案外役に立つものだなぁと思いました。
次は本書と一続きの『「教養」とは何か』を読んでみたいと思います。