前巻までで寄り道は終わり、本巻から本来の目的である建国事業が始まります。
中央アジアを越え、クロパトキン将軍がいるプスコフにたどり着いた良造一行。そこから妻(←ここ重要)オレーナの養父~のいるサンクトペテルブルグにて「挨拶」を済ませた一行は、シベリア鉄道に乗り、国作りのための場所探しに向かいます。そこで出会うのは、国作りのパートナーとなる新たな「男」と出会い、ついに建国事業が始まるか?というところで本巻は終わります。上にここ重要、と書いたように良造とオレーナは結婚しています。以前のようにオレーナの求愛を躱し、いなすのではなく、距離が着実に縮まっているのがよく分かります。良造一行のメンバーであるコサックのパウローとユダヤ人のグレンが辟易しているように、口から佐藤でも吐きそうなイチャイチャは引き続き本作の見所の1つでしょう。
作者の言及の通り、「馬」の物語だそうですが、本作ではそれを象徴する出来事が起こります。このことは本巻の表紙を見れば一目瞭然。良造とオレーナの2人が馬(富士号)ではなくオートバイに乗っています。しかもハーレーダビッドソン、1900年代初頭にサンクトペテルブルグで買えるもんなんでしょうかね?本書がフィクションたるゆえん?まぁとにかく、このオートバイとの出会いに至る過程は何とも言えません。ええ。
前巻に対して、旅をしたくなると感想を書きましたが、本作の魅力は作品の内容もさることながら、入念な資料収集に裏付けられた現実への足つきでしょう。歴史の本を読んでみたくなるような、現地に行ってみたくなるような、いろいろな、恐らくは史実のディテールに満ちあふれています。本巻では、上でも言及していますが、やはりオートバイと馬の関係。オートバイを鉄馬と呼ぶことがありますが、自転車とオートバイ、というか二輪車という機械の母は、要するに馬なのだなということがよく分かります、ペダルは鐙で、ハンドルは手綱、鞍はその名の通りサドル。乗馬という風習があったからこそ、人間は二輪車という機械を思いついたのではないかと思わされます。リスクが周知されても乗りたがる人がいるのは、ある意味人間の本能なのかもしれません。あとは、良造、というか日本人の宗教観、倫理観というものが、諸外国、特に一神教の国からするといかに異常であるのかという異文化交流の側面も、前巻に引き続いて面白いなと思った点です。
ということで、本格的な建国編は次巻以降に持ち越し、いろいろな人種、宗教の人が寄り集まって、シベリアにどんな「カナン」が築かれるのか?そして、20世紀前半は戦争の時代ということで、良造とオレーナたちの運命やいかに、ということで続きます。さて、次はいつ読めるだろうか?