ジェンダーというと、保健の教科書に載っているような「体の性別以外の部分での男らしさ、女らしさ」的な理解と、小うるさいフェミニストのおばちゃんの理論武装(失礼)みたいなイメージしかなかったのですが、案外人間ってのは常識という名前のジェンダーに縛られて生きているんだなと言うのが分かりました。
最近の世相とかを見てると、たしかにジェンダー問題ってのは女性だけのものではないんではないかと思います。ここのコメント欄で盛り上がっているように「スイーツ(笑)に寄生されるなんて結婚は人生の墓場!」とか「なんで男が必ず声をかけて交際関係をリードしなくてはならないのか」と主張して「男のジェンダーしんどいよ」と言い出している男性も少なくないような気がします。現代日本ではこの手の問題がねじれてきているんだなぁという印象が。
結局この本でも村上龍が言うように「自立した個人として他人と関係しろ」と主張しています。個人的に同意しますし、自分としても目指したいところなんですが、それを「スピリチュアル」と言っているのが個人的にNGでした。なにせ自分の中で一二を争う「胡散臭いワード」なもので。そんな宗教的な概念に頼らなくても、現実を生きている存在として、個として確立された自由な存在というのは一つの理想型と言い切ってしまって良いのではないかと思うのです。
とはいえこういうジェンダー論も現代特有のものなのかなと思わなくもないです。昔は生活、生存上の余裕のなさから、共同体でリスクをヘッジしなくてはならず、個人主義なんて許されなかったのだろうし。こういう現代的な思想というのは、現代社会が文明の力を使って生存リスクを下げ、人間を個人単位に解体することを許容したという証左なんでしょう。200年、300年後、天然資源が尽きて再び人類に余裕が無くなったときに、どういった人間の単位が発生するのか、見てみたい気もします。
どういう行動をするにしろ、いままでこういう思想に触れたことのない人には、無意識下で自分を縛っているなにかを意識下に引きずり下ろして自分を再構築する意味で、この本は読む価値があると思います。スピリチュアル云々はお好みで。
『はじめて学ぶジェンダー論』
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