著者はオタキングこと岡田斗司夫。
案外今のオタクはダメだ!とこき下ろす本ではなかったのが安心。
この本で言うところの「オタクが死んだ」は「強制収容所→隠者の楽園」だったオタクという共通の幻想はもはや消え果ててしまって、アニメとかマンガとかいったコンテンツの消費に血道を上げるただの消費者になってしまったよという事だと思います。
基本的に「求道的にある種の文化を担う現代の隠者」=「オタク」という認識を著者は持っていて、それを前提で話を進めているわけですが、本来的にはこの定義が正しいですね。
なぜ「オタクが死んだ」のかに対して本書では特に、特定の文化を維持するために払われるべき排他的な努力がオタク文化においては払われなかったことを挙げています。隠者であるが故でしょうか?きっとみんな優しかったんですよ。
個人的には加えて、オタク文化に資本主義というか商売が過剰に入り込んだこと。個々のコンテンツそれ自体は非常に入り口が広いので、著者が言うところの「強いオタク」になれない、むしろ辛い現実から逃避したい人たちの受け皿になったということ。などがあるのではないかと思いました。いずれも本書にも何となく示されていることではありますが。
最終的に「成熟したくない病」にかかっている日本社会について語っているわけですが、なかなか言い回しが上手い上に割合謙虚で好きです。全体的に大分丸めて書いている印象は受けますが。
そういう「一方的な損を引き受ける覚悟」を大人と言うんですけどね。「一方的な得だけ、要求する根性」を子供っぽい、と言うんですけどねぇ。
自分もこんな風に自分の言葉で上手いこと言える人間になりたいものです。幼稚な趣味を持ちつつもね。
オタクはすでに死んでいる (新潮新書 258) (2008/04/15) 岡田斗司夫 |